ストーリーの希薄さは、原作のスティーブンキングによるものなのか、キューブリックの脚本によるものなのか。
気になって調べてみると、原作者は映画を見てブチギレしたほど別物らしいw。2001年宇宙の旅の、アーサーCクラーク論争と一緒。
小説には小説にしか表現できない良さがあり、映画には映画でしか表現できない良さがある。
映画人のキューブリックは、おそれをなさずばっさりと小説を改編してしまった。しかもバリーリンドンの失敗もあったため、「バカにもわかる」ように作らなければいけなかった。
本好きであり、映画も好きである(もっと言えば、音楽の演奏家でもある)キューブリックだからこそ、本と映画のそれぞれの領域を知っている。映画だけ勉強してきた監督にはできないことだ。
つまり、この映画を見て、とても学んだことは、「小説だけにしかできないこと」と、「映画のそれ」。
原作では、主人公ジャックがどのようにしてDVオヤジになっていったのか、アルコール依存症や神経衰弱のエピソードと共に語られている。本来の物語「シャイニング」は、主人の精神的トラブルを起因とする機能不全から、いかに家族が再生するか、という希望と愛(?)に満ちた物語なのだ。
しかし「観客を怖がらせる」ということを徹底的に考え抜いたときに、希望とか愛とかは少なくともキューブリックにはいらなかった。
逆に言うと、希望や愛があれば、怖いものが消えてしまうと言うこと。
そして思うのは、人間として生きていく上で不可欠な人間らしさを消してしまうことが、すごく美しくうつってしまうという、謎の方程式。
美しさっていうのは、「なるべく削る」っていうことだからね。つまり、美しさという概念って、恐怖のそれととても近いもの。