長編21
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サードシーズン

海の向こうの島国で起きた巨大地震。

BGM代わりに流しているラジオでは、そのニュースで持ちきりだった。

つい最近ガールフレンドのメリッサと別れたばかりで、セシル=ブラッドレイはまだ悲しみから立ち直れずにいた。

いつも流していたお気に入りのラブソングは、今日は聞きたくなかった。

そのラブソングの結末はまるで自分の悲恋をうたっているような気がして、イントロが流れ出すと感傷的な気分にさいなまれた。

ネットで定期的に取り寄せている雑誌が届き、たった今それは手元にあるのだが、どうしても意識はメリッサとよりを戻すことに向いてしまう。

セシルはニューヨーク大学に勤務する生物学者で、環境問題と生態系の関連性について詳細に記された彼の論文は学会でも注目され、生物学の権威と称えられていた。

しかし今の自分には、そんな肩書きは何の意味も持たなかった。

ただメリッサに逢いたい。

それだけだった。

テレビから、聞きなれた旋律が聞こえた。

メリッサは子供っぽい所があって、「グリーンモンスター」というアニメは彼女の幼いころからのお気に入りの番組だった。

そしてそのオープニングテーマが流れると、決まってセシルは彼女の名を呼んだ。

セシルもいつもの習慣で、メリッサを呼びそうになった。

まただ、俺の悪い癖だ。

そこへ甲高いインターホンの音が部屋に響いた。

少しためらい居留守を使おうとしたが、インターホンの音は止みそうになかった。

誰だ?

モニターから門に取り付けられたカメラの映像を見ると、二人の男とその後ろに黒い大型車が見えた。

男たちはまるで一昔前のアクションムービーからそのまま出てきたような出で立ちで、仕立てのいい漆黒のスーツと、目の周りを覆い尽くすようなサングラスは、どこか芝居がかっていた。

モニターの横のスイッチを押すと、糸を切るような音ともに連絡が繋がった。

「セシル=ブラッドレイ博士ですか」

「・・・・はい、そうです。

こんな夜中に呼び出したからにはさぞ重要な要件なんでしょうね」

「国防庁長官の命を預っています。

博士には至急来ていただきたい」

国防庁長官?

