北海道北見市端野町緋牛内道道104号線

鎖塚

211名の受刑者が過労死、死んでなお鎖につながれた
タコ部屋労働とは労働者たちを安い賃金で雇い、過酷な現場で強制的に働かせるものだ。明治初期は一般の労働者ではなく、網走刑務所などに収監されている受刑者がその対象だった。
「悪人に人種はない。死んで当然、むしろ死んだほうが食事を与えずに済む」という考えがあったのだろう。
受刑者たちはより残酷な方法で酷使させられていた。まず2人1組になって、足枷(あしかせ)を鎖で結ばれる。脱走防止のためだ。それでも脱走した場合は耳に穴を空けられ、そこと足枷も鎖で結ばれる。思い鎖がつねに耳を引っ張っている状態になるので、肉体的にも精神的にも相当な苦痛になるだろう。そんな状態で労働を続けなければならないのだから、脱走罪で処刑されたほうが幸せといえるのかもしれない。
受刑者の強制労働が行われていた場所の1つに、北見道路がある。南下政策をとるロシアに対抗するためにつくられた軍用道路で、網走市から北見峠までの160キロを結ぶ。別名「囚人道路」。この道路の建設には、約1000人もの受刑者が駆り立てられた。
多くの受刑者たちは過労と栄養失調で次々と死んでいく。死んだ受刑者たちは道路の隅に放置され、ただ土を盛られるだけ。道路が完成した時点で死亡者の数は、約211人にのぼる。ようするに、道路建設に関わった受刑者のうち、20パーセントが死んでいるのだ。
北見道路は現在の国道39号線、333号線、道道104号線に相当する。かつては受刑者を埋めた盛り土が道路沿いにたくさん見受けられたらしい。現在では道道104号線沿いに3つだけ固まって残っている。ここが鎖塚と呼ばれている場所だ。
名前の由来は、盛り土を掘り起こせば、受刑者たちの骨と足枷から伸びていた鎖が出土することだ。ここで働かされていた受刑者たちは、死んでも鎖を解いてもらえなかったようだ。片方の受刑者が死ねば、つながれているもう片方の受刑者も生き埋めにされた。
今でもここを訪れた際には、どこからともなく「ジャラ、ジャラ・・」と鎖を引きずる音が聞こえてくることがあるらしい。その音を聞いたら決して振り向かず、すぐにその場を離れること。振り返ると鎖でつながれた受刑者の霊が、あなたを看守か何かと勘違いして襲いかかってくるそうだ。
鎖塚は大変強力な怨念がこもっている場所だ。現地には観音菩薩と6体の地蔵、慰霊碑などがある。