カラスの城〈『話』シリーズ・外伝〉

長編9
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カラスの城〈『話』シリーズ・外伝〉

明星新報は、県内シェア七割を超える地方新聞として、長年県民に愛されている。

創始者の墨村新(すみむらあらた)は、若い頃から小遣い稼ぎに不定期の瓦版を発行しており、それを日刊に改め「明星新報」と名付けたのは明治二十三年のことだった。

創業以来、明星新報は順調に発行部数を伸ばし、世の情勢について正確で素早い情報を提供する一方で、地域密着の細やかな記事を掲載すると、県内で根強い人気を誇っていた。

昭和四十一年には、県都の中心部に立派な自社ビルを建て、今や県内でも有数の企業の一つだ。活字離れや発行部数の減少が叫ばれる昨今においても、デジタル版を発行したり地域行事の主催や後援を積極的に行うことで、存在感を示し続けている。

順調な発展を遂げてきた明星新報だったが、大企業の常というべきか、成長の陰には時に奇妙な噂がつきまとった。

いわく、

明星新報はカラスを手下と操っており、会社の発展はそのカラスたちに支えられている。しかしそのためには生贄が必要で、歴代の社長たちも自らをそのカラスに捧げている。

という。

カラスとは一体何者なのか、肝心のそれについてはまったく伝わってこない眉唾な噂話なのだが、明星新報の歴代の社長が揃って不可解な最期を迎えているのは、真実だった。

・・・・・

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創始者で初代社長である墨村新は、明治三十三年に四十八歳の若さで甥に社長の座を譲った。

新には後継ぎになるような子供がおらず、自身の兄の子供である二人の甥に会社を任せることを早くから決めていた。

ところが奇妙なことに、その二人をそれぞれ婿養子に出し、名字を墨村から変更させたのだ。

一人目の甥は明夫(あきお)。少し気弱な面があったが思慮深く、穏やかな性格で周囲からも慕われていた。

二人目は、明夫より十以上歳の離れた弟である治彦(はるひこ)。こちらは明夫とは対照的に、時に危なっかしさすら覚えるような豪快な性格だったが、一方で幼い頃から叔父である新に似た聡明さも兼ね備えていた。

新はこの二人の縁談を早々に取りまとめ、それぞれ白鳥(しらとり)明夫、鷺山(さぎやま)治彦と名を改めさせた。

周囲が理由を尋ねると、新は決まって

「カラスに負けないようにするためだ」

と答えたが、カラスとはなんなのか問うてもそれには口をつぐんだ。

「墨村」という黒を連想する名字を嫌ったのだろうと、一部はそう解釈したが、一方で先述の奇妙な噂が囁かれ始めたのもこのあたりからだった。

明夫が社長に就任して以降の新の隠居生活は徹底しており、いつどのようにして亡くなったのかも詳しい記録は残っていない。

しかし、二代目社長の明夫は在任中に若くして自殺している。明夫は妻を早くに亡くしており、それが関係しているのではないかとも噂されたが、遺書はなく正確な理由はわかっていない。

明夫の死後は、副社長として兄を支えていた治彦が、二十四歳の若さで明星新報の社長の椅子に座った。

治彦は新に似た敏腕さで明星新報の基礎を盤石にしたと評されており、戦中戦後の混乱の中でも会社の存続に心血を注いだ。そのため、昭和三十五年に自身の息子に社長の座を譲った後も、大きな影響力を持ち続けていた。自社ビルの建設を主導していたのも治彦だった。

「ワシは殺されても死なない男だ」と豪語していたが、念願だった自社ビルが完成したその年の暮れ、そのビルの屋上から転落死した。

自殺するような人柄ではないことが周知されていたため、事件ではないかと詳しく捜査がなされしばらく世間を賑わせたが、結局確たる証拠は見つからず、事故か自殺ということになった。

その後、治彦の息子で四代目社長の正治(しょうじ)は隣家の火事に巻き込まれ、その息子の五代目社長・貞良(さだよし)は自動車事故で亡くなっている。

どちらも事件性はないと判断されたが、遺体はまともな状態では見つからなかった。

そういった死因は公にされることはなかったが、悪い話は風に乗り尾鰭を生やし、まことしやかに人々の口の端に上った。

六代目社長の優(まさる)は、社長の座を息子に譲った時点でまだ還暦前の若さだったが、彼もまた自身の父や祖父たちと同じような道を辿っている。

退任後、趣味の登山の途中で行方不明になったのだ。自宅には遺書のようなものが残されており、警察は自殺として早々に捜索を打ち切った。

若干三十二歳で社長に就任した鷺山仁(さぎやまじん)の初仕事は、父親である先代社長の訃報を自紙に掲載することだった。

・・・・・

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鳥の羽ばたきが聞こえた気がして、鷺山仁は目を覚ました。それで、ついうたた寝をしていたことに気がつく。

