中編7
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コインロッカーベビー

ある若い女性が望まぬ妊娠の後、出産。

しかし彼女は母親としては未熟過ぎた。

天涯孤独の身、親族、親しい友人もいない。

誰にも相談できず、父親も解らない赤ん坊を彼女は育てる自信がなかった。

あろうことか彼女は、かわいいはずの我が子をコインロッカーの中に置き去りにしてしまった。

「ごめんね・・・。」

泣き叫ぶ赤ん坊の声は都会の駅の騒音にかき消された。

あの日から十年の時が過ぎた。

罪悪感と後悔の念から、その駅を利用することを避けてきた彼女だったが、今日はどうしてもその駅に行かねばならない。

遠方の取引先の人間を駅まで迎えに行くのだ。

最初は重い足取りだった彼女も、十年の月日は長く、駅に着いても思いの外、心乱れる事はなかった。

改札口まで行くにはあのコインロッカーの前を通らなければならなかった。

しかし、この十年の間にコインロッカーは新しく作り替えられたらしく、雰囲気が変わっており、それもまた彼女を安心させた。

それでもさすがに、コインロッカーを直視する事はできなかった。

例のコインロッカーの前を俯いて歩いていると、一人の泣きじゃくる男の子が目に入った。

周りを歩く人々は、男の子には目もくれず、無関心に、足早にその場を後にする。

「都会の人間は冷たいな・・・。」

新幹線の到着まで時間はある。

彼女は男の子に話しかけた。

「どうしたの?」

答えない。

「僕、迷子かな?」

相変わらず、男の子は泣いたままだ。

「お父さんやお母さんはどこかな?」

男の泣き声がぴたりと止んだ。

そして、俯いた顔をゆっくりと上げて言った。

「ママは目の前。」

「え?」

彼女は、彼の言う意味が解らなかった。

女が言葉に詰まっていると、男の子はこう続けた。

「昔ね、あなたにこのロッカーに捨てられたんだ。」

彼女は驚愕した。

コインロッカーに赤ん坊が捨てられていた事件は有名にはなったが、その張本人が私だとは誰も知らないはず。

ちゃんとした病院には行かず、身許を明かす事なく出産した。

出生届けも出していない。

第一、こんな子供が知っているはずがない。

女は頭の整理が出来ず、その場に立ち尽くした。

男の子は続けた。

「とっても暗かったよ。とっても寒かったよ。何度呼んでもママは来てくれなかったね。」

女はあまりの事に気を失いそうになった。

この子は私が十年前に捨てた子だ。

私を怨んでいるんだ。

私がこのコインロッカーの前に現れる時をずっと待っていたんだ。

女はその場にへたりこんでしまった。

「名前が欲しかったんだ。」

「え?」

男の子から出た意外な言葉に女は驚いた。

「ママ、僕はね、ただ名前を呼んで欲しかったんだ。僕がこの世に生まれて来た証として。一度で良かったんだ。名前を呼んで欲しかった。」

「怨んで・・・ないの・・・?」

女は震える声で返した。

「そんなわけないよ。だって僕、ママの事大好きだもん。」

彼女は強い後悔と共に涙ぐんだ。

「ごめんなさい・・・。」

「ママ、僕生まれ変わって、もう一回ママの子供になる。その時はちゃんと僕の名前、呼んでね。」

男の子はそう言うとニッコリと満面の笑みを浮かべた。

彼女はもはや、涙のあまり言葉を返せなかった。

何も言えないでいる彼女の目の前で、男の子は穏やかな光に包まれゆっくりと消えて行った。

彼女は人目もはばからず、泣いた。

溢れる涙を抑えきれず、大声で泣いた。

過ぎ行く人達は、怪訝な顔をしながら一人泣き叫ぶ女性を横目に立ち止まることなく歩き続けていた。

時は経ち、彼女は愛する人と共に家庭を築いた。

お腹に宿った、ひとつの新しい生命と共に。

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吐く息も凍りそうな寒い冬。

女はついに出産の日を迎えた。

「やっとまた会えるね。今度は絶対に離さない。

今は愛する人と暮らし、幸せな日々を送る彼女にとって今回の出産は、一度目とは比べものにはならないほど、希望に満ちあふれていた。

今から生まれて来る子は、あのコインロッカーで会った子の生まれ変わりだ。

これからこの子に愛情を惜しみなく注ぎ、育てることで、やっと罪滅ぼしができる。

女はそう考え、この日を待ちわびて来た。

出産は至って順調に進み、問題なく無事、健康な女の子が生まれた。

子供の性別を聞いた女は違和感を覚えた。

「あの子の生まれ変わりなら、男の子が生まれると思ったのに・・・。」

そう思っていた女は、前もって医師にも我が子の性別は聞いていなかった。

「もしかしてあの子の生まれ変わりではないのでは・・・。生まれ変わっても性別が同じとは限らないのかしら。そもそも、あのコインロッカーでの出来事自体、私の罪悪感から来る幻想だったのでは・・・。」

