長編8
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結 1

子供の頃のある日、母親の化粧品をこっそり使ってみた事があった。

化粧がしたかったわけではなく、髪の色を変えてみたくて。

テレビで見た海外のブロンド女性のあまりのかわいさに衝撃を受け…というしょうもない理由で。

欲を言えば瞳の色もどうにかしたかったのだが、どうやって変えるのかが分からず断念。

仕方なく髪だけでもやってしまおうと、母の鏡台からあれこれ持ち出して迷わず髪にぶっかけた。

何とも言えない強烈な刺激が頭部全体を駆け巡り、悶え苦しむ私。

目が痛い!と叫びつつ鏡を凝視していたところで、母帰宅。

当然のごとく私は凄まじいお叱りを受ける…と思いきや、その日の母の態度はいつもと違っていた。

母は普段から感情を表に出す事があまりなく、何というか冷たい人だった。

叱る時はきちんと叱るが、怒鳴ったり手をあげたりするんでなく、眉一つ動かさずに淡々と厳しい言葉を言い放つタイプ。

たとえ私が危険な目にあったとしても、少なくとも表面上は全く変化がない。

本人いわく「(表現するのが)苦手だから…」だそうだが、おかげで何かとあらぬ噂をたてられた事も多々あった。

私を虐待してるとか、家族を愛してないとか。

まぁこんな母なんだけども、この日はのたうち回る私を見るなり、珍しく感情を露にしてきた。

「何やってるの!」

怒鳴り声をあげ、慌てて私に駆け寄る。

見るも無残に散らばった化粧品には目もくれず、強引に私を抱き抱えて風呂場へ直行。

高そうな着物が濡れるのもお構いなしに、私の頭や顔をごしごし洗った。

その際、母は呟くようにこんな事を口にした。

「早く済んだらいいね」

私には言葉の意味が分からず、ただ黙っているしかなかった。

一通り洗い落とした後、私に着替えを促し鏡台の方へ戻っていく。

私が髪を乾かしている傍らで、母は散らかった部屋の後始末を始めた。

呑気に母の姿を眺める私に背を向け、母は聞いた。

母「何でこんな事したの。ちゃんと理由を言いなさいな」

私「髪の毛を金ぴかにしたい」

母「何で金ぴかにしたいの」

私「きれいだから」

母「金ぴかにしてどうするの」

私「したら決める」

母「これは髪の色を変えるものじゃないよ」

私「そっかぁ」

余分な言葉はあまり加えず、必要な事だけを聞き、答える。

いつもの会話の仕方だった。

怒りは感じられない。

何を思っているのか、娘の私にもいまいち掴めない。

少し戸惑う私を尻目に、母は言葉を続けた。

母「お化粧したいの?」

私「髪の毛だけしたい」

母「大人になったら、好きにできるじゃない」

私「今やっちゃダメ?」

私がそう聞くと、一瞬だが母の手が止まったように見えた。

母の手は散らかった化粧品を片付けている。

表情までは伺えなかった。

背を向けたままだったから。

そこからしばらく沈黙が続くが、突然思い立ったように母が立ち上がった。

静かに奥の部屋へと歩いていき、やがて何かを持って戻ってきた。

古ぼけた風呂敷に包まれたその何かを、そっと私の眼前に置く。

きょとんとする私の横に座り、ある部分を指差しながら口を開いた。

「ここ、見てごらん」

母の人差し指から先へ、私はゆっくりと視線をやった。

何かを包んでいる風呂敷の結び目の部分だ。

その結び目が視界に入った途端、風呂敷を中心に靄がかかったようになり、私は思わず目をこすろうとした。

痛みや痒みなどはなく、ただ目の前が不気味に滲んだようだった。

「なんか目が…」

とそこへ、横から母の手が伸びた。

一方の手で私の両手を優しく払い除け、もう一方の手で私の両目を覆う。

その動作よりも、母が手に汗をかいていたことが私を驚かせた。

「この結び方にはね、いろんな人の恨みや憎しみがこもってる。悔しいとか許さないとか、そういう気持ち。お化粧したくてもさせてもらえなかった、おいしいご飯食べれなかった、人として認めてもらえなかった、そういう気持ちがいっぱいあるの。お母さんが言ってる事、わかる?」

母はなるべく私が理解しやすいよう、慎重に言葉を選びながら話し始めた。

(そんな幼い時じゃないんだけども、ひらがなだけで文を書いてみせるような感じだったので、この投稿では読みやすいよう多少変えてます)

「お母さんとお前はね、その人達と繋がってる家の子なの。だから、もう大丈夫ですよ、安らかにお眠りくださいって、供養する習慣が昔から続いてるのね。そうしないと、何でこの子だけ幸せなの?何でこの子は生きてるのに私は死んだの?って、怒られちゃうから。この風呂敷の中に入ってるのは、お母さんからその人達へのお供え物なんだよ。」

話が進むたびに母の手は汗ばみ、心なしか震えているようにも思えた。

私は脳を揺さ振られたような感覚に襲われ、さっきまでの能天気さはすっかり消え失せていた。

何だか、頭がボーッとしていた。

そんな私に気付いたのか、母が不意に手を引っ込める。

汗で濡れた目を恐る恐る開いてみると、もう視界に異変はなかった。

結び目は母が着物の袖で隠していて見えなかったが、それでもそこに視線を向ける気にはなれなかった。

「お前にはまだお供え物を用意できないから、さっみたいに結び目もまともに見られない。私はあなた方の味方ですって、そういう意思表示をしてない状態だから。本当はお供え物をしてからじゃないと、絶対に見せちゃいけない。時期が来るまで出すつもりはなかったんだけど、お前はああいうバカな事する子だから。」

