JFKとジャムドーナツ:私はジャムドーナツです

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大統領遊説中に暗殺されたことでも有名な、第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディが1963年にドイツのベルリンで行った演説に関しての都市伝説です。

[演説の背景]
* 東西ドイツの分裂によって、国境線に鉄条策が敷かれ、東ドイツ国民の西ドイツへの渡航は厳しく制限されていたが、東西ベルリンの行き来はまだ自由だった。
* このため、西ベルリンは西側社会への亡命を望む東ドイツ国民にとって格好の抜け穴となってしまう。
* 49年から60年までで、東ドイツの人口約4分の1にあたる250万人が亡命。61年4月の1ヶ月間で3万人を超えた。
* 亡命者は、若くて医師・技術者などインテリ層が多く、東ドイツは危機感を感じ、西ベルリンを取り囲むように(東側内の土地に)鉄条柵を設置、壁を建設しはじめた。1961年8月13日。
* ベルリンの壁は西ドイツと東ドイツを隔てていたのではなく、西ベルリンの周りをぐるっと囲んでいた
* ベルリンの壁の総延長は155km。

この状況の中、米国はドイツ ベルリンを放ってはおかないという決意を示すため、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディは、1963年6月26日、西ベルリンを訪れ演説を行った。

その中でケネディは「自由を求める者は皆、ベルリン市民である。私も1人のベルリン市民である(Ich bin ein Berliner)」と述べ、演説の最後を締めくくった。これはドイツの戦後史での名セリフとしてドイツ国民に長く記憶されることとなった。

また、(狙撃の恐れがあるというシークレットサービスの説得も聞かず)ベルリンの壁すぐ近くまで近寄ったという逸話も残っている。

この素晴らしい、名セリフが都市伝説となった元には、Berlinerという単語が、ドイツのパン菓子(ジャム入り揚げパン:ジャムドーナツ)の意味も持っていたのと、ケネディ大統領は「Ich bin Berliner(I am a citizen of Berlin)」と言うべき所を、einをつけて「Ich bin ein Berliner(I am a jelly doughnut)」と言ってしまったためということが挙げられる。

一般的に、einは個人の職業や居住という意味に使うときは必要であるがしばしば省略される。
しかし、ケネディが使ったように、(ベルリン出身ではないが)ベルリン市民との連帯を表すために、比喩的にBerlinerを使う場合にはeinは必要である。これらを加味すると、ケネディが使った「Ich bin ein Berliner」は文法的に正しいだけでなく、彼の意図としても正しい表現だったのである。

引用元:

Ich bin ein Berliner
http://en.wikipedia.org/wiki/Ich_bin_ein_Berliner

ジョン・F・ケネディ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・F・ケネディ

JFK: 'I Am a Jelly Donut' ('Ich bin ein Berliner')
http://urbanlegends.about.com/cs/historical/a/jfk_berliner.htm

  1. Kennedy and the Jelly Donut - 25 Most Popular Urban Legends Still Being Told http://list25.com/25-most-popular-urban-legends-still-being-told/

ベルリーナー・プファンクーヘン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%98%E3%83%B3
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリーナー・プファンクーヘン

ベルリン危機
http://maedafamily.com/kanren/berrin.htm

西ベルリン - 社会主義圏に浮かんでいた資本主義のショーウインド
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/euro/berlin.html