軍関係者ってわけか、この二人は。

だが自分は一日の大半を研究室で過ごす、一人の貧弱な青年に過ぎない。

いったい俺に何の用だ。

「詳細は基地で説明します。

車を用意しました」

二人の口調もこの状況も、ますます芝居がかってきた。

だがその言葉に偽りはないらしい。

カメラから見て手前にいる男が背広の胸ポケットから取り出した手帳には、FBIの三文字があった。

そして私は怪獣映画のサイエンティストよろしく、車に乗せられ、そこへやってきた。

空に吸い込まれるように高くそびえるビルは、見ているだけで眩暈がしそうだ。

「ここは?」

「国防庁の所有のビルです。

今回は臨時的に作戦本部が置かれています」

エントランスは無機質な作りで、男の一人がバスガイドのように、向かって右にあるエレベーターの方へ手を差し出した。

私たちを乗せたエレベーターはパネルにF35と表示されたところで止まった。

扉が開いたと同時に、冷たい空気が流れ込んだ。

案内された部屋にはやはり背広の男たちが大勢腰掛け、もやしのような体形で殆ど寝巻に近いいでたちの私は、どう見ても浮いていた。

私たちが座っているのはどこにでもありそうなパイプ椅子で、急遽取り揃えられたものなのだろう。

廊下にタップするような足音が響いた。

乾いた音から、ブーツの足音のように聞こえた。

部屋に入ってきたのは女だった。

先ほどから何かを咀嚼するように口が動いているが、ガムか何かを噛んでいるのだろう。

黒いコートから、赤い鮮やかなシャツがのぞいた。

ダメージ加工の入ったジーンズの上からでも、形のいい脚が分かった。

コーヒー色の肌に、後ろで束ねられたドレッドヘアー。

道行く男の誰もが振り返りそうな美貌の黒人美人だ。

「おいヴァネッサ、ずいぶん遅いじゃないか」

「いいだろ、別に遅刻ってわけじゃないし」

その女はヴァネッサと言うらしい。

スペルはどうやって書くんだろう。

ヴァネッサは私の右斜め前に座り、そして私の方を見ると

「あんた見ない顔だね。

少なくとも軍人じゃないだろ?」

と少し表情を和らげて聞いた。

「ええ。

僕はただの民間人で生物学者」

「なるほどね。

私はヴァネッサ=アンダーソン。

あんたは?」

ヴァネッサは握手を求めるように手を出して聞いた。

「僕はセシル=ブラッドレイ。

女みたいな名前だろ?」

そう言ってセシルは軽く彼女の手を握り返した。

セシルとはアメリカでは男の名前として使われているが、女性名として使われている国もある。

ヴァネッサとしばらく雑談していると、部屋の奥から一人の男が現れた。

顔に刻まれた皴と白髪交じりの頭は老人といっても良かったが、ボディビルダーのようにまんべんなく筋肉のついたその肉体は、彼がかつて屈強な軍人であったことを物語っていた。

「私が今回この作戦の指揮を取るダニエル=キューブリックだ。

諸君も知っている通り、今から五十六時間前、日本で大規模な地震が確認された。

そこで我々は被災地に赴き、生存者の捜索と救助を行う」

なるほどな。

こいつらもまた、国際貢献と称し他国の領土に土足で上がり込む連中ってところか。

「それが表向きの理由だ」

ダニエルは付け足すように言った。

表向き?

「これは先ほど衛星から送られた画像だ」

プロジェクターが、白い壁に映像を投影した。

上空から撮影された日本の画像にカーソルが合わされ、何度かズームを繰り返すと、一つの建物がおぼろげに映し出された。

さらにいくつかキーを操作して解像度を上げると、鮮明にそれが映し出された。

四足獣のようなフォルムに、焼き爛れたような皮膚、それを包む赤黒い外骨格。

何だ!?こいつは!?

少なくとも図鑑を開いて載っていないことは確かだ。

ダニエルは言葉をつづけた。

「現在正式には発表されていないが、このような生物の存在が多数報告されている。

そこで今回、特別アドバイザーとしてセシル=ブラッドレイ博士をお招きした」

そういって、ダニエルはセシルの座っている方へ視線を向けた。

そこにいる人間の視線がセシルに集まる。

「ブラッドレイ博士、この生物について意見をお聞かせ下さい」

不意にダニエルにそう聞かれ、セシルは少し動転した。

まるで授業中に上の空になっているところを、先生に急に質問された、そんな心境だ。

少しの間をおいてセシルは意見を述べた。

「・・・・フォルムそのものは、ごく一般的な陸上動物と大差ありません。

しかしその体を覆う外骨格は海の中に生息する甲殻類のものであり、さらに粘液質な皮膚は両生類の物にも見えます。

・・・・率直に申し上げると、この生物を既存のカテゴリーに分類することはできません」

言いながら、自分自身で驚いていた。

これはまるで映画か子供向けのコミックに出てくるモンスターそのものじゃないか。

そして何故かセシルは、「グリーンモンスター」の事を思い出していた。

たしかあのアニメにもこんな怪物が出てたっけ。

セシルの言葉に、どよめきが走る。

ダニエルの表情は少し厳しくなった。

「我々の真の目的はこの生物の正体を確かめ、そして人類にとって脅威を持つ存在ならば、一つ残らず排除すること。

諸君には国防庁長官と合衆国大統領のもとに、重火器の使用、及び戦闘が認められている。

我々は今から十時間後日本に上陸し、調査を開始する。

各自指示に従い装備を整え、待機するように」

事務的な口調でダニエルは述べた。

セシルはまだ理解できずにいた。

実感が湧かない。

全てがあまりにも非日常的だ。

ほんのさっきまで私は家にいて、別れた恋人の事を考えていたのに。

私の日常は、こうして襲撃された。

夜明けから何時間もたったというのに、空は灰色の雲に包まれていた。

空気全体がかすみ、等間隔で白く不透明なフィルムが視界を覆い尽くしているようだった。

南校舎を後にした由紀は、とりあえず救助を捜すことにした。

不意にリストバンドの下に、馴染みのある痛みを覚えた。

そこにはつい最近付けられたばかりの傷があった。

由紀は今回飛び降りようとした以前にも、何度か自殺を図った。

リストカットは自殺するためだけではなく、自らを落ち着かせるため、という意味もあった。

リストカットは次第に常習性を帯び、麻薬の発作のように由紀は駆りたてられた。

初めのうちは幾つもの迷い傷ができたが、最近では致命傷とならない程度の傷を、一度で手首に負わせられるようになった。

学校が衣替えの季節となり、半袖のブラウスを着用することが義務付けられるようになると、由紀は近くのコンビニエンスストアで買ったリストバンドを、傷を覆い隠すようにはめた。

