短編2
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夏の終わりに

9年前の盆も過ぎた夏の終わりの月曜日、通訳のHさんの携帯が変わっていた。

「携帯、変えたんですか?」

と尋ねた私に、Hさんは、

「ああ…」

と言って、苦い顔で話し始めた…。

土曜日、Hさんは日系ブラジル人の若い兄弟を連れて、海へ行った。

盆が過ぎたとはいえ、まだまだ暑い。兄弟は海に入ってはしゃぎ、Hさんは岸壁で釣り糸を垂れていた。

そこに一人の女性が来た。波打際に向かって、歩いて行く。

そして、服を着たまま海へと入って行った。

「服を着たまま海水浴か?」

快活なHさんは、奇特な人も居るもんだな…と思った。

その時、女性が振り向き、Hさんと目が合った。

悲しそうな、虚ろな顔…瞬間、Hさんは気づいた。

「自殺だ!」

釣竿を放り出し、砂浜へと走る。兄弟も気づき、必死に女性を助けようと泳ぐ。

走りながら警察に携帯で電話した後、携帯は海へと落としてしまった。

必死に泳ぐ兄弟の目の前で、女性は波間に消えてしまった…。

警察が到着し、女性は引き上げられた。

懸命の救命措置も虚しく、彼女はHさんらの目の前で亡くなった。

短時間で亡くなったのは、薬を飲んで入水したから…近くで遺書も見つかった…。

Hさんは、苦い顔のまま話してくれた。

兄弟の兄は、助けられなかったショックで錯乱してしまい、仕事中に会社を抜け出し、弟を連れて追った私から逃げ回った。

やがて、兄弟はブラジルへ帰国した。

「もう大丈夫?」

と尋ねる私に、兄は頷いたけど、大丈夫じゃないのは明らかだった。

自殺なんて…ときれいごとを言う気は無い。世の中、辛いことは沢山ある。

私も自殺を考えたことがあるが、する勇気も無い臆病者なだけだ。

いざ自分の目の前で、自殺があって、目の前で命が消えた時、正気でいられるかなんて分からない。

最期を迎える前に、必死に助けようとした人達が居たことは、彼女にとって救いにはなったのだろうか?

そうであって欲しい…と願うのは、理想主義者の戯言なのだろうか…。

怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん  

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