中編6
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腐蝕

大学の頃は、よく研究室にお邪魔しては教授達とよく話していた。

当時から怪談話がめっぽう好きだった私は、いろいろな話を聞いて回った。

「何か、とっておきの怖い話とかありませんか?」

これは、その中の一人であるK教授から聞いた話。

何年か前、ゼミ生の中の一人にTという男子がいた。

結構まじめに講義を受けていて、成績もなかなか良かった。

聞いた噂では、長く付き合う彼女がいるらしかった。

ちょっと雑談しながら、Tに彼女のことを聞いてみると、照れながら話していたという。

「ちょっと精神的に弱い子なんですけど、これが可愛いんですよ」

調子に乗って惚気まじりに話し出したTに、笑いながら相槌を打った。

そんなある日、ある異変に気づいたのは、前期の半ば頃だった。

その講義の日、珍しくギリギリになり教室に入ってくるTは、片足を少し引きずりながら歩いていた。

講義終了後、怪我でもしたのかとTに近づき聞いてみた。

「ちょっと…ぶつけただけっす。大した事ありませんから」

そう言うと、Tは足早に教室から出て行ってしまった。

教室から出る間際、小声で何か呟いているのが聞こえたという。

「ちくしょう…いてえ、いてえよお…」

思えばその頃から様子が少しおかしかったのだが、教授は大して気にとめなかった。

それからさらに一週間経った日のことだった。

先週よりもひどく足を引きずりながら歩いているT。

大したことはないと言っていたが、時々顔を歪めていて只ならぬ雰囲気だった。

それだけならまだしも、もう一つ異変がTに少しずつ現れていた。

それは鼻を刺すような嫌な臭いだった。

よく動物の死骸が腐って死臭を発することがあるが、それをさらに強力にしたようなもの。

そして、その頃にはもう教授の話をTはあまり聞かなくなっていた。

「ひ、ひひ…今日はこれから彼女と遊ぶんで…失礼します…」

そんなことを呟きながら、どこかへ去っていってしまった。

そして次の講義から、ついにTはまったく姿を現さなくなった。

他の学生や教授たちにあたってみたが、どうやら大学にすら来ていないようだった。

心配になり、Tの携帯に電話をしてみた。

プルルル…

プルルル…

しばらくコール音が続いた後、やっとTが電話に出た。

まったく大学に来ていないが、どうしたのかと聞いてみると…

「もう歩くことができないんす…あ、アイツのせいで…」

只ならぬ様子で何かブツブツ話していたが、話の要領がまるでつかめなかった。

このままでは仕方ないということで、Tの住むアパートへと足を運んだ。

名前を呼びながら何度かチャイムを鳴らすと、中から声が聞こえた。

「鍵、開いてますんで入ってきてください」

ドアを開けると、中からモワンとした強力な嫌な臭いが鼻を突いた。

ベッドの上にTは寝転がっていた。

「ハアハア…い、いてえ…」

グチャグチャに散らかった部屋を掻き分けながら、Tに近寄る。

Tの姿を見て、ゾッとしたという。

足の先から膝の辺りまで、薄黒く不気味に変色していた。

そこからはものすごい腐臭が漂っており、見ているだけで鳥肌が立つような有り様だった。

「あ、あの女がいけないんだ…俺は悪くない。あいつが、勝手に俺の部屋で死ぬから…」

全身に脂汗をにじませながら、虚ろな眼でそう呟いていた。

(女…?彼女のことか…?)

