瀧廉太郎の遺作

瀧 廉太郎(たき れんたろう、1879年(明治12年)8月24日 - 1903年(明治36年)6月29日)は、日本の音楽家、作曲家。明治の西洋音楽黎明期における代表的な音楽家の一人である。

代表曲は「荒城の月」「花」などあるが、実はもっと有名な曲を作っていることはあまり知られていない。

それは、「鳩ぽっぽ」「雪やこんこ」。

曲名を聞いただけで、歌詞が思い出されるあの曲か。と思われるかもしれないが、実はそれらの曲名は「鳩」「雪」という曲名で、我々が聞き覚えのある鳩・雪の曲といえば「鳩」「雪」なのである。

しかしなぜ、瀧廉太郎が似たような「鳩ぽっぽ」「雪やこんこ」を作曲しているのか。

謎を紐解く鍵は作成された年と歌詞にある。

作成された年は、「鳩ぽっぽ」- 1901年、「鳩」- 1911年。「雪やこんこ」- 1901年、「雪」- 1911年。

歌詞は、「鳩ぽっぽ」・「鳩」が共に似通った歌詞であり、「雪やこんこ」・「雪」も似通った歌詞なのである。

つまり、瀧廉太郎が作曲した「鳩ぽっぽ」・「雪やこんこ」が作られた10年後に、誰かが歌詞とメロディーを少しだけ変えた曲が作りなおされているのである。

「パクリじゃないか!」と怒っても良いはずの瀧廉太郎は「鳩」「雪」が作られた数年前に23歳の若さで亡くなっており、「鳩」「雪」の作詞、作曲者は不明とされている。

当時、文部省が子供向けに楽しく歌えるような曲を作ろうとするも、子供にはウケの悪い堅苦しい曲しか作ることが出来ない状況に現れたのが、若き天才作曲家瀧廉太郎なのである。

瀧廉太郎の作った子供向けのポップな曲は、どんどん評判を呼んでいく。

若造に面子を潰された文部省は、瀧廉太郎という才能を日本から追い出すように、自らの意思ではなく単身ドイツに留学させるのである。

ドイツに留学させられた瀧廉太郎は、たった4ヶ月で当時は不治の病である結核に罹る。

その数年後、療養中の1903年に結核を原因に死亡。

そして、瀧廉太郎の残した楽譜は、結核菌が付いているかもしれないという理由で燃やされてしまう。

果たして、瀧廉太郎がドイツに留学に行ったのは、文部省が日本から追い出したかったのか、ドイツで結核に罹ってしまったことすら文部省の仕業なのか、を我々が知る術はありません。

しかし、瀧廉太郎は自らの心情を遺作となった曲「憾」にメッセージとして込めたのではないかと考えられている。

その遺作「憾」とは、彼がこれまでに作っていたポップな曲とは打って変わって、非常に悲しいメロディーで、これまでに作曲した曲にはあった歌詞もありません。

ちなみに「憾」という曲名の読み方は「憾(うらみ)」である。

引用元:

瀧廉太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/瀧廉太郎

憾 (滝廉太郎) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%BE_%28%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E%29
http://ja.wikipedia.org/wiki/憾_(滝廉太郎)

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