同級生はそんな由紀の苦悩を知る由もなく、ただのファッションだと思い込んでいた。

やがてそのオレンジ色のリストバンドは、由紀のトレードマークとなった。

由紀の眼は、ある一点に釘付けとなった。

初めは幻覚だと思った。

大勢の人間、ざっと数えて三十人くらいが一列になって歩いているのだ。

それはまるで遊園地の人気のアトラクションに、長蛇の列ができているようだった。

そしてその順番待ちで言うところの最後尾には、お世辞にも清潔とはいえない服装の男と少年、そして一匹の犬がいた。

由紀は初めのうち警戒していたが、行列に近づくと、何人かに声をかけた。

「あの、これって何の行列なんですか?」

「見ての通り、地震で家をなくしたり、家族とはぐれたりした人間が集まってるんだよ。

ま、言ってみれば赤の他人、烏合の衆ってところだな」

ホームレスとおぼしき男は手身近に説明した。

「あんた、名前は?」

「・・・・由紀。高島由紀」

「俺は石田泰一。

こっちのちっこいのは大輔って言うんだ」

そう言って石田が親指で差した先には、一人の少年が俯き加減で立っていた。

「大輔君?

よろしく」

由紀はできるだけ明るい口調でそう言った。

大輔は軽く会釈すると、また下を向いた。

「この行列はどこに向かっているんですか?」

「目的地なんてないさ。

ただ食糧と救助を求めて歩いている。

人間っているのは一つの所にじっとしていられない生き物なのさ」

この行列は一種の集団原理によって動いている、というわけか。

「無事な建物があるといいんだけどな。

そこでいったんみんなで休憩して、食糧を一か所に置けると良いんだが」

石田は話しかけるとも、独り言ともつかない口調でそう言った。

そして由紀の頭には、さっきまで自分がいた南校舎の事が思い浮かんだ。

「私、知ってます。

この近くに無事な建物が、私の学校なんですけど」

由紀はこれだけは言わなければならない、といった様子で、早口に言った。

すると石田だけではなく、その近くにいた人間も反応した。

列の一番先辺りにいた人間も後ろを振り返り、そして由紀の周りには大勢の人間が集まった。

「ここから少し歩いたところに私の学校があるんです。

北校舎は地割れで殆ど壊れているけど、その向かいにある南校舎は無事です」

集まったものは由紀の話に耳を傾け、そしてしばしの間話しあった。

その結果、行列の目的地は由紀の学校、南校舎となった。

行列の人間たちは皆期待に表情を緩ませていたが、大輔という少年はどうも浮かない顔をしている。

そういえば両親の姿が見えない。

きっとはぐれたんだろう。

由紀はスカートのポケットを探ると、一つのキャンディーを大輔に手渡した。

それは由紀の常連のビデオレンタルショップで、レジの横で無料で配られているものだった。

「・・・・どうも、有難うございます」

大輔は両手でそれを受け取り、そして子供にしては珍しく大人びた口調で礼を述べた。

大輔はしばらくためらった様子で、少しして封を開き、パイナップル味の平たいキャンデーを半分くわえた。

その様子がとても愛らしく思え、由紀は母性のようなものを覚えた。

「おいしい・・・・」

大輔は短く言った。

由紀は顔をほころばせ、そして最近自分が笑っていなかったことに気づいた。

十五分とかからず、行列は南校舎に集まった。

ほとんどの建造物が大破したなか、驚くほどきれいに残っていた南校舎は、まるでそこだけ結界で守られているようにも見えた。

人々は食糧をかつては一年生の教室として使われていた場所に集め、そして何人かは眠りに着いた。

むき出しになった、破裂した水道管からは緩やかに湧き出るように水があふれ、人々はバケツやペットボトル、そこにある容器に手当たり次第に水を入れた。

瞬く間に生存者たちによるコロニーが南校舎の一角に出来上がった。

