前回、別名で『放課後の隠れん坊』を投稿した者です。なんだかわからないけど怖い、そういう話が好きな方が読んで頂ければ幸いです。
その日私はカラオケに行きたくなった。特にストレスが溜まっていたわけでもないが、「あ、カラオケ行きたい」と漠然と思う事がよくあるのだ。
いつものように仕事が終わりトイレに化粧直しをしに行くと、鏡の前でにらめっこをしているカラオケ仲間の美香がいた。
「あ、いいところに!」
私がそう言いながら近寄ると、美香はにらめっこを中断し、鏡ごしに微笑んだ。
「今日は無理。」
「え〜!なんで!?」
「そんなに私はお暇じゃなくってよ?」
…どうやら彼女には2年ぶりにアレができたらしい。
高級ブランドのグロスをこれでもかと唇に塗りたくると、彼女は颯爽と私の前を通り過ぎていった。いつにもまして残り香が鼻につく女である。
目的は定まった。ストレスを発散する為に行かなければ。
こうして私は初めてのヒトリカラオケ、所謂『ヒトカラ』に挑戦する事になったのだ。
「1人、2時間、DAMで」
新人さんだろうか。見慣れた顔ではなかったが、悲しい女の虚しい言葉をたどたどしくも受け入れてくれた。
タイムリミット、2時間。
部屋に入るなり、私は大好きなアーティストの曲を入れまくった。イントロを聴きながら上着をハンガーに掛け、本体とマイクの音量を調整する。正しい発声方法なんぞお構いなしに張り上げながら歌っていた。
残り時間、11分。
ヒトカラの楽しさに気付いてしまい延長する事を考えたが、美香のムカつくぐらいの笑顔を思い出し無性に虚しくなったので、荷物を片付け始めた。と同時にある有名なイントロが流れ始めた。
あれ、なんで?バグ?
しんみりとした曲調、次々と流れていく単語は、どれも物悲しい。
これは美香が昔フられた時によく歌っていた『失恋』の歌だ、とサビ手前で思い出した。やたらと長い歌で歌詞が暗い為、私はこの曲があまり好きではない。美香には申し訳ないが、これが流れ始めると私にとってはトイレタイムの始まりだった。
残り時間、7分。
いつもの受付からの電話が鳴らない。不思議に思いながらも停止ボタンを押す事さえ面倒臭いので、曲を流しっぱなしにして受付に行った。
「あ、会計お願いします」
部屋番号が書かれた用紙を差し出しながらそう言ったが、受付の女性は一瞬固まったように見えた。
「あの、お客様、つい先ほどの延長はお取り消しという事でよろしいのでしょうか…?」
「へ?」
つい馬鹿っぽい聞き返しをしてしまったが、受付の女性は言葉に詰まりながらも教えてくれた。
「え、いや、あの、先ほど終了10分前のお知らせをさせて頂いた時に、お客様から閉店までの延長のご希望がありましたので…」
「え、私がですか?」
「はい」
意味がわからない。新人さん、間違えてるよ頼むよもう、と失礼ながらも思った。
「でも10分前の電話ありませんでしたけど…」
「いやそんな事はないはずです、確かにお客様のお部屋にお知らせ致しました」
「いや、本当にありませんでしたよ、ずっと部屋にいましたし…」
「ですが…はっきりとお客様の声で『延長お願いします』と…」
ふと新人さんの目線が私の背後に向けられる。
そこで後ろにカップルと思われる男女が居る事に気がついた。困っているかわいらしい店員と、それに歯向かう男の影が微塵も感じられない私。カップルの目の前には紛れも無い『クレーマー』が居た。
「…すみません、延長はなしで、会計お願いします…」
もう虚しくて虚しくて、その時は恐怖なんか皆無だった。
でも家に帰ってきてふと冷静になると、先ほどの事が何かとんでもない事なんじゃないかと思い始めた。現に、ずっと耳鳴りがしているのも気になる。低くて鈍い、ズーーーンって音が。
それと、あの曲。
欝陶しいぐらいに思っていたあの曲が何故かすごく気になる。歌いたくなる。失恋なんてしていないのに。
あれ?延長お願いしますって、私が言ったのかな。それさえもわからなくなってきた自分が一番怖い。
わかっているのは、いつのまにか一字一句間違わずに口ずさんでいる自分がいる事。
大好きな、あの歌を。
怖い話投稿:ホラーテラー プンスさん
作者怖話