中編3
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最後の挨拶

文化2年(1805年)、神田橋のあたりに一人の金持ちの老人が住んでいた。その老人は、一人の少女を幼い時から家で使っており、少女自身も、田舎から出て来てその家で一生懸命働いていた。

老人は少女をたいそうかわいがり、少女に仕事をさせるだけでなく、裁縫や文学など色々な習い事もさせ、きちんと教育もしていた。ある日少女が楽器を習ってみたいといったところ、老人は快く承知し、屋敷へ出入りしていた琴の師匠に頼んで少女に琴を習わせることにした。

少女の覚えは早く、ほどなくして琴をマスターしてしまった。双方共に幸せな日々が続いていたある日、少女は熱を出して寝込んでしまった。最初は風邪だろうと思っていたが、なぜか病状は悪化する一方で、老人もすぐに医者を呼んで診てもらうことにした。

医者が言うには、これはかなりの大病らしい。「万が一のことがあるかも知れません。これは親元に返した方がいいでしょう。」医者にこう言われて、老人はすぐに少女を親元へ返してやった。もしもこのまま少女が死ぬようなことになったら、せめて親元で・・と思ったのである。

少女が帰って何日か過ぎた。ある晩、老人が寝ていると、少女が突然枕もとに現れた。

「どうしたんだ!? 病気はよくなったのか? いつ帰ってきたんだ?」

老人はびっくりして尋ねた。

すると少女は泣きながら「ご隠居様。幼いころから大変お世話になりました。私を自分の子供以上に大切に育ててくれまして、いつかお礼をいわなければ、と思っていたのです。今となってはまもなくの命となり、せめて最後にご隠居様に一言お礼が言いたくて帰ってきたのです。」

「何を今更改まって言ってるんだ。私の方こそ、これまでよく働いてもらって礼をいうぞ。確かにお前がいなくなってから私も不自由しているが、まだ完全に良くなってないんだろう?ゆっくり休んで早く元気になっておくれ。」と、老人が言うと、

「身に余る言葉、光栄です。ありがとうございます・・。」

そう言って少女は部屋から出ていった。

次の日、老人は少女が本当良くなったのか、病気の間はどうだったのか、様子を聞きたくなり、人を少女の両親の元へやった。実家に帰っていた時のことを聞こうと思ったのである。

だが、使いの者は帰ってきた途端、「あの少女は昨晩亡くなったそうです。」と告げた。

「そんなバカな・・。昨日の晩、私の枕もとに少女は帰ってきていたのに・・。」

老人が不思議がっていると、そこへ少女の琴の師匠がやってきた。琴の師匠は老人を見るなり、「ちょっとお話したいことがあります。」と、話しかけてきた。

「今朝私は、少女の親元へ様子を見に行って来たんですが、そこで少女が亡くなったことを告げられました。何でも昨日の晩、急に容態が悪くなったそうです。

ですが両親が言うには、少女が布団の中で苦しみながら、しきりに『私を抱き起こして下さい』と頼んだんだそうです。両親もなだめて安静にしておくように言いましたが、あんまり熱心に頼むので抱き起こしてやると、少女は畳の上に正座し、手をついて・・あたかも目の前に人がいるかのように話しかけ、何かの返事を聞いてはまた目の前の見えない誰かにお礼をいい・・というような行動をしばらくとった後、『身に余る言葉、光栄です。ありがとうございます・・。』と言ってまた布団に入り、『もはや心残りはありません』と言って、そのまま亡くなったそうです。」

琴の師匠の話を聞いて老人はびっくりした。少女の生死の境での思いが老人に伝わってきたのだ。少女の最後の本心を聞いて、老人は涙が止まらなかった。

怖い話投稿:ホラーテラー 雫さん  

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シンプルでありがちな話だけど文章が読みやすくてよかった。この話の出来事が起きた年が書いてあるんだけど、この話って実話?