その日は、早帰りでまだ日も暮れかけているうちに駅を出て、帰路についたのでした。
駅から自宅への帰り道、閑静な住宅街を通り過ぎます。すると幾分も歩かぬ内にこの辺りでは珍しい6階立てのマンションが目に付きます。
それが、Eの家です。
Eはそこの6階に住んでおり、駅からの帰り道にそのマンションを見上げると、一人暮しのEは洗濯物を取り込んでいる真っ最中だったりします。すると、自分はEに向かって手を振り、Eは自分に向かって手を振ります。もちろん逆もしかりです。
そんなこんなで自分はEのマンションの前を通り過ぎる時、Eの住む6階の××号室を見上げる癖がついた訳です。
そしてその日も、いつもの様にEの部屋を見上げたのでした。
その日は、Eは居ませんでした。早帰りなのに洗濯物がベランダに並んでいない所を見ると、今日は何らかの用事で外泊していた様に思えます。
しかし、その時何か黒い物が視界に入りました。
目を疑いました。その黒いものは確かに居ます。
壁に張り付いているのです。まるでその、喩えるならば闇の塊のような物が。
目をそらす事も出来ずにただ呆然と見つめる事しか出来ない自分の胸の中には、いつしか言いようの無い恐怖のような物が生まれていました。
するとその闇の塊はもごもごと動き出し、やがて一本の触手を出しました。するすると伸びるその触手は、やがて何処からか薄紫色の花の咲いた植木蜂を持ってくると、それを飲み込みました。
そして、消えました。
瞬きする間も無く、突然フッ…と。
自分の体を完全に恐怖が支配しました。
情けない叫び声や苦し紛れのお経を上げる事さえもありませんでした。
自分は、直後の記憶が無くなるほど急いで逃げ帰りました。
その後は、特に自分の身に何かあった訳でもありませんし、Eの身にも何かあった訳でもありません。
しかし、あの時自分の胸に芽生えた恐怖心が消える事にはありませんでした。何故なら、それからと言うもの、
自分の胸にもその闇の塊が張り付いているような気がするからです。
怖い話投稿:ホラーテラー 名も無き投稿者さん
作者怖話