短編2
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懺悔のネガ

修学旅行での話………と言うより、以後の話と表現した方が適切かも知れない。

岩手の某高校での修学旅行は、関西方面迄新幹線で行き伊丹空港より広島、京都に奈良に大阪と中国地方1県と関西2府1県と今思えば目まぐるしい移動に見えるが、当時は友人も居なく御情け同然で入れて貰った班のメンバーに気を使う感じで、バタバタしていて、何処がどうだのと言う感覚も無かった様に記憶している。

然し、そんな中でも広島の原爆ドームにいわゆる原爆資料館───平和記念資料館───やその夜に聴いた被爆者の方の講話は重味が有り、原爆に関する資料を読み過ぎて小学校高学年の辺りから数年、被爆する夢を見たりしていた私からすれば、おかしな言い方をすると、非常に重要な良い機会に恵まれたと感謝せずにはいられなかった。

平和記念資料館………原爆資料館に関して話を戻すと本当はやってはならない真似をしたのだろうが、私はいわゆる使い捨てカメラで、ボロボロになった犠牲者の衣服や、原爆の落とされた8:15頃で停止した時計等を見てシャッターを切ってしまっていた。

原爆ドームも、当時補修工事が施されていた際の現状をフィルムに納めている。

で、修学旅行を終えて後日、現像を依頼した店にもう一度足を運んで写真と共にネガを頂いて、自室の机にバラリとやろうとしたのである………が、

は?

確かフル27枚まるまる風景写真として、使い捨てカメラでありながらフィルムを使い切った筈なのに、10数枚しか現像されているものが無い。

ネガを透かしてみると………

感光したかで、半分程が真っ黒。

真っ黒な奴が全部、あの原爆資料館にてシャッターを切った奴ばかりではないか。

「おおう、光源が弱かっただけとは思えない」

本当ならば撮影禁止だったろう場所で、シャッターを切っていた自分こそが本来ならば許されざる真似をした筈なのに、私は頭が混乱していて身内にも明かせず十数年が過ぎた。

原爆ドームを撮った写真は美術の授業で、大いに活用されたのであるが、あの真っ黒になってしまったネガは何が有ったのか………

何故ああなっていたかを、あの店の従業員にでも訊いて見れば良かったのかも知れない。

Concrete
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