ウォルト・ディズニーの死の真相

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1966年12月15日、ウォルトは当時の医学水準では治療が不可能なウイルス性の難病により死去した。葬儀は身内だけで執り行われたが、その場に彼の遺体は存在しなかった。
ウォルトの遺体は密かに冷凍保存処理されていたからだ。

「ナショナルスポット」という大衆紙の記者がウォルトが息を引き取ったセントジョセフ病院の霊安室に看護士を装い忍び込んだところ、ウォルトが金属製の円筒の中に寝っていたのを目撃したという話に端を発する。
その後1969年にフランスの新聞イシ・パリに再び記事にされ、アメリカのナショナルタトラー誌には、死ぬ直前にウォルト自身が「1975年に蘇らせてほしい」と医師に頼んだという記事が書かれた。

その後、遺体は極秘裏にある場所に移された。
それは、カリフォルニアのディズニーランドにある「カリブの海賊」の地下である。

ウォルトの死後数週間を経て、ディズニーの幹部達が試写室に呼ばれ、ウォルトが亡くなる直前に撮影したフィルムを見せられた。その中でウォルトは、この世のものとは思えないほど不気味な表情で椅子に座り、今後の計画を1人ずつ名指しで伝えた後、「近々、また会おう。」と言って姿を消した。

21世紀に入り、ウォルトの罹患していた病気の治療法は確立されたが、遺体を解凍する技術が開発されていないので、今なおウォルトは冷凍されたまま眠り続けている。