しかし、女にはそれを確かめる手段がない。

それでも彼女はこの女の子を、溢れんばかりの愛情を以って、育てた。

それが若き日に自分が犯してしまった罪への償いになると信じて。

それから時は過ぎ、女の子も小学四年生になった。

毎年冬休みに入ると、夫の両親がこちらを訪ねて来るのだが、義父が腰を痛めてしまい、そのまま寝込んでしまった。

そうした理由で、お見舞いも兼ねて、今年の冬はこちらから夫の実家に出向く事にした。

しかし、夫は急な仕事が入り、行けなくなった。

夫の運転する車で行く予定だったが、生憎女は自動車免許を持っていなかったので、やむなく新幹線で行く事になった。

新幹線に搭乗するには、あのコインロッカーがある駅を利用するしかない。

普段、普通電車を利用する分には、最寄の駅で事足りるが、その駅には新幹線は止まらなかった。

気の進まない彼女ではあったが、久しぶりの小旅行を楽しみにする娘を見て、そうせざるを得ないと、自分を無理矢理納得させた。

出発の日が来た。

大きな荷物を笑顔で入口まで運んでくれたタクシーの運転手に頭を下げながら、母娘は駅に入った。

娘ははしゃいでいるのか、一人で先に改札口に走って行ってしまった。

「新幹線の切符はママが持ってるんだから、一人じゃ改札通れないわよー。」

そう言いながら、女は娘を見失いながらも、追いかける。

やがて、女は俯き、立ち止まっている我が子を見つけた。

「一人で不安になっちゃったんでしょう?ダメじゃない、ママと一緒にいなきゃ。」

駅の無機質な床を見つめて、下を向いている我が子に女は優しく声をかけた。

「ママ、覚えてる?」

「え?何を?」

女は何気なく言葉を返した。

「私ね、昔ここでママと会った事があるんだよ。」

「あ・・・。」

この子とこの駅を利用するのは初めてだ。

だが、女は娘の言っている言葉を理解した。

子供を探すのに夢中で気づかなかったが、ここはあの例のコインロッカーの前だ。

胸に熱いものが込み上げてきた彼女は、夢中で娘を抱きしめた。

「やっぱりあの子の生まれ変わりだったんだ・・・。幻想なんかじゃなかった。」

女は例えようのない不思議な安堵の気持ちと、また生まれ変わって来てくれた我が子への感謝の気持ちと共に、娘を強く抱きしめた。

二度と手放さないという強い決心と共に、何度も何度も娘の名前を呼んだ。

あの日の男の子の願いを叶えるように。

「僕ね、この日を待ってたんだよ。」

不意に、娘は言った。

それと同時に

ドクン。

胸の辺りに今までに感じた事のないような、激しい痛みを女は覚えた。

息ができない。

声を上げる事も出来ない彼女はすがるように、娘の顔を見た。

女は娘の顔を見て驚愕した。

娘の顔は、あの日の少年のものだった。

しかし、あの日の屈託のない笑顔ではなく、例えようのないほどの怒りの表情をしていた。

怒りというより、怨みと言ったほうが正しいのだろう。

「やっとここに僕を連れて来てくれたね。ここじゃないとダメなんだ。僕の怨みが溜まってるこの場所じゃなきゃ。」

既に意識を失った女の耳には男の子の声は届かなかった。

程なくして、女は絶命した。

「ママー!どうしちゃったのー!」

駅には、動かない母親を両手で揺さぶりながら泣き叫ぶ女の子の声が響き渡った。

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また長い時が過ぎ、その間に女は転生した。

生まれ変わった女は15才になっていた。

母親との二人暮らし。

前世の報いだろうか。

幸せな日々は送れていなかった。

母親による虐待のためである。

食事を与えてもらえない事もよくあり、女は痩せ細っていた。

理由もなく、暴力も振るわれた。

死にたいと思った事は何度もある。

だが、

「ママが私を嫌うのは、私がどこか悪いからだ。それを直せば、愛してもらえるはず。」

そう信じてなんとか生きてきた。

そんな少女の心にも限界がきた。

ある日、彼女は泣きながら母親に訴えた。

「ママはどうしてそんなに私を嫌うの?血が繋がっている母娘なのに!」

すると母親は今まで見たことのないような険しい表情になった。

娘を睨みつけ、全身を小刻みに振るわせている。

そして、怒りに震える声でこう言った。

「ついにそれを・・・。」

あまりに低く、かすかな声であったため、娘にはよく聞き取れなかった。

「お前が・・・。」

「どういう・・・。」

母親は何度かぼそぼそと呟くと、更に顔を強張らせ、娘を睨みつけた。

続く。

怖い話投稿:ホラーテラー ひろしさん  

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