人間というものは案外、自分のことを知っているようで知らないものである。
自分というものを定義付けるためのひとつの手段として、心理学の分野に「ジョハリの窓」というのがある。
まずは「田」(←これが窓みたいだから)の字を思い浮かべる。
そして、ルビをふるように縦に「自分」「他人」、横に「知っている」「知らない」と書き入れる。
すると、4つある四角は
「自分も他人も知っている」
「自分は知っているが、他人は知らない」
「他人は知っているが、自分は知らない」
「自分も他人も知らない」
に分けられる。
そこに自分及び他者の認識を当てはめてみると、自分という人格を定義することができるのだ。
例えば
「自分も他人も…」であれば「リーダーシップを発揮するのが得意」、
「自分は知っているが、他人は…」であれば「まだカミングアウトしてないが、実は同性愛者」、
「自分は知らないが、他人は…」であれば「自分ではひょうきん者と思っているが、他人は誰もそう思っていない」
という具合に。
そして、残された「自分も他人も知らない自分」という一面。
これにはなかなか気付かず、一生を終えてしまう人が多い。
今回は不運にも、そんな「自分も他人も知らない自分」の一面を偶然にも知ってしまった、ある女性の話である。
私はごく普通のOL。今まで、これといったトラブルに巻き込まれることもなく平凡な人生を送ってきた。
そして、これからも平凡に生き、それなりに幸せを感じながら、平凡に生きていく。
そう思っていた。
あのショッキングな出来事を体験するまでは…。
ある日の仕事帰り。残業が長引き、いつもよりかなり帰りが遅くなってしまった。
地下鉄の乗り換えのため、ほとんど人気のないホームに独りたたずみ、電車を待つ私。
そこへ一人の酔っ払いオヤジが近づいてきた。
足元はふらつき、目の焦点も定まっていない。
「姉ちゃん可愛いなぁ。どこのお店で働いてるのぉ」
アホ面下げて話し掛けてきた。
関わりたくなかったので、無視をしてホームの中央に逃げた。
それでも酔っ払いはしつこくまとわりついてきた。
そして一瞬油断をしたときに、なんとその酔っ払いは私の胸を触ってきたのだ!!!
あまりの出来事にとっさに両手で思いっきり酔っ払いを突き飛ばした。
すると、酔っ払いはバランスを崩しながらフラフラと線路の方へ。
そのまま足を踏み外して、ホームの下の線路に転落した。
「危ないっ!」
そう思った直後には時すでに遅く、構内に侵入してきた電車によって無惨な轢死体となってしまった。
現場は騒然となり、当然私の責任が問われるものと覚悟していた。
が、警察や駅員からほとんど聴取を受けることなく、「酔っ払いの単純な転落事故」として処理された。
どうやら私が突き飛ばしたときの目撃者はなく、突き飛ばした場所も防犯カメラの死角に入っていたらしい。
罪悪感を払拭するため「自業自得だ」と自分にいい聞かせる毎日。
しかし、その一方で、おかしな感情が沸き上がってくるのに気づいた。
鮮明に脳裏に焼き付いた強烈な事故の瞬間。
それを思い起こすと、快感に似た感情が沸き上がってくる。
いや、それは快感にほかならなかった。
「まさか」と思ったが、私は快楽殺人願望という自分の一面に気付いてしまったのだ。
あんなことさえ起きなければ一生気付くことはなかったであろう、その感覚を…
自分の中に眠っていた快楽殺人願望。
今まで平凡な人生を送ってきた私には、これほどの強烈で甘美な衝動を抑えつける術を持ち合わせていなかった。
そして私はあの快感を再び味わうために今もさまよっている。
人気のない地下鉄を…。
まさに今この時も………。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話