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北海道松前郡松前町字松城144 松前城

松前城

入ると謎の激痛が走る。アイヌの怨恨に満ちた城

北海道のミステリースポットを語るうえで、松前城は絶対に外せない場所の1つに挙げられるだろう。築城されたのは1854年(安政元年)と、日本の城の中では最も遅い。当時ロシアを警戒していた幕府が、北方守護の要として築城した。
現在残っている天守閣は焼失後の1961年(昭和36年)に再建されたものだ。内部は資料館になっている。ここで血なまぐさい話は聞かないのだが、問題はその周囲にある。城の裏手に回ってみよう。
木の影にひっそりと「耳塚」と書かれた看板が立っている。なんとも不気味な名前だが、ここにはアイヌの人々の耳が埋まっているそうだ。
まだ松前城が存在していなかったころ。松前藩は、先住民族であるアイヌを強引に支配しようとしていた。それに対し、アイヌは何度も血で血を洗う抗戦を繰り返していた。1969年、アイヌは2000人の軍勢を率いて最後の抵抗を試みる。しかし松前藩の大軍の前に返り討ちされてしまった。そこで松前藩はアイヌたちに対して、「我々に逆らった者の末路を、目に焼き付けておけ!」と、見せしめにアイヌ兵たちの耳をそぎ落とし、この地に埋めたのだ。見せしめはそれだけでは終わらなかった。
耳をそがれたアイヌたちの左右の足首に1本ずつひもを結ぶ。それぞれのひもの先は牛に結び付けられている。
そしてそれらの牛を猛スピードで走らせてアイヌの体を引き裂く「牛裂き」で、次々に処刑していったのだ。
こうしたことから耳塚には、今もなお大勢のアイヌの怨念が残っているようだ。遊び半分の軽い気持ちで近づくと、不意に耳に激痛が走ったりするらしい。
また耳塚のそばには「闇の夜の井戸」という、これまた怪しげな名前の看板が立っている。そばにあるのは石造りの小さな井戸。木の板でフタがされている。この井戸は何度土砂を入れても埋まらないらしい。その理由は、当時の松前藩主に仕えていた丸山久治郎兵衛という家臣の怨念のせいだといわれている。
久治郎兵衛は切腹覚悟で藩主に意見を述べる有識者だった。そんな久治郎兵衛を疎ましく思っていた藩主は、彼を井戸に落とし、石を投げて殺してしまったのだ。月の出ていない闇の夜には井戸の底から、「苦しい・・」という久治郎兵衛の怨念の声がするらしい。
松前城には、函館駅からJR江差線で木古内駅まで行き、そこから松前行きのバスに乗り換えて松城で下車、徒歩10分ほどでたどりつける。資料館を見学したあとは、これらの場所の前で手を合わせるのも悪くないだろう。