人々は安住の地を見つけたように、一時の休息に入った。

由紀はかつて自分がクラスや家で感じていた疎外感から、解放されたような気がした。

自分にもし居場所というものがあるのなら、きっとここなのだろう。

総勢千人を超える部隊が上陸し、沿岸部を占拠する様子は、まるで日本とアメリカの間でもう一度戦争が始まったようだった。

内陸部にはベースキャンプが設けられ、幾つものテントの中にセシル=ブラッドレイはいた。

研究室から軍の人間に運ばせた器具がテントの一角をしめ、小さなラボがそこに出来上がった。

そしてこのテントを共有するもうひとりの民間人、地震学者のスティーブン=グレイもセシルと同じように、自分のラボをテントの片隅に構えていた。

歳は二十代半ばと聞いていたが、背丈が小さく幼い顔に、日本製の携帯ゲームに心奪われるその姿は、いまどきの妙に大人っぽい子供よりよっぽど子供らしく見えた。

「やあ、野郎二人で退屈してないかい?」

そう言って入ってきたのは、軍服姿のヴァネッサだった。

「調査は順調かい?

ブラッドレイ博士」

「調査も何も、まだ一つもサンプルを採取できていない」

別に冗談でも何でもないのに、ヴァネッサはおかしそうに笑った。

テーブルの上の据え置きの無線機にコールが入る。

「ブラッドレイ博士、たった今未確認生物の死体を確認しました。

今から状況を報告するので調査に役立てて下さい」

「さっそく朗報ね、セシル」

ヴァネッサは茶化すように、セシルの肩を小突いた。

「皮膚はまるでケロイドのように爛れています。

外骨格は動物の骨程度の硬度で、衛星の画像の生物と同じく全身を覆っています。

これからそちらの基地に運びます。

後はお好きに解剖するなり、ホルマリン漬けにするなりご自由にしてください」

「良かったじゃないかセシル。

これでしばらくオモチャに困りそうにないな」

ヴァネッサが冗談を飛ばすと、セシルは短く笑った。

しかしまだ通信の繋がっている無線から、悲鳴のような声が聞こえた。

「おい!!こいつまだ死んでないぞ!!

クソっ、あああああああっ・・・・・」

無線兵の声が途切れ、怒号と銃声が聞こえる。

「何があったんだ、向こうで!!」

ヴァネッサは足のホルスターから銃を抜くと、テントの外へ飛び出した。

調査隊に起こった異変は他の部隊にも伝えられ、通信が途切れた場所に十数人の兵士が集まった。

数十メートルに渡って戦闘の痕跡が広がり、無残な死体が転がっていた。

遅れて到着したセシルは、辺りを見回し、人間のものではないであろう体液をその眼にとらえた。

近くにより、胸ポケットから取り出した、一般的なものより一回り小さい試験管にその体液を採取した。

人間の血液もしばらく離れたところに、点々と連なり、途中で切れていた。

「セシル、何かわかった?」

ヴァネッサが肩ごしに声をかけた。

「体液を採取した。

どんなものであるかはテントに戻って器具を使った検査をしないとわからない。

それよりこれを見てくれ」

そういってセシルは、兵士のものと思しき血痕を指さした。

「血ね。

向こうに続いてる。

きっと連れ去られたんだ」

「だが途中で途切れている。

一体どうやったんだ・・・・?」

セシルは考え込むようにして腕を組んだ。

「見て、セシル。

これって動物の足跡じゃない?」

ヴァネッサはその周りをなぞるように、ナイフで地面に切り込みを付けた。

なるほど、これは足跡だ。

重心のかかり方を見ると鳥類のように見えるが、にしてはサイズがでかすぎる。

これじゃまるでサイの足だ。

足跡は血を負うように続き、そして血の線が途切れた所の手前で足跡は消えている。

「もしかして、こいつ・・・・飛んだのか?」

最後の足跡は、他のものより前にかけて深く足跡を付けていた。

もしかしてこれは飛び立つときに足を踏み込んだのか?

