早々に出現した幽霊が生前の回想シーンとだぶって「出過ぎてる感」を醸成してしまい、生身の人間が復讐しているのと変わりない印象を与えてしまったように思う。だから幽霊の正体には慣れてしまい途中からホラーというよりサスペンス推理劇となるのだけど、先が見えてしまう上にどうにも「リング」のパクリを喚起してしまい不完全燃焼な内容だった。
韓国では中高生の間で流行った「分身娑婆」という召喚術があるのだが、これは日本のコックリさんが元で伝わってきた模様。だから分身娑婆という召喚呪文も「プンシンサバプンシンサバオイデクダサイ(分身娑婆、分身娑婆、おいでください)と日本語が混じっているのです。
過去の惨劇、閉鎖的な地域社会、異能者、魔女狩りなどを持ち上げ、複合的に練り上げようとしたのは分かるが、日本人にとってはコックリさんというのは、やってはいけないものに手を出してしまうその行為の魅力と怖さ、一体、何が憑いてしまうのかというコックリさん自体への興味と畏怖なので、早々にとある一つの自縛霊のエピソードに切り換わってしまうのは、「コックリさん」が映画としての小道具にされている感じで失望が大きいのだと思う。主人公と一緒にコックリさんをやった友人達も途中で出演しなくなるし。
ここはオーソドックスな演出で後半までコックリさんは不確かなものとして引っ張り、ビビらせてほしかった。
目の大きな主人公も意図的な配役なのだと思うが、もう一つのネタとしての目、視線に関する演出も弱かったように思う。恐怖には「そういうことだったのか、そういえば!」と知った途端にぞっとするという怖さがあると思うけれど、得体の知れない「何かもう一つ」が存在して監視している。という映像があまりなかったので、真相が分かっても「そうなんだ。」位にしか響いてこないのだ。
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