まさかと思い、恐る恐る部屋の中を探索してみる。

しかし、女の死体らしきものは見当たらないようだった。

とにかく、まずは様子のおかしいTを病院へと運ぶことにした。

連絡を受けて、Tの両親も病院へと駆けつけた。

一切原因不明…

医者の診断は、そう言うしかないというものだった。

Tの体は急速に腐蝕を進行しており、そんなものは見たことがないという。

糖尿病や血流の不純による壊死?それにしても、こんな急速に進むことはないだろう。

それに、肉体の腐蝕以外に彼の体には異常が見られなかったのだ。

みるみる腐蝕していく、Tの体。

あらゆる薬物療法をもってしても、その対処にはまったく及ばなかった。

「言いにくいのですが…このままでは、足を切断する他ないでしょうな…」

苦渋の決断ではあったが、もはや仕方がないと思ったのか、Tも両親もそれに了解した。

もう太ももの先あたりまで進んでいた腐蝕…

バサリと切断し、Tは見るも哀れな姿で病院のベッドに寝かされていた。

かなり悲惨だったが、もう腐蝕は止まり大丈夫だろうと思っていた矢先の事だった。

数日後の朝、Tの様子を見た看護師は悲鳴をあげた。

一晩のうちにTの手は急速に腐蝕し、薄黒く変色していた。

Tは白目を向きながら、口から泡を吹いていた。

いくら切断しても、進んでいく原因不明の腐蝕…

もはや手の施しようがなかった。

教授がたまに会いにいくと…

「なあ、俺は悪くないんだよ。助けてくれ…助けてくれよお…」

必死に助けを乞うTに、教授は何も出来ず見ていることしかできなかった。

生きながらにして腐っていく、Tの姿。

時々思い出したようにあげる断末魔のような悲鳴を、周りの者はみな黙って見ているしかなかった。

両親でさえ目を覆い、直視できないほどの絶望的で奇怪な過程…

すでに諦めを通り越し、早く終わりが訪れることを望んでいた者も多かったかもしれない。

もう、Tがアパートに戻ることはないだろうということで、両親がTの部屋を片付けていると…

バスルームの天井辺りから、腐臭を感じた。

天井のパネルを外し、覗き込んだ父親は愕然とした。

そこには、ビニールのゴミ袋で包まれたドロドロに腐りきった死体が横たわっていた。

警察の調べでは、それはTが付き合っていた彼女のものだと分かった。

Tはどこにいるのかと刑事に聞かれ、病院に連れて行く。

すでに体の大部分が腐蝕して、身動きできなくなったTの姿を見て刑事は驚愕していたという。

様々な死体や凄惨な事件現場を見ている刑事の目にも、それはあまりに痛々しく感じられたのだろうか。

「かろうじて心臓は動いているものの…もはや時間の問題でしょう」

両親が虚ろな目で淡々と説明をすると、どうしようもなく刑事は引き上げていった。

それからほどなく、Tは死んだ。

全身に腐蝕が進み、最後には恐ろしい顔で断末魔のような悲鳴をあげてTは息絶えたという。

Tの彼女は解剖の結果、外傷などもなかったため薬物による自殺と考えられた。

時期を考えると、教授が見たTの足を引きずる姿…

その以前にはすでに死んでいたものと思われた。

Tが死んでしまったため詳しくは分からないが、部屋で死んだ彼女の死体を怖くなって隠してしまったのではないだろうか。

Tの死後から一ヶ月ほど経った頃。

教授はある夢を見た。

ドロドロに腐蝕した体のT。

ズルズルとこちらに這い寄りながらブツブツと呟いている。

「俺は、悪くない…あいつが勝手に…助けてくれよ〜…」

恐ろしくなり、教授は必死でTから逃げていた。

ハッと目を覚ますと、布団の中からかすかに腐臭がしたような気がした。

頭から冷水を浴びせられたように、背筋が足先まで凍りつくような感覚に襲われた。

ズチャリ…ズチャリ…

何かが這いずるような音が聞こえる。

ふと天井を見上げると、そこに腐ったTが張り付きながらこちらに向かってゆっくり這っていた。

…そこでプツンと意識が途絶え、気がつくと近くのコンビニの前でうずくまっていたという。

ガクガクと震えがとまらず、嫌な汗が全身を覆っていた。

その日から、何度となくTの夢をよく見るようになった。

ズル…

ズル…

助けを乞いながら這って近寄ってくる。

夢だけにとどまらず、気づくと腐蝕したTがどこからか姿を現してはスゥッと消えていく。

ゾッとして何ともいえない悪寒を覚えた教授は、ある知人から紹介を受けた高名な寺にてお祓いをしてもらうことにした。

お祓いを受けている最中、ゾゾゾッと嫌な感覚が走った。

終わった後にふと自分の服を見ると、全面に渡って黒いカビがビッシリ生えていた。

そして、それからが結構長かった。

日を置いて何度も何度もお祓いを繰り返していくうちに、次第にTの姿は薄れていき、やがて全く見えなくなった。

…それから数年が経った今でも思い出されるのは、Tが病院のベッドで苦しみ悶えながら腐食していく過程だという。

人間の恐怖という感情が生存本能に起因するものだと考えれば、生きながら徐々に腐蝕していく感覚は計り知れないほどの恐怖だっただろう。

その絶望感に埋め尽くされたようなTの何ともいえない恐怖の表情。

そして見るも無残に変わり果てていく、その悪夢のような過程…

今まで長年生きてきたが、これだけは一生忘れられないだろうとK教授はしみじみと語っていた。

怖い話投稿:ホラーテラー geniusさん  

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