中編4
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田辺

祖父が亡くなる前に、彼の戦争体験を聞いたことがある。

それまで私は大学の研究などで戦争体験者の話を伺う機会があったのだが、当時健在だった父方の祖父母とはどこか関係の希薄な部分があり、気恥ずさでなかなか聞きだせなかった。しかし研究課題の一環を名目に、ようやく祖父と正面から話す機会を作れたのが今から3年前。翌年には痴呆がかなり進み、会話が難しい面があったため、よくよく貴重な機会であったと思う。

戦争体験談の大部分は、ここに紹介するような内容ではない。

田舎暮らしで生きがいを見失いかけていた青年が、命をかけた戦いに心を高揚させたこと。軍のまったく緊迫した生活は、毎日新しい学びと刺激に満ちていたこと。古参兵の意地悪さに辟易し、終戦直前には口に出せないようなえげつない仕返しをしたこと。大切な戦友を失った、地獄のような前線の経験。ときには一日の出来事を2時間も話すことができるほど、彼の戦争当時の記憶は細やかで正確だった。

そんな数多くの話のなかに、ひとつだけ説明の難しい、不可解な出来事があった。

関係者の方への配慮として、詳しい場所や日時はすべて省略させていただく。

(実は録音してない部分だったので私自身の記憶が若干怪しいせいもある)

とある島で争われた前線での出来事だ。

日本軍はかなりボロボロに追い詰められ、祖父の小隊は敗走を余儀なくされていた。

このとき祖父らは襲撃点に向かって6班に分かれ行動していたが、4日目の昼に雨のような砲撃。小隊長が死亡し、前方を進んでいた2つの班が全滅。援軍は来ないという噂が色濃くなり、戦意を失った。敗走する彼らへの追撃は半日もせず静まったそうだが、その途中で祖父は、軍で知り合った同郷の田辺(仮名)を失った。

「夢中で走っていたら、右から軽機関銃のツタタタタって音が聞こえてきた。俺は思わず木にしがみついた。すると左脇を走っていた田辺がエグッて変な声をあげて、板みたいにまっすぐ倒れた。首と顔が真っ赤だった。俺と目が合い、口だけで何か言っていた。ろくに武器もない俺たちは、目を伏せて逃げるしかなかった」

さらに4時間走り続けたところで他班の生き残りと合流し、即席の塹壕を掘って夜を明かすことになる。不可解な出来事は、その夜に起こった。

おそらく深夜の1時くらいだったろうと祖父は言う。草を踏み歩く音が聞こえる。壕から顔を出すと、小柄な男がそこに座っていた。坂越と名乗る男は、別の大隊にいた砲撃主だという。小さな明かりを当てて息を呑んだ。

顔は、田辺の生き写しだった。声も喋り方も違う。別人なのは間違いない。何度もマジマジと見る。しかし顔はやはり田辺そのものだった。不気味な恐怖を覚えたが、血のにじむ汚い布を足と肩に巻き、満身創痍といった様子。ひとまず彼を壕で休ませると、1人用のタコツボもぎりぎり2人収まった。全員が疲弊しきっている状況だからこそ、次の朝、上官に坂越のことを報告するつもりになっていたという。

しかし落ち着かなかった。

20分ほどして坂越は寝息を立てている。顔が田辺に似ているのも気持ち悪かった。しかし、この状況で上官への報告を遅らせたらマズイだろうかと心配になった。今ならまだ許される、祖父は考え直しタコツボから飛び出した。「あ、待て」小さい呟きが聞こえた。走り抜けていく祖父のズボンを一瞬、坂越がつまんで引こうとしたのがわかった。祖父は振り向く。

視界が真っ白になった。轟音は祖父を体を乗せて、数メートル先の草むらまで運ぶ。祖父は自分が地面に落ちる音を聞いて、攻撃されたとわかった。仲間が何人か外へ出てきた。

「なんだ!?」「どこだ!」

「ちくしょう!バカな!こんな時間に撃てるわけがない!」

幸いに祖父は、落下で足を捻挫しただけだった。

光が目に焼きついて周囲がよく見えないが、祖父がいたタコツボは小さなクレーターになり、坂越だったと思われる塊がいくつか転がっている。小さな明かりが見えた。当時の、四角い缶に入った懐中電灯だった。坂越がその光で何をしていたのか、今はもう誰にもわからない。

戦後、祖父は偶然に坂越の遺族と出会う機会があった。祖父は遺族の抱える写真を見て愕然とした。頬骨、鼻筋、目つき、どれをとっても坂越と田辺は似るはずのない顔だった。

「今でもよくわからない。その原因が田辺の何かだったのか、俺の何かだったのか。そして、あの真っ暗な夜に、誰がどこから攻撃したのか」

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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