社長室の大きな窓の向こうには、暗い夜の街が広がっていた。時計を見ればもう日付が変わろうとする頃合い。地方都市であるここでは、この時間ともなれば県都とはいえ灯りもグッと少なくなる。

もう一度、仁の耳が羽音を捉えた。天井のもっと上で聞こえる、舞い降りる時に少し大げさに翼をばたつかせる音。

いったいどんな鳥が、こんな真夜中に飛ぶというのだろう。

仁は苛立たしげにため息をつき、テーブルの隅に置いていた水を一気に飲み干した。

機嫌が悪いのは妙な物音のせいだけではない。夢見が悪かったのもある。

ほんの数分のうたた寝の間に見た、不自然なほどはっきりと脳裏に焼き付いている夢。

夏の初めに社長に就任してからというもの、仁は三日と開けず決まった悪夢に悩まされていた。

━━夢の中は薄暗く、見回すと周囲には柵のようなものが巡らされている。柵は頭上の遥か上で一つにまとまるように窄まり、まるで鳥籠の中にいるようだった。

やがて仁は、鳥籠の中にいるのが自分だけではないことに気がつく。五メートルほど離れた先に十数名が佇んで、こちらを静かに見つめていた。

性別も年齢も、おそらく生きていた年代すらバラバラで、見たこともないはずの彼らのことが、なぜか手に取るように仁にはわかった。

袴姿で髪に大きなリボンをつけた少女は、明星新報創始者の娘、墨村ゆき。

その隣に立つ年配の女性は、ゆきの母である千代(ちよ)。

右目の下に小さな泣きぼくろのある女性は、二代目社長の妻で自殺したと言われている白鳥ハツヱ。

赤い着物を着た十歳ほどの少女は、三代目社長の早逝した許嫁、鷺山みの。

仁の親族だけではなく、縁もゆかりもないような少年少女も何人もいた。そんな彼らの名前も、次々と頭に浮かんでくる。彼らの素性を認識するのがまるで使命のように、仁は一人ひとりの顔を確かめていった。

集団の端の方に立つ黒のリクルートスーツを着た女性には、見覚えがあった。似鳥亜美(にたとりあみ)。彼女に会ったのは一度きりだったが、きっと一生忘れることはないと仁は思った。

似鳥亜美の隣には、いつの間にか明星新報の歴代社長の姿がある。

高祖父の鷺山治彦、その兄の白鳥明夫。曽祖父の正治、祖父の貞良、父の優。皆、社長室に飾られた写真そのままの無表情で、じっと仁を見つめていた。

ふと、背後から視線を感じた。振り向くと、そこには立派な肘掛け椅子に腰掛ける一人の老人の姿があった。

何歳なのかもわからないほど深く皺の刻まれた顔からは、表情は読み取れない。やがて仁は、老人に手足がなく、落ち窪んだ眼窩には目玉すら嵌っていないことに気付く。

老人は墨村新。明星新報の創始者だ。

彼は、ないはずの目で真っ直ぐに仁を見つめている━━

いつも夢はそこで途切れ、仁は毎回飛び起きる羽目になる。

もう一度大きなため息をつき、仁は椅子に深く体を預けた。

社長室の隅には階段があり、それは天井に不自然に取り付けられた扉に続いている。

嫌でも目に入るそれから逃げるように、仁は俯いた。

天井の扉の向こうで、羽音はまだ続いていた。

・・・・・

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巷に流れる明星新報の黒い噂が真実だということを知らされたのは、仁が大学を卒業した時だった。

卒業後は平社員としてではあるが、先祖代々経営している明星新報に就職していた。しかし仁は、父の言う通りに会社を継ぐことには反発していた。それは若かったからというだけでなく、明星新報がこのまま同族経営を続けていくことに疑問を感じていたからでもあった。

創始者や敏腕と評された三代目社長と比べると、仁は自分が格段に劣る凡人で、人の上に立てるタイプではないことをはっきり自覚していた。自分よりもずっと優秀でふさわしい人物が社内には大勢いることも、知っていたのだ。

そんな仁に、ある時父は数冊の古びたノートを差し出した。中には、黄ばんだ紙を和綴じに纏めたものも含まれ、かなりの年代を感じさせた。それを、有無を言わさず「見ろ」と言う。

