中編4
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不快音

鋭い耳鳴りの感性を持つEさん。

恐らく誰でも一つはあると思うが、生理的に嫌悪感を抱くような音というものがある。

よく知られるのは、黒板やガラスを爪で引っかいたような「キィー」という音。

ガササッという虫が這い回るような音や、ポタリポタリという水が滴る音。

個人のトラウマなどにも因るだろうが、音だけでも聞くに堪えないものが存在するものだ。

ギイイイィィーーン…

そんなゾッとする不快な耳鳴りが、ある日突然に聞こえてきたという。

例えるなら、電動のノコギリで何かを削るような…

本能的に鳥肌が立つような嫌な音が、四六時中聞こえてくる。

冗談でなく、うつ病になるかと思ったほどだそうだ。

「単なる音だと思うかもしれないが、あれはとんでもない事だぜ。

都会じゃ騒音の問題で殺人事件なんかが起こる位だからな」

ある種の拷問に近いものがあると、Eさんは語る。

ずいぶん長いこと、耳鳴りは続いただろうか。

その異変はゆっくりと、だが確実にEさんの身体に起こり始めた。

非常に奇妙な感覚。

「ランナーズハイってのは知ってるか?」

マラソンなどで走り続けていると、苦痛を通り過ぎて快感になってくるという現象の事だ。

その不快音を長く聞き続けていると、脳が麻痺したような不思議な快感に襲われた。

(ああ…何だか気持ちいいな…)

そんな状態でフラフラと出歩くため、何度も車に轢かれかけた。

そうなるともう、お祓いするだとか対処するとかいう考えすら出来なくなる。

何が何なのか、本当に訳が分からなくなってくるのだ。

人が狂っていく時というのは、こういうものなのかもしれない…

「へへへ…」

ある時ふと気づくと、バスタブの中で一人しゃがみこんで薄ら笑いを浮かべていた。

ギイイイィィーーン…

さらに勢いを増す、凄まじい耳鳴りに混じって、うめき声が聞こえてくる。

うぅぅ…うぅぅ…

突然シャワーから生ぬるく赤い血が降り注ぎ、たちまちバスタブを満たしていった。

徐々に頭が正気に戻っていたが、バスタブから立ち上がることも出来なかった。

手が勝手に動き、血を自分の頭から浴びせてくる。

脳だけが覚め、体がまだ狂っているような…そんな感覚だった。

気がついたときには、バスルームから出てブルブルとひたすら震えていた。

眠ると、こんな悪夢も見た。

ギイイイィィーーン…

少しずつ、ゆっくりと自分に近づいてくる電動カッターの刃。

逃げようと思う頭とは裏腹に、指先が勝手に刃へと伸びていく。

ビシャッ!

血しぶきを顔に浴びたところで、目を覚ます。

布団の中でガタガタと、震えがいつまでも止まらなかった。

ついに決心をし、馴染みの寺へと足を向けようとする。

しかし、体がいうことを聞かなかった。

全く関係のない方向に向かって、勝手に歩いていってしまう。

ギイイイィィーーン…

ああ…いつもの耳鳴りが聞こえてきた。

しかし次第に近づいてくる目に見える光景に、その考えは吹き飛んだ。

ギイイイィィーーン…

大工が、電動カッターで木材を切断している。

そこに向かって、自分の足がゆっくり近づいていく。

止まれ…

止まってくれ…

脳から必死に送る命令を無視して、体は勝手に近づいていく。

駄目だ…

駄目だ…

誰か止めてくれ…

それに呼応するかのように、足は速度を速めていく。

ギイイイィィーーン…

耳鳴りなどとは違う、リアルの音が近くで鼓膜を震わせる。

ガリガリガリッ!

伸ばした指先が電動カッターの刃に触れ、その途端に物凄い痛みが全身を駆け抜ける。

気がつくと、担架で救急車に乗せられていた。

指先には応急処置の包帯が巻かれており、血がとめどなく染み出している。

ズキズキと、信じられないような痛みが神経を刺激した。

指が数本、骨の半ば辺りまで削れていた。

指の切断まではいかなかったが、何日かはベッドで繰り返し悪夢にうなされたという。

退院後、友達に連れてもらって、ようやく寺を訪ねることが出来た。

時々勝手に体が暴れだしてしまうため、ロープでグルグル巻きにされた状態で経を腐るほど聞かされた。

やがて、ようやく耳鳴りは薄れていき、体も自由が利くようになったのだった。

何か憑いていたのかと、寺の住職に尋ねてみた。

「知らんほうがいい」

そう言って住職は肩をぽんと叩き、奥へ引っ込んでいってしまった。

今でも、指の傷跡がジクジクと痛み出して悪夢にうなされる事が多々あるという。

怖い話投稿:ホラーテラー geniusさん  

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