しかしセシルが知っている以上、この地球上に、人間の大人一人の体重を抱え飛行できるような生物は存在しない。

いや、かつては存在したのだ。

プテラノドンに代表される、翼竜たち。

どうやら私はとんでもない所に来てしまったらしい。

大輔が言葉を話し始めたのは二歳になる少し前の事で、周りの子供が会話らしいものをできるころになっても、大輔はまだ簡単な単語を話す程度だった。

もともと京子自身、発育の遅い方で、京子の両親はどこか彼女をみはなしたようなふしがあった。

京子は協調性がなく、そのことは教師にも指摘されていた。

中学に入ったころから少しずつ周りに馴染んでいったが、それでもどこか自分が「ズレている」ことは自覚していた。

そして子供心ながら、「私にもし子供が生まれるとしたら、要領の悪いところは似ないでほしい」と思っていた。

始めて命をその身体に宿したとき、喜びと、そして一抹の不安があった。

胎教について調べ、出来る限り実践した。

しかし大輔は、やはり京子に似て、どこか他の子供より発育が遅いような気がした。

言語障害かもしれない。

京子は自分で様々な資料を調べ、そう確信した。

他の子より遅れている分、より長い時間、私が大輔のそばで様々なことを教えてあげなければならない。

この子にはきっと困難が待っているだろう。

他の子から疎まれ、いじめられるかもしれない。

だからこそ、私だけは大輔の味方になってあげないといけないんだ。

そして私は、いつのころから独りよがりになっていた。

大輔は私を見放した。

最初は深い悲しみを覚えた。

だけどこう考えることもできる。

大輔は自立し、そして自分の考えで生きていくことができる。

私を必要とせず。

そうすると、どこか安堵を感じた。

形容する言葉が見つからないが、「思い残すことなく」死ぬことができる、そう思った。

大輔は石田についていくのがやっと、といった様子だった。

歩幅の大きさが違う分、歩いていくペースも違う。

「おい大丈夫か、坊主。

外で待ってても良いんだぞ」

「いや、着いていくよ。

僕もママの事が気になるし・・・・」

とにかくこの男が、自分の見ていないところで何をしていることに耐えられなかった。

たとえ何もできないとしても、この男のそばから離れたくなかった。

居場所が分かっている人間を、それを知らないふりをして探し回るというのは、この上ない徒労だった。

だが居場所を教えるわけにはいかない。

大輔はこの男が諦めて引き上げるのを願った。

しかし男は行きついた。

ママのいる部屋に。

だが暗がりの中、男はまだママがいることに気づいていなようだ。

ママも僕らに気付いてないようで、声をあげて助けを呼ぶこともない。

不意に、金属質な音がした。

スチールの床を、引っかくような音がした。

それはだんだん大きくなり、そして数は増えていく。

犬の鼻息のような音。

だが犬はここにいる。

耳をつんざくような咆哮が、部屋の奥から響いた。

胃の奥から、全身の血液が震えるような感覚。

無意識のうちに毛穴が一つ一つ閉じていき、肌が粟立つのが分かった。

壁の間から差し込む月明かりが、それを照らした。

反射光が闇に潜む影の輪郭を露わにした。

「!?」

それは最初、人が這っているように見えた。

しかし爬虫類的なその生物は、粘液を引きずるようにして、ママの方へ近付いた。

そしてママは自らに近づくそれに気づき、そして僕たちの姿を認めると、

「大輔!!

ここから離れなさい!!」

絞り出すような声でそう言った。

ママの方も状況を把握できているわけではないが、本能的に危機を察知したらしい。

声に反応して、その生き物はママに更に近付いた。

生き物は犬がするように、鼻孔を擦り寄せるように、短く息をした。

「ママ!!」

僕は思わず叫んでいた。

意識に反して、無意識はママを助けようとしている。

「大輔、駄目!!」

怪物は、唸るように生態を震わせた。

威嚇をしているのだろうか。

僕はここである疑念にとらわれた。

異物感、とでも言うべきものか。

ママは確かに独りよがりな愛で、僕を拘束していた。

だけど今、ママは本当の僕を理解している。

ママが好きなわけじゃない。

むしろ嫌いだ。

だけどママとはちゃんと順序を立てて話したい。

僕の考え、信条、そしてこれからどうしたいか。

このままママと永遠に会えなくなってしまったら、そうすることすらできない。

僕は取り返しのつかないことをしたんじゃないのか・・・・?

