【自販機】
それは、冬の夜中の事。
女は仕事を終えて、部屋に戻ってきた。
喉が渇いていたので冷蔵庫を開けたが、飲み物は無かった。
飲み物を買う為に、財布を持って、自宅近くの自販機に向かう。
夜中の町並みは、昼間とは打って変わって静かだ。
通りは人っ子一人いない。
皆が寝静まり、明かりの灯っていない真っ暗な家が建ち並ぶ。
誰もいないかのように。
起きているのは女だけのように。
そんな事を考えてしまい、女は寒さとは違う身震いをする。
蛍光灯の明かりが頼りなく感じる。
水道水で我慢すれば良かった。でも、ここまで来たからには買って行こう。
女の足は自然と速まる。
自販機は、通りの角にボンヤリと立っていた。
そこの周囲は明るかった。
真っ暗な中に照らし出された空間。
闇に浮かぶ、白い光。
その前に立ち、女は財布をあけて小銭を取り出す。
100円を入れ、10円を入れ………ようとした。
焦っていた為か、震えていた為か、10円玉を落としてしまった。
あっと思う間もなく、10円玉は落ちた。
屈んで拾おうとした、その時だった。
自販機の下の暗がり。
その、地面とのわずかな隙間。
そこから、死体の色をした真っ白な手が出ていた。
いや、正確に言うと4本の指先。
ツメがはがれた、青白い指。
それがちょこんと、そこにあった。
異様な光景に、女の思考は停止する。
腰を曲げたまま動けなくなる。
その指先はゆっくりと、まるで女の視線に気付いたかのように動き出す。
掌をコンクリートに擦りつけながら、その暗がりから前へと動き出す。
女の足元に近付いている。進んでいる。
まるで、そのわずかな隙間に誰かがいるように、暗がりからにゅうっと伸びている。
女は短い悲鳴をあげ、尻餅をついた。目を逸らすことが出来なかった。
隙間は黒い闇に包まれているのに、その指だけがくっきりと、白く浮かんで見える。
それの動きは止まらない。
手の甲が出てきて、肘から先が出てきた所で女は気付いた。
少し離れた場所から、同じように指先が現れている。
そして、その2つの手の真ん中。
髪があった。
頭頂部。
それが、隙間から出て来ようとしている事が分かった。
分かった瞬間、嫌な寒気と共にぶわっと鳥肌が立つ。
普段見慣れた家が建ち並び、どこにでもある普通の通りに、普通の自販機。
しかし、そこだけが明らかに異常だった。
ずる、ずる……
頭が出て来る。
ずる、ずる……
肩が出て来て………
それは突如、頭をあげた。
だらりと垂れる長い黒髪。
その間から、睨まれた。
片方だけの右目に。
異様な程に見開かれた、血走った白目に。
左目は見えなかった。
本来そこに眼球がある位置には、大量の蛆がいた。
それを理解した瞬間、女ははじかれるように逃げ出した。
後ろは決して、振り返らなかった。
その自販機は、今もそこにある。
【鏡】
温泉が好きな女がいた。
仕事帰りに、温泉に寄った。
なんの変哲もない、少し廃れた普通の温泉。
大きな浴槽が一つと、洗い場が並ぶ。
近くに新しい温泉が出来た為か、その日、客は女だけだった。
20分程湯舟につかり、髪を洗う。
仕事の疲れも流すかのように、シャワーの湯をザブザブかける。
出た時には、まだ1時間も経過していなかった。
脱衣所は女だけだ。
時計の音と、体を拭く音だけしか聞こえない。
辺りは静寂に包まれている。
人の気配が全くない事に、女は不自然に思った。
女が来てからおよそ1時間……。
誰も入って来ないことがあるのだろうか。
時間はまだ、21時半だ。
確かにいつも客は少ないが、一人もいないという事はなかった。
髪を乾かしながら、女は考える。
目の前の、大きな鏡に映る自分を見つめる。
女は違和感を覚えた。
そして、それに気付いた瞬間恐怖した。
後ろには、風呂へと続くガラス張りの扉がある。
そこに、誰かが立っていた。
扉の向こう。
ガラスを隔ててすぐの場所。
うつむいて、立っていた。
だらん、と両手を力なく垂らしている。
黒い髪と、黒い服。
全身が真っ黒で、人だと分かるのに時間がかかった。
女はバッ、と反射的に後ろを振り向いた。
そこには、風呂に通じる扉があるだけだ。
人の姿などなく、ドライヤーの音だけが無機質に聞こえる。
ホッとした時だった。
バンッ!!と、何かが叩かれたような……叩きつけられたような、大きな音が脱衣所に響いた。
それは、女の後ろから聞こえた。
女はガラス張りの扉を見ている。
その後ろ。
鏡。
首と、腰を捻った姿勢のまま、女は驚きのあまり息をのむ。
後ろには鏡。
確かに鏡から音がした。
女は振り返る。
それと、目があった。
さっき見たモノが張り付いていた。
鏡の中で。
女を見て、顎が外れんばかりに口を開けている。
涎を流し、目を細め、肩を揺らして笑っていた。
声は聞こえない。
ただ張り付いて、女を見ている。
女は荷物もそのままに、悲鳴をあげて脱衣所から飛び出した。
その温泉は、今もそこにある。
【電話】
その日女は残業で、夜中の1時頃に帰宅した。
女がリビングに入った時、それを見計らっていたかのように電話が鳴った。
こんな夜中に不謹慎だと思い、女は無視した。
着替えている間に、電話は切れた。
着替えが終わり、お腹が空いていたので、カップ麺を食べようとお湯を沸かす。
その時にもまた電話が鳴った。
女はイラッときたが、無視した。
しかし、それからきっかり3分置きに電話が鳴る。
女はイラつき、電話線をひっこ抜いた。
緊急の電話かとも思ったが、両親は中学の時に他界しているし、一人っ子だ。
祖父母も、就職してしばらくしたらこの世を去った。
友達なら携帯にかけてくるだろう。
そう思っての行動だった。
3分後、線を抜いているにも関わらず、電話は鳴った。
女は不気味に感じた。
耐え切れず、受話器をとる。
聞こえてきたのは、男の声だった。
「……ら行きます今から行きます今から行きます今から行きます今から行きます今から行きます今から行きます今から…」
息継ぎもなく、女が受話器をとる前からしゃべっていたかのようだった。
感情のない、低い声。
それが受話器の向こうから延々と、繰り返されている。
女は電話を切った。
質の悪い悪戯だと思った。
ただ、電話線を抜いたのに電話が鳴ったという事が、気味悪かった。
電話を切った時、玄関のベルが鳴らされた。
そして小さな、声。
「今……来ました」
電話の向こうの、男の声だった。
それっきり、男の声も、玄関のベルも鳴らされる事はなかったが、女が布団でブルブルして朝を迎えたことは言うまでもない。
怖い話投稿:ホラーテラー ジェイさん
作者怖話