「金ぴかにしようとした事?」

「そう。お供え物には決まりがあってね、女性の場合は髪を供えなきゃいけない。」

「髪の毛、切らなきゃいけないの…?」

「大丈夫。切ってもおかしくならないよう、ある程度伸びた頃にやるから。害がないからって、何も考えずに切るわけにはいかないでしょう。女の子なんだし。」

言いながら、母は私の髪を撫でた。

まだ笑みを浮かべられる空気ではなかったが、何となく雰囲気が和らいだような気がした。

「これが今お前に話せること。もっと詳しい話は、髪を供えた後でないと出来ないよ。切る時期は、ちょうどいい長さになったらお母さんが言いますから。お前はそれまで髪をいじらないようにしなさい。さっきみたいなバカな事するんじゃないよ。髪を供えるの、いつまでも待ってられるわけじゃないんだからね。今お母さんが話した事は、忘れなさい。お母さんが分かってればいい事だから、覚えておく必要はないよ。覚えてても、その時が過ぎればお前にはもう関係なくなるから。金ぴかにしたいなら、それからね。大人になってから、好きにやりなさいな。」

母は私の視界に結び目が入らないよう気を配りつつ、風呂敷を持って奥へ歩いていった。

私の髪はいつの間にか乾いており、何だか妙に痒い。

変なブツブツでも出来てたらやだなぁと不安になり、結局自分でもう一回洗った。

私が風呂場から戻ると既に母はいつもの母で、さっきの話に関する事は何も口にしなかった。

この日についてはここまで。

この日から髪を切った日までだいぶ年数が経ってるんだけども、その間は特に言及するような事もなく。

母が何かしら話す事もなかったし、私から聞く事もなかった。

風呂敷もどこにしまってるのか、一切知らないまま。

ちなみに、父もいつも通りだった。

髪を切ったのは、16歳の時。

遅いか早いかは判断しようがないが、私は意外と遅いんだなと思った。

考えないようにはしてたものの、やっぱり忘れられなくて、伸びた髪を見るたび怖かった。

あぁもうすぐなんだろうなぁ、って気持ちで一杯だった。

とりあえず、ここからその切った日の話を。

高校に入って数か月が経ち、友達も増えて楽しくなってきた頃。

眠たい目をこすりながら部屋を出ると、ドアのすぐ前に母が立っていた。

あの日と同じ、異様な雰囲気を漂わせていた。

母は私の手を取り、しっかりと私の目を見据えて言った。

「今日、お前の髪をお供えします。学校には昨日のうちに連絡してありますから、終わったらゆっくりしなさい」

あまりにも急な展開だった。

それなりに覚悟していたはずだったが、事前に教えてくれるものだと思っていた為、頭が混乱してしまった。

「ちょっと待って、そんないきなり」

「いきなりも何もないでしょ。前もって教えてって言うなら、あの時話したという事がそうじゃないの。今日まで時間は十分あったでしょう。」

それはそうなのかもしれないが、普通は時期が近づいた時に改めて伝えるものではないだろうか。

心の準備が出来ていない私は、なんとか延ばせないかと駄々をこねた。

母は微動だにせず、強い口調で言い放った。

「こういう事は、思い立った瞬間にサッとやるのがいいの。それに、これはお前個人の問題ではなくて、もっと深い部分の問題なんだよ。供えるのはお前でも、今それを管理しているのはお母さんなんだからね。文句があるなら無理矢理やるけど、いいのね?」

事が事だけに、母には迷いも躊躇いもないようだった。

煮え切らない私の体をグイグイ引っ張り、どこかへ連れていこうとする。

その最中もあーだこーだとごねる私を完全に無視し、どんどん前に進んでいく。

やがて到り着いたのは、風呂場だった。

念入りに髪を洗うよう言われた。

それもお湯じゃなく、水で。

あとシャンプーなどは使うな、ときつく注意された。

もう抵抗は無意味だと悟り、私はおとなしく従った。

意外にもあれこれ考える事なく、無心に近い状態で行動できた。

自分でも不思議な気持ちだった。

風呂からあがり居間へ向かうと、大きな紙二枚と赤鉛筆二本を持って母が待っていた。

床には新聞紙が敷き詰められ、傍らには黒い液体の入った箱があった。

母は卓袱台に二枚の紙を置き、それぞれの端に赤鉛筆を添える。

よく見ると、二枚の紙はどちらも隅っこに何か書いてあった。

母の名前と生年月日、私が知らない実印みたいな印。

そして今日の日付だった。

「端の方でいいから、自分の名前と生年月日を書きなさい。全部漢字で。一枚は右手で書いて、一枚は左手で書くの。お前は右利きだから左は大変だと思うけど、下手でも構わないからやってごらん。」

実際、左手はきつかった。

鉛筆の持ち方すらままならず、どうにも真っすぐな線にならない。

終わってみれば、幼児の書くような字になっていた。

「いいのこれ?すごい下手だけど…」

「それでいいよ。肝心なのは手形だから。」

「手形?」

「今右手で書いた方に右の手形、左で書いた方は左の手形。墨はこれね。」

箱に入った黒い液体は墨だったようだ。

言われてみれば、墨の匂いだった。

私は箱に両手を入れ、思い切り真っ黒にして、それぞれギュッと紙に押しつけた。

あちこちに墨がポタポタ滴れたが、母は気にする素振りもなく、私の両手を見つめていた。

二枚とも、それなりに綺麗な手形になった。

怖い話投稿:ホラーテラー たまさん  

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