石田は目を細め、そして重心を低くし、目の前にいる生物を見定めるようにした。

大輔の母親を助けるにしても、ここから逃げるにしても、チャンスは一瞬だ。

別の足音が、粘液を辿るようにして近付いてきた。

あの粘液は、蟻が分泌するフェロモンのような役割を持っているのかもしれない。

自分が見つけた獲物を、他の仲間に知らせるためのガイドライン。

やがて大輔の母親に、怪物たちは群がるようにして集まった。

大輔は表情を失い、呼吸が浅い。

過呼吸を起こしてしまいそうだ。

怪物たちは口から、半透明の液体を滴らせた。

唾液のようなものか。

そしてその滴が地面を打った。

それを合図にするように、一匹が京子の上腕に歯を立てた。

「ううううっ」

擦れた声で、唸るような悲鳴が響く。

「ママ!!ママ!!ママ!!」

大輔の声に僅かに反応し、一匹が大輔たちの方を一瞥した。

石田は大輔を抱えると、踵を返し走り出した。

「ママ!!ママ!!ママ!!」

大輔は石田の手の中でもがくが、石田の腕は固く大輔を抱いたままだった。

怪物たちは追ってこない。

逃げる標的より、確実に仕留められる瀕死の京子を選んだのだろう。

京子は短く、何度も悲鳴を上げたが、怪物はやがて声帯を穿つように歯型を付け、悲鳴はそこで途切れた。

「ママ!!ママ・・・・・」

建物からしばらく離れた所に、二人と一匹は佇んでいた。

ママは死んだ。

いや、僕が殺した。

それでも僕は生きている。

今までも、そしてこれからも。

ママの命を糧として。

水分を僅かに含んだ空気は僅かに揺れ、冷たい風が大輔の頬をなでた。

テントの中にあるラボに戻ったセシルは、さっそくサンプルをテストした。

様々に器具を使い、同時に複数の検査をした。

そしてそのデータが導き出すものは、セシルの目論でいたとおりだった。

血液は爬虫類のもので、そして現場に残された翼は、鳥類のように羽毛に覆われているのではなく、血液の通った皮膜によってできていた。

そう、これは翼竜のものだ。

外骨格の構造は骨膜、基礎層板、海綿質などから構成される、哺乳類の内部骨格と酷似していた。

あり得ない。

こんな進化を遂げた生物なんて。

セシルはダニエルとそのほかの重役を集め、これまでの自分が考えた見解を述べた。

「なるほどな、調査チームをおそったのはその恐竜もどきってわけか」

ダニエルはぶっきらぼうに、端的にまとめた。

「全てがそうと限ったわけではありません。

他にもさまざまな生態を持つ個体が生息してる可能性もあります」

「・・・・やはり、これはただの調査では済まないな」

ダニエルは、ため息に声を乗せたような口調で言った。

これがもし、映画か小説なら、生物学者である私はたちどころにあの怪物の正体を暴き、そして「弱点はうんたらかんたら」と「説明的な説明」をした後、瞬く間に決着はつくのだろう。

しかし現実はそう好都合に行かない。

セシルは無力感を覚えた。

「それで『博士』。

あの怪物たちをこれからなんて呼べばいいの?」

ヴァネッサが素朴な疑問を投げかけた。

「え?」

そうか、そう言えばそうだ。

もし、あの怪物たちが闇に葬られることなく、動物園でお目にかかることになるなら、説明書きの欄に私の付けた名前が載るのだ。

そう思うとこの気の滅入る状況のかで、少し救われた気がした。

「セシルザウルスってのは?

ブラッドレイノドンとか」

ヴァネッサは後半から少し、自分でも噴き出しそうになりながら冗談を飛ばした。

そう、普通は自分の名前を発見した生物のその名に冠するものなのだろうが、セシル=ブラッドレイでは様にならない。

そしてその時セシルの頭には、昔メリッサとみた「グリーンモンスター」の事が頭をよぎった。

「ビシュラ」

セシルは半ば無意識に、かつての恋人の名を呼ぶように言った。

「それ本気?」

ヴァネッサが眉をあげ、コミカルな表情をつくる」

「いいじゃないか、ビシュラ。

短くて覚えやすいし」

セシル半分冗談、半分本気といった口調で言った。

「まあいいかもね、ビシュラ。

みんなにも伝えとくよ、それ。

たぶん全員セシルのネーミングセンスに脱帽するよ」

ヴァネッサは子供のように無邪気に笑い、テントを後にした。

南校舎に住み着いた人々は、初めは近付くそれの正体を掴みかねていたが、やがてその姿をはっきり目にとらえると、一目散に逃げ出した。

南校舎のコロニーの上空で、翼竜はしばらく旋回し、そして沈むように地面に降り立った。

建物の陰に、人々は身を潜めた。

翼竜は体育館跡に隠れていた数人に近づき、咆哮を上げた。

地面が震え、振動は身体の奥まで伝わった。

「ああああああ!!」

瓦礫の陰になっていた場所から一目散に走り出した男たちを、翼竜は刃のような牙でとらえ、湿った音を立てながら磨り潰すように噛み砕いた。

肉が裂ける様はまるでスイカ割りのようだ。

人々は蜘蛛の子を散らしたように逃げ始め、翼竜はその中のどれを捕まえようか考えているようだった。

しかし翼竜の意識は、不意に聞こえたビシュラの鳴き声に向けられた。

バイクの後ろで赤城が携えているビシュラの増えからは、ひょうひょうと、ビシュラが仲間に助けを呼ぶ声のような音がした。

翼竜はバイクに標的を定めると、ノーモーションで飛びかかってきた。

「やべえよ元江!!

