中編4
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◆見えないモノ◆

「はい椥辻です」

「二十六木(とどろき)だが、朝早くに悪いな。あいつは起きてるか?」

「二十六木さんお久しぶりですね。今呼んできますからちょっと待ってて下さいね」

早朝にも関わらずいつも通り彼女が電話に出ると家主を呼びに行った。別に急を要する事ではないが、あれ以来こういった事が起こると念の為ここに電話をすることにしている。

「二十六木さん?久しぶりだね。相変わらず?」

「相も変わらずだよ。悪いな朝っぱらに」

椥辻生雲(なぎつじいくも)。こいつにはとある事件で世話になった事がある。表面上は解決していないその事件は俺には見えない怪異とやらが原因で起こった事らしく、椥辻の助力によってその事象は二度と起こらなくなった。それから度々「もしかして」と思う事件があった時はこうして連絡している。事情を話すと「じゃぁ、今から向かうよ」といつもの喫茶店で落ち合うことになった。

駅前の大通りから少し外れた場所にある小洒落た喫茶店は朝だろうが昼だろうが夜だろうがいつもがらがらだ。あいつと会う時にしか訪れないこの店だが、俺以外の客を一人も見たことがない。不味い珈琲を提供しているのならば閑古鳥が鳴くのも頷けるが、ここの珈琲は大層美味い。別に数多の喫茶店を訪ね歩くような評論家を気取るわけではないが、少なくとも署内で飲む珈琲と比べれば何十倍も美味い。そもそもここの珈琲とインスタントを比べるのは如何なものかと思うのだが…。

その美味い珈琲に舌鼓をうちながら俺はいつものように椥辻を待った。女房にやめろと言われているたばこに火を点け、煙を深く吸い込み天井に向かって一気に吐き出した。ぐるぐる回る天井扇に煙がさらわれ四方へ消えていく。そんなことを繰り返してたばこが一本終わる頃、扉が開くのと同時に心地の良いドアベルの音が響いた。見ると相変わらず怪しい風貌のあいつが入店してきた。マスターに「いつものね」と注文を済ますと俺が座るテーブルにやってきた。

「禁煙したって言ってなかった?」

「そんな事言った覚えはない。女房にやめろと言われてるだけだ」

「そうかい。それで、また怪異絡みの事件かい?」

その前に今回の件の次いでにもう一つ訊きたい事があった。

「本題の前に一つ。先日ばらばら殺人の被疑者が勾留中に謎の死を遂げたんだが、お前心当たりあるか?」

椥辻はにこにこ笑うと「さぁ」と曖昧に答えた。

「まさかとは思うが、殺された女が化けて出て男を呪い殺したなんて事は…」

怪談じゃよくある話だ。根拠のない作り話だがこいつと出会ってからはそれが当たり前になってしまった。

「心配は無い。事が大きくなればちゃんと対処はする。それより本題は?」

こいつが心配ないと言えばとりあえずは平気なのだろう。とにかく今はこっちが優先だ。俺は昨晩出頭してきた男について椥辻に説明した。

ただのはずみ。殺すつもりはなかった。恋人と口論になりそれがエスカレートして…。気がつけば男は女を殺していた。死体は毛布で包むとガムテープで何重にも巻きつけて山奥に遺棄した。

だが、いつかはバレるだろう。男もそれはわかっていた。女の両親や友人、そして仕事先。突然音沙汰なく消息をたてば誰かが気づく。そして半同棲状態の男が疑われるのは当然のこと。その日から日常は恐怖に支配された。罪悪感で押しつぶされそうになる。気が狂いそうだった。

そんなある日。視線を感じて振り返ると壁に黒いシミのようなものが二つ見えた。ゆっくり近づくとそれがなんなのかすぐにわかった。それはじっと男を睨む目だった。恨めしそうに、妬ましそうに、怒りに満ち満ちた視線。

目は男についていくように行く先々ありとあらゆる場所にいた。家の壁や階段の手摺、電柱やカーブミラー、エレベーターの「開」と書かれたボタン、マネキンの顔やすれ違う人の背中。男を睨む目は片時も離れなかった。やがて目は四つ、六つ、八つと増えていき、どこへ行こうが幾つも目が男を見ていた。

「あいつが俺を見てる。あいつが…、あいつが…」

気がつけば目は壁や床、天井にぎっしりと敷きつめられ、その全てが男をじっと睨みつけていた。

「やだ…。もう耐えられない…。もう無理だ…。許してくれ…。たのむ…。おねがいだからゆるしてくれ…」

拘置所で男は何かに怯えるように蹲って震えていた。

「で、この男が言う目とやらはあるか?」

恋人を殺したらしい男は至る所にある自分を睨む無数の目に耐えられず昨晩自首してきた。今は男の証言をもとに遺体を捜索している。

「目は…、悪いけど僕には見えない」

「見えない?そんな事あるのか?お前にも見えないもんってのが…」

「仮に僕に見えないモノが存在するならそうなんじゃないかな」

「もしかしてこの男の妄想か?罪悪感かなんかで見えていると錯覚して…」

幽霊が見える、というのは幻覚や妄想でそういった類が見えてると脳が錯覚を起こしているのが原因だと思っていた。こいつと会うまでは。

「罪の重さに耐えられず、見えない何かに押し潰された人間を何人か見た事はある。そのいずれも僕には見えない何かに怯えていたよ」

壁に耳あり障子に目ありとは言うが、そんな状態なのだろうか。男は相変わらず見えない無数の何かに怯えていた。

「今回は僕の出る幕じゃなかったね。まぁ、何も無くて安心したよ」

「わざわざ出向いてもらったのに申し訳なかったな」

「構わない。あの時の事もあるからね。また何かあったら連絡してよ」

椥辻は「それじゃぁ、またね」と去っていった。

遺体が見つかったのはそれからすぐの事だった。死後何日か経過して腐乱が進んでいる遺体には何故か眼球が二つなかった。眼球がなくなった詳しい要因は今もわかっていない。

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