霊安室に響く「通りゃんせ」

中編6
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霊安室に響く「通りゃんせ」

その日はとにかく、私はとても疲れていました。葬儀屋の仕事は、忙しいときと、暇なときの予測がつくわけもありません。ときには、天使が降りてきたようにお葬式がなかったり、はたまた悪魔がやってきたように立て続けにあったりします。ビジネス的には、皮肉にも逆になってしまいますが…。その日は、ちょうど“悪魔の日”でした。

私は1件お葬式を済ませて、一息つく暇もなく、ある病院にご遺体をお迎えにあがりました。お亡くなりなった方は、60代の女性で、今のご時世ではまだ若すぎる死といえますが、長い間病んでいたということで、ある程度“ご覚悟”があったようです。電話口のご家族の声はとてもしっかりとしていました。ですから、私は内心ほっとして、少しいつもより気がぬけていたのだと思います。

病院側がご遺体の処置を終えるまで、私はご遺体とご家族を霊安室で待っていました。ここの病院の霊安室は地下1階。霊安室1、霊安室2、霊安室3、と並んだ中の、その日は確か2だったと思います。

時計を見ると、夕方の6時を過ぎたところ。冬になりかけて、そろそろ日が落ちるのも早くなり始めていましたから、外はすっかり暗くなり、ぐっと気温も落ちていました。もっとも、ここには外の光など入りようはないのですから、昼だろうが、夜だろうが、変わりません。仏壇があるばかりのガランとした霊安室は、もはや時間も季節もないように感じられ、蛍光灯の明かりはあっても、いつもなんとなく暗く、ひんやりとしています。

(随分と待たせる…)

指定された時間はとっくに過ぎていました。パイプいすに深く腰を下ろし、ただひとり、静けさに身を任せていると、しだいにまぶたが重くなり、「寝ちゃいけない」と思いながらも、うつらうつらとしてきました。

私は目を閉じていましたが、完全に寝たわけではなく、半ば寝て、半ば起きている状態だったと思います。

ーりゃんせ、通りゃんせ・・・・

ささやくような、ひそやかな声でした。ゆっくりとした風にのせられて、やっと私の耳にたどり着いたかのように、小さな、小さな、歌声でした。

こぉこは、どぉこの細道じょぁ。天神様の細道じゃぁ・・・・・

なんて楽しそうなんだろう。クスクス笑いながら歌う、幼い少女の声でした。

私はゆっくりと、ようやく、目を開きました。

黒々としたおかっぱ頭をした、とても色白の女の子がいました。小学生になるちょっと前くらいの年頃でしょうか。細い目をしていて、ほっぺたがふっくらとしているさまが、とても可愛らしく見えました。白い半袖のブラウスに、黒いプリーツのひざ上のスカート、つややかなエメラルの黒い靴。最近は大人顔負けのデザインの服を子供たちが平気で着ていることを思うと、やけに素朴に感じられます。

ちょっと通して、くだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ・・・・

女の子は仏壇の前に立っていて、仏壇の反対側の部屋の隅にいる私のことは、まったく目に入らないようです。幼い子供ならではの、奇妙なほどのひたむきさで、私ではない“何か”に向かって彼女は歌っているのです。おかっぱ頭は彼女の唇の動きに合わせて、しきりに揺れます。その細いわりに光の強い黒い目は、じっと一点を見つめています。

そのとき、私の体はむやみに重く、指先一本動かすこともできませんでした。頭のほうはなお重く、やもすると眠りに落ちてしまいそうになります。ただ、冷たい汗がシャツと肌を密着させ、気持ちが悪いという感覚はありました。

この子の七つのお祝いにぃ、お札を納めにまいりますぅ・・・・

女の子は両腕で、ちょうど半分のアーチのような形をつくります。小さいときに近所の仲間たちと、この歌にあわせて遊んだっけ。二人の子供がつくったアーチ、当時は関所と呼んだけど、ようするに腕の門を、ほかの子供たちが列をつくり、頭をかかげて通りぬけるだけ。今思えば、たいしておもしろくない「くぐり遊び」だけど。