やっぱり俺たちが殺されるよ、こんなでかいの!!」

「うろたえんな!!

ポイントまで確実に誘導すんぞ!!」

バイクは翼竜が追跡を諦めず、かつ追いつかれない絶妙な距離を保っていた。

翼竜は鉤爪のような脚を何度もバイクめがけて放つが、元江は車体を左右に揺らし、巧みに攻撃を避けた。

「死ぬ!!死ぬ!!」

「うっせえ!!」

翼竜は導かれるように、貯水タンクへ接近した。

「今だ!!稀人!!」

タンクの上から、待機していた稀人が翼竜の背中に飛び乗る。

稀人は不安定なその足場に、ビシュラの骨を加工して造ったランスを突き立て、しがみついた。

バランスを失った翼竜はよろめき、北校舎の残骸の方へ滑り込むように突っ込んだ。

翼竜は再び飛び立とうと羽をばたつかせるが、稀人は翼竜の後頭部まで一気に間を詰め、渾身の一撃を放った。

翼竜はその瞬間のけ反るように空を見上げ、しばらく静止した後、地面を震わせて倒れた。

稀人は転がるように、地面に着地した。

そこへ赤木と元江が駆け寄る。

「やったか、稀人!!」

「ああ。

何とか仕留めた」

稀人はビシュラのランスを翼竜から抜き出すと、無造作に投げ捨てた。

三人を囲むように、多くの人間が視線を投げている。

赤城はその、こそこそと隠れるような、卑怯な態度が気に入らなかった。

「おい!!そこにいる奴出てこい!!」

赤城は人々が隠れている方へ向って叫んだ。

「おい赤城、そういう言い方ないだろ」

元江がいさめるように言う。

「皆さん、僕たちは敵ではありません。

決して皆さんに危害を加えるようなことはしません」

稀人は彼にしては珍しく、声を張り上げてそう言った。

だがコロニーの人々は三人を警戒しているのか、近付こうとしない。

「どうする?」

赤木が二人を振り返り、聞いた。

「しばらくここで待つ」

稀人は持っていた武器を一通り外すと、傍らに置き、地べたに腰を下ろした。

「こりゃ長期戦だな」

元江が呟くように言った。

突然現れた翼竜は敵に違いないが、あそこにいる三人はどうだろう。

由紀はしばらく考えて、そして三人のいる方へ歩き出した。

「おい、アンタ!!」

石田はそれを制するかのように、手を宙へ差し伸べるが、由紀は何も言わず三人の近くに行き、足を止めた。

「・・・・・・・・」

何を言えばいいのかわからない。

こういう時はいつも、由紀は必要以上に言葉を選んでしまう。

「あの・・・・お礼が言いたくて、

えっと・・・・」

そして言葉に詰まった。

そう言えば私はこの人たちの名前を知らない。

三人は僅かに反応して、顔を見合わせた。

そして我先に、赤城が名乗りを上げた。

「俺は赤城清治。

バイクに乗ってんのが元江幸助で、マントの奴が荒木稀人」

「私は・・・・高島由紀って言います・・・・。

えっと、荒木・・・・さん・・・・くん?」

「稀人でいい」

「えっと、さっきはありがとう。

・・・・助けてくれて」

そこで互いに言葉がなくなった。

今度は三人の方が、言うべき言葉を探している。

そして赤城が調子のいい口調で答えた。

「当然ことをしたまでさ。

困った人を放っておけないタチなんだ。

ま、ほとんどこの二人が倒したようなもんだけどな」

赤木は親指で後ろの二人を指さし、由紀はもう一度その方へ、小さく礼をした。

「あの、良かったらこっちでお話しませんか?

みんなも集めて・・・・稀人、さん」

「・・・・そうだな」

稀人は腰を上げ、そして武器を赤木の手に預けると歩き出した。

元江たちもそれについていく。

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