短編2
  • 表示切替
  • 使い方

歪みある愛情

生きている人の怖い話が嫌いな方は、スルーをされてくださいm(_ _)m

20年前、地方都市で両親とわたしと八歳下の離れた弟の4人家族で暮していた。

今は虐待の扱いは児童相談所で、本人の訴えを真面目に話を聞いてもらえます。

地方都市ではその頃は、虐待されてやっとの思いで駆け込んでも、話を聞いてもらうどころか、両親に反抗的で強めのしつけを受けた子供扱いで、「両親の言う事を聞かないから、体が痛くなるよね、全部あなた自身に問題があるのよ。」と職員から説教され、すぐ両親に引き戻されました。

父は学校行事は運動会と修学旅行以外地域の子供会の行事は参加を許してくれませんでした。

顔・腕・ふくらはぎ等制服で隠れる所以外は、正座をしたまま拳や竹の物差しで殴られました。

月末に父の仕事の集金が集まらないと余計酷くやられました。

理由は帰り時間が遅いからで(門限7時)、父は自分の手帳にわたしの帰宅時間を毎日記入していた。

先生や友人からの電話はまず、父が出て相手の連絡先と友人なら、親の名前学校名クラスの番号まで聞き、父が用件がわたしに必要性が無いと判断した時点で一方的切ってしまう。

友人たちは自然に距離を置き、口の悪い級友から「人間サンドバック」と呼ばれてしまいました。

体育の着替えで体中に青・黒・茶・赤・黄色のあざが制服から隠れている背中やお腹にたくさんついていたからです。

遊ぼうって言った友達も、友達の親へ父が「俺の娘と付き合うな!」と電話をするので、必要最小限に級友と接触するように気をつけていました。

家にいるより、学校にいる方がまだ身体的な暴力がなく安全に過ごせるため、真面目に勉強をして高校は卒業しました。

父はわたしが社会人になると、「今までの養育費を返せ!給料をよこせ!」と迫りました。

会社から手渡しされ給料を明細書と現金を確認してから父へ渡した。

いきなり父に腹を蹴られた。父はわたしの髪の毛をわしずかみにして、上を向かせて「給料袋を勝手に開けた!謝罪しろ!」と何度も土下座を強要しました。

さらに暴力が酷く執拗になりました。

わたしは車通勤で、毎日の走行距離を父は手帳に記入しました。

通常より距離が多いと暴力を受けました。夜10時から翌3時迄、真冬に髪の毛を掴まれたまま浴室に連れて行かれ、洋服のまま冷たいシャワーをかけられ、玄関前で、革靴で何度も腹を蹴られました。

三年後わたしは家出して音信不通です…

怖い話投稿:ホラーテラー 青いクマさん  

Concrete
コメント怖い
00
  • コメント
  • 作者の作品
  • タグ