そういえば、あの門はいったいなんの門だったのだろう。

女の子の前にぼんやりとした、白い煙のような影が現れました。それは、少し腰が曲がった、背の低い老人のようでした。

行きは、よいよい、帰りは怖い、怖いながらもぉ・・・・

白い影は、女の子の腕の下にある門を、なおも小さくしてくぐり、ふっ、と消え去りました。

「あっ!」

私の口から思わず声が漏れました。歌はそのとき、ぴたりと止みました。

女の子はそのおかっぱ頭を向けて、はっきりと私のほうを見つめていました。

通りゃんせ、通りゃんせ

再び初めから女の子は歌い出しました。さきほどとは違い、その歌は部屋全体を震わせ、わんわんと響いています。歌はしだいにテンポが速くなっていき、極端に音程も狂い、ヒステリックな響きを帯でいきます。まるで女の子の腕、この門を、「早くくぐれ!」とでも、しきりに急かすように。

こぉこは、どぉこの細道じゃぁ天神様の細道じゃあ

ちょぉっと通して、くだしゃんせ、御用のないもの通しゃせぬ

この子の七つのお祝いにぃ、お札を納めにまいりますぅ

行きは、よいよい、帰りは怖い、怖いながらもぉ・・・・

確かに女の子は「くぐれ」と迫ってきているのです。そうです・・・・もちろん、私に!

女の子の視線から、私は逃れることはできませんでした。そのとき、私は必死で叫んだような気がします。

「おれはまだ、くぐらない!!」

私にとってこの出来事は、あまりに生々しく、恐ろしい体験でした。

しかし、女の子の姿が消え、ご遺体とご家族が到着すれば、取り乱した様子を見せるわけにはいきません。私は背筋をただし、何事もなかったように、神妙に振る舞うのです。そうして、葬儀屋として業務を行っているうちに、私の心はしだいに静まってきました。日常の行為が“あちら”から連れ戻してくれたように感じられます。

ご遺体を自宅に送り届けたときには、あれは霊安室で寝たりしたものだから、おかしな夢でも見たのだろう。と思うようになっていました。

ご遺体とはいえ、自宅にもどり、自分のお布団に横になると、その顔はほっと安らいだように見えます。

「よかった・・・・。なんだか母さんうれしそう」

故人の娘婿さんが涙声でつぶやきました。

「ね、ゆりちゃん」

ゆりちゃんと呼ばれた女の子は、故人のお孫さんなのでしょう。小学校にあがるか、あがらないか、それくらうの年頃でした。細いおさげ髪を揺らして、大きな目で初対面の私のことも、興味津々な様子でじっと見つめてきます。そして、目があうとにっこりと微笑みかけてくるのでした。物怖じしない、とてもかわいい女の子だなぁと思いました。

しかし、ほかの大人がいなくなったときに、祭壇の設置をする私のそばに来て、ゆりちゃんは、こっそりささやいたのです。

「お兄ちゃんもくぐってみればよかったのに」

ゆりちゃんはそう言うと、もう私のそばに寄ってくることはありませんでした。ゆりちゃんがクスクス笑う様子は“あの子”によく似ていたような気がしました。

思えば「通りゃんせ」の調べと歌詞は、多くのわらべ歌がそうであるように、とても謎めいています。「通りゃんせ」で一番不思議なのは、なぜ「行きはよいよい」に対して「帰りは怖い」のかということではないでしょうか。「この子の七つのお祝い」といってますが、子供は7つになるまで神様の庇護(ひご)の元にあって、いわば“神様の子供”で、7歳をむかえると大人の領域に達したとされ。神様の庇護を失い、お札もお返ししなくてはいけないという伝承があるそうです。そのため、お札がある「行きはいい」けど、お札ものない「帰りは怖い」となるのかもしれません。

7歳をむかえる前の子供たちは、“神様の子供”として、大人にはない、不思議な力が備わっており、知らずに特別な役割を果たしているのかもしれません。いずれにしても、その領域にはもはや私たちが立ち入ることは、許されないでしょう。

怖い話投稿:ホラーテラー KHさん  

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