群馬県沼田市利根町園原県道267号線
山の中にあり、人里離れていることもあってダムには不可解な噂が絶えないものである。群馬県沼田市利根村にあるこの薗原湖ダムにも不吉なうわさがある。もともとこのダムは1947年のカスリーン台風という大きな台風での被害を受けて作られることとなった多目的ダムである。この台風では死者1000人、行方不明者800人以上という戦後間もない日本に大打撃を加えることになったのだ。この台風では利根川が氾濫して大きな被害をもたらしたことから、利根川にダムを作ることになった。それがこの薗原湖ダムである。現在では、このダムができたおかげでこの周辺は薗原湖という湖になっていて観光地として滝や温泉などへのアクセスもしやすくなっている。
しかし、現在の穏やかな様子とは違い、このダムが作られる当初には多くの地元住民による反対活動があったそうだ。その激しさは日本でも数えるほどであり、最終的に損害賠償によってダムが建設されるまで反対活動は続いていた。その中には老舗の旅館も含まれており、温泉地としての役割も失われてしまったこともあって反対活動も激しかったのである。
このように建設されるまでにも多くの困難があったダムであるが、無事に建設されてからも、このダムにはさらに様々な不幸な出来事が重なっている。まずダムを作成する際には何人かの人々が事故によって命をなくしている。現在、その慰霊碑がダムの付近に建てられているのでその様子を知ることができる。またその他にもこのダムで自殺した女性もいるという。主にこのダムで噂されている幽霊はその女性のものである。ダムの上にかけられている薗原橋という橋を夜中に渡ろうとすると、その自殺した女性の霊が現れるという。とある目撃者は慰霊碑に女性の顔らしきものが映っている写真をおさめている。
また、その他にもこのダムには多くの霊がうろついているという。このダムを作る際に沈めた薗原村にあったお墓をほかの場所に移す際に移動の儀式を各お墓で行ったのだが、誤って行わずに移してしまったお墓があったのだという。そのために今でもそのダムの中に取り残されてしまったお墓の主たちが夜な夜な現れるそうである。さらに、この薗原ダムには橋がかけられているがそれは新しい橋であり、古くはもうすでに湖の中に沈んでしまった古い方の橋を使っていた。その橋は谷の上にかけられており、山間の風も吹く中にあったので、しょっちゅう牛や馬、また時には人間も足を踏み外して落ちていたそうである。そのため、今でも覗き込めば橋の上に馬や牛の足跡を見ることができるという。
またこんな恐ろしい噂もある。この薗原ダムは、殺人を起こした人々がその遺体を捨てにくる定番のスポットだというのである。そのため、夏になって湖の水が減ってくるとよく遺体があがるそうである。ほかにも、江戸時代には、旧薗原橋を間にして橋の向こう側同士の村での抗争があり、多くの人が犠牲になったという噂もある。
このような様々な理由が相まってこの薗原ダムは大変霊が出やすい場所となっている。よく言われているのは、自殺した女の霊がでる、というものであるが見る人によってはその他にも多くの霊を見ることになるそうである。実際に行った人によるとおもしろ半分でくるような場所ではなく、霊気が集まっている大変危険な場所だそうだ。
実際に行ってみる場合には十分に注意を払って、霊たちを刺激するようなことをしないようにしなければならない。
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