訝しげにノートをめくった仁は、やがて総毛立つような寒気に襲われた。

「なんだよ、これ…」

「これらは、俺の親父や爺さんや、そのまた爺さんが残したものだ」

ノートには、「カラス」に対する苦悩や恐怖、あるいは後悔、そして、いつ誰を「供物」として捧げてきたのかが、どのページにもびっしりと書き連ねられていた。

目を通しただけで、文字一つ一つが黒い煙のように紙面から立ち上り、体にまとわりつくような錯覚に襲われる。

それは、明星新報の経営者たちがこれまでに積み重ねてきた、重すぎる罪の記録だった。

「カラスって、単なる噂じゃないのかよ。ていうかこれ、本当のことなのか? 今のこの時代に、こんな前時代的なこと、まさか続けてるんじゃないだろうな、オヤジ⁈」

父は仁の詰問には答えなかったが、それが答えだった。

「俺に、俺にどうしろって言うんだよ……」

力なくうなだれた仁に、父は冷酷に告げた。

「決めるのはお前だよ、仁」

「……」

「会社を継がず逃げるもよし、明星新報を潰すのもよし。俺も、親父からこの話を聞かされた時は恐怖したし、先祖に憤った。しかし結局、彼らと同じ振る舞いでこの会社を継続させてしまった。先祖たちと罪は同じだ」

パラパラとノートをめくりながら、父は独り言のように続ける。

「俺は罪深いが、その十字架をいつまでも背負って歩き続けられるほど強くはない。あと、十年ちょっとだ。それ以上は、俺の精神がもたない」

「…どういうことだ」

「あと十年ちょっとで、俺は社長の座を退こうと考えている」

それが何を意味するのか、仁にはすぐにわかった。祖父や曽祖父たちの奇妙な死因が頭をよぎる。

「ふざけんな、無責任すぎるだろ!」

「だから、お前には逃げてもいいと言っているじゃないか。もちろん、俺もその間に色々手は考えるつもりだ。といっても、先祖たちが逃れようとしてもその度に絡め取られたカラスの呪縛を解く方法が、俺に見つけられればの話だがな」

自棄になったようにニヤリと笑う父の後ろで、大きな羽音が響いたような気がした。

・・・・・

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六代目社長・鷺山優は、冷静さとユーモアを兼ね備えた理想的なトップと評されることも多かったが、その晩年は奇行が目立った。

ふさぎこんでいたかと思えば急に陽気に振舞ったり怒り出したり。家に帰ることはほとんどなくなり、年中社長室か社内の書庫にこもって資料をめくっていた。

周囲は当然心配し、中には遠回しに精神科の受診を勧める人もいたが、聞く耳は持たなかった。

社長付きの秘書となり唯一事情を知る仁だったが、父の助けにはなれなかった。彼は彼で迷っていたのだ。このままこの明星新報を継いでいいのかどうか。

仁の迷いを断ち切ったのは、一枚の書類だった。優がひっくり返し部屋中に散乱した紙切れたちの中に、それはあった。

それは一見なんの変哲もない、就活の際に出される履歴書だった。

飾り気のないスーツに身を包み、生真面目な表情で撮られた写真。緊張感が伝わる文字で書かれていた名前は「似鳥亜美」。

仁は思わず息を飲んだ。

亜美と会ったのは四年ほど前の一度だけだ。緊張した面持ちの彼女を、仁が社長室まで案内した。

その先に何が待ち受けているのかを知りながら。

亜美はあれから、数年経った今でも、社長室から出てこない。

━━なんだ、俺も同じじゃないか。

仁はそのことに気づき、愕然とした。

いや本当は、異形の者の手を借りて繁栄した恩恵を一身に受けて育った時点で、会社の暗部を知らずともすでに同罪だったのだ。

父は逃げてもいいといったが、すでに仁は逃げられないのだ。

逃げられないなら、戦うしかない。

似鳥亜美の履歴書を握りしめ、仁は決意した。

・・・・・

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仁の決意の一週間後、優は社長を退き仁に譲ることを公表した。優の近年の奇行を知る周囲の者は、致し方ないと首を縦に振った。

優は早くから社長交代の綿密な計画を立てていたようで、ことはスムーズに進んだ。仁がまだ若すぎるという声もあったが、それは社内のベテラン役員たちがフォローしてくれるという。

かくして大きな困難も混乱もなく、仁は明星新報の七代目社長に就任したのだった。

それからひと月後、優は「気晴らしに」と近隣の山に向かったまま、帰ってくることはなかった。

遺されていた本人の希望により、その葬儀は大企業の社長の物とは思えないほど簡素に執り行われた。

空の棺の中には、遺体の代わりにふんだんに入れられた白百合の香りだけが満ちていた。

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