これは私が小学生の時に体験した出来事です。
もう20年くらい前の話ですが、
記憶が非常に鮮明に残っており、
今思い出しても身震いがするのです。
季節は忘れてしまったが、
冬ではなかったと記憶している。
学芸会の準備をしていたことから、
初秋だった気がする。
その日はもうすぐ開催される学芸会の準備で、
10名くらいの生徒が教室に残っていた。
私は大道具係で、劇で使用する、ダンボールで作った背景の木や草に、
ポスターカラーで彩色していた。
時刻は17時くらいだったと思う。
日が落ちかけて、外は薄暗くなっていた。
私は尿意を催して、一人トイレに向かった。
女子トイレももちろん薄暗く、
私は入り口にあるスイッチを押して点灯させた。
個室は左右に三部屋ずつあり、
特に理由はないのだが、
私は左側の一番奥の個室を好んで使う癖があった。
例に漏れずそこに向かう為に歩を進め、
二番目の個室の前に差し掛かったとき、
私は仰天した。
左の列の真ん中の個室の中に、
女の子が立っていたのだ。
個室に入って突き当たりの壁の方を向いて、
便器と壁の間のわずかなスペースに立ち、
首をうな垂れている。
髪は背中の真ん中くらいまであり、
暗い色をした膝丈のスカートを履いていたと思う。
向こうを向いているのでもちろん顔は見えなかったが、
学校では見たことがない子のような気がした。
何をしているのかと奇妙に思ったし、
不気味でもあったが、私は尿意に負け、
そのままいつもの個室に入り、
用を足した。
個室を出て、再び真ん中の個室の前を通ると、
彼女は先ほどの体勢から微動だにせず、
まだ佇んでいる。
さすがに気味が悪くなった私は急いで手を洗った。
その最中、衣擦れの音がしたので顔を上げると、
手洗い場の上に掛かった大きな鏡に、
後ろの個室が映っており、真ん中の個室から、
彼女がゆっくりと出てくる所だった。
やはり見たことのない顔だったのだが、
それよりも私が戦慄したのは、
その『目』だった。
強い斜視であるらしく、
片目の瞳が目じりの際まで寄っている。
焦点の合わない両の目はカッと見開かれ、
今まで見たこともないほど、
真っ赤に血走っていたのである。
そして私の姿が見えていないかのように一瞥することもなければ、
瞬きもしなかった。
すらりとした長身を重そうに壁に預け、
寄りかかりながら、ずる・・・ずる・・・と、
ゆっくり移動している。
私は蛇に睨まれた蛙よろしく全く動くことが出来ず、
彼女が女子トイレを出て行くまで、
息を殺して見守るしかなかった。
彼女がトイレを去ったあと、
恐る恐る廊下に出てみると、
彼女はまだ廊下を進んでいた。
相変わらず半身を壁に這わせ、
ゆっくり、ゆっくり・・・。
照明が消され、闇に吸い込まれつつある体育館に続く廊下に、
彼女の影も溶けようとしていた。
猛烈に恐怖がこみ上げてきて、
私は文字通り一目散に教室に逃げ帰った。
準備に勤しむクラスメイトたちに、
懸命に今トイレで見たことを説明すると、
数名の男子が面白がってその女の子を捜しに行こうと言い出した。
恐ろしくて気が進まなかったのだが、
嘘をついていると思われたくなかったのと、
仲のいい友人Aも付いていくと言ってくれた為、
私はもう一度トイレに見に行くことを承諾した。
私を含めた5人の生徒がぞろぞろと連れ立って現場に向かったが、
案の定既に彼女の姿はなかった。
非常口の緑色のみが灯る夕闇に飲まれた体育館の捜索は、
さすがの男子生徒たちも怖気づいたと見えて、
全員が手前の廊下で立ち止まってしまった。
その時Aが、「・・・あっ!」と声を上げ、
体育館の壇上を指差した。
私たち5人は、はっきりと見たのである。
壇上に掛かる左右の緞帳の右側、
ほとんど天井近くといっても過言ではない高さに、
長い髪を垂らした少女の首が真横に突き出しているのを。
掛け布団を首もとに引き上げる仕草と同じように、
顔は真っ直ぐこちらを向いて、
緞帳に掛かる二つの白い手が見えている。
もちろん脚立などないし、あったとしてもあんな体勢でいられるわけはない。
そもそも、人が横に寝て収まるほどの奥行きは、
そのスペースには存在していないはずだった。
人ならざるもの。
私たち5人はパニックに陥り、
何か叫びながら教室に逃げ帰ったのだと思う。
教室に帰り着くまでの記憶は曖昧で、
私は恐ろしさのあまり一人で帰宅することが出来ず、
Aの家まで一緒に向かい、
自宅に電話し迎えを頼んだのだった。
あの少女がなんだったのか、
知るすべはもうありません。
一連の記憶の鮮明さもさることながら、
20年経った今でも私を苦しめるもの。
それは緞帳から突き出した彼女の口元が、
薄暗がりの中でにーっと歪んだ笑みを作るのを、
見逃さなかったからなのです。
今でも緞帳の掛かったコンサートホールや映画館に行くと、
右の天井近くを注視してしまいます。
そこからまた彼女の首が突き出して、
血走った目を見開いて笑っているような気がして・・・。
怖い話投稿:ホラーテラー 水蜜桃さん
作者怖話