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毎朝、テレビのニュース番組の占いコーナーを見てから出勤するのが俺の日課だ。
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「今日もっとも悪い運勢は、ごめんなさい、牡羊座のアナタ。突然のアクシデントに見舞われそう。今日は一日、身の回りに注意して過ごしてください。でも安心してください、そんな牡羊座さんの今日のラッキーアイテムは、イナゴの佃煮です!」
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また微妙なラッキーアイテムだな……。
今日一日最悪の運命を宣言された牡羊座の俺は、気を取り直して出掛けることにした。
あまり気にしないけど思わず見てしまう。占いとは不思議なものだ。
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最寄り駅に着くと、ホームは電車待ちをしている人々で混みあっていた。通勤時間帯はいつもこんな感じだ。
俺は満員電車をパスして、この駅始発の電車が来るのを待つ。ちょうど列の先頭になれたのがありがたかった。
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電車を待っている間、スマホをいじって昨夜の彼女とのメールのやりとりを読み返す。
ハア……。
俺が深いため息をついた、ちょうどその時だった。
-ードン!
いきなり背後から強い力で押され、危うく俺はホームから転落するところだった。
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「おい!何すんだ!」
振り返りながら思わず叫ぶと、高校生らしき男がヘラヘラしながら、
「あ、さぁせ~ん」
といい加減な感じで謝ってきた。
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後ろには彼の連れらしき男が二人ほどおり、
「おい佐藤、馬鹿、なにやってんだよ~」
と、同じくヘラヘラした口調で彼に話しかける。
「ざけんなよ、お前らが押すからだろ。マジむかつく」
佐藤と呼ばれた青年は、早くもこちらの存在など忘れたような様子で連れと絡んでいる。
『この野郎!人のこと殺しかけておいて、何だその態度は!』俺は思わず叫んだ。
心の中で。
だってコイツら三人とも柄悪そうなんだもの。
小市民な俺は、その場でそれ以上揉めるのは止め、大人しく会社に向かった。
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いつも通りの時刻に会社に着くと、いやに人が少ない。スマホを見てみるとメールが大量に届いていた。
同じ部署の部長、同期、事務の女性からだったが、皆体調不良のため休む、という内容だった。
珍しいこともあるものだ。
「なんか風邪流行ってんすかね~?」
背後から部下の佐藤が気の抜けた声をかけてくる。
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「おい佐藤、スーツの襟(えり)が立ってるぞ。ネクタイも緩み過ぎだ。あと寝癖なんとかしろ」
-ーあ、いけね。
そう言って佐藤は頭をかく。
悪い奴ではないのだが、だらしなさが目立ってついつい口うるさく注意してしまう。
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「あ、そうだ。11時から取引先の担当が来社するから、悪いけど二人分コーヒー出してくれるか?」
いつもは事務の女性にお願いをしていたのだが、休みなので佐藤に頼んでおく。
-ー了解っす。
佐藤は手を額の辺りに当て、敬礼の姿勢をとると自分のデスクに戻っていった。やれやれ。
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11時になると取引先の担当者がやって来た。挨拶をしながら打ち合わせ室に移動する。商談前の軽い世間話をしていると、コンコン、とドアがノックされた。
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「失礼します」
佐藤がティーカップに入れたコーヒー、それと砂糖とミルクをお盆に載せて、部屋に入ってきた。
俺は世間話を切り上げて商談に入ることにする。
佐藤は受け皿にティーカップを載せて、担当者の前に置こうとしている。
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ーーカタカタカタカタ……
おいおい、やたら震えてるけど大丈夫か?こぼさないよう慎重になるのはいいけれど……。
って、なんでわざわざ縁までなみなみと入れてるんだ。表面張力の実験みたくなってるじゃないか。
ふるふるふるって……お、揺れが止まった。意外とバランス感覚がいいな佐藤!
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思わず感心していると、
ーーバシャッ
「あ……」
「うわっ熱っ!」
足をもつれさせて、担当者の顔に盛大にぶっかけた。
最悪だ。
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青ざめる佐藤にタオルを取りに行かせ、俺はとにかく担当者に頭を下げ続けた。
彼は口では大丈夫ですよ、と言っていたが目が笑っていなかった。
その後の商談も散々だった。
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肩を落としてオフィスに戻ってくると、他部署の女性から大声で名前を呼ばれた。
「○○商事の佐藤部長からお電話です!なんか怒ってるみたい……」
なんだなんだ次から次へと。
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「はい、お電話代わりました。いつもお世話にーー」
「おい!先日発注したアレ、今日の朝イチが納期だったろう!まだ搬入されとらんぞ!」
受話器から大音量の怒号が響いて思わず耳を離す。
「え、あの、おっしゃっている商品の納期は来週末のはずでーー」
「いいからとにかくこちらへ来てくれ!事情を説明してもらわにゃ!今すぐだぞ!」
ガチャン!
一方的に電話が切られた。
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そんな馬鹿な。
○○商事はお得意先で、間違いがないよう納期は再三確認したはずだ。それこそメールやFAXでも記録が残っているはず。そう思って確認すると、やはり来週末が正しい。先方の勘違いだ。
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しかし、○○商事の佐藤部長は一度頭に血が上るとなかなか冷静にならない質(たち)だ。
今すぐ来い、と言う以上、いくら電話をしても取り合ってくれないだろう。
ハア……
俺はため息をついて外出の支度をする。
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会社を出ると、最寄りのバス停に向かって小走りで進む。今なら次のバスにちょうど間に合うはずだ。
あの曲がり角を曲がればすぐにーー、
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キキーーー‼
曲がり角の影から大型のトラックがけたたましいブレーキ音を響かせながら突っ込んできた。
「うわっ!」
とっさのことに、俺は妙な格好のまま固まって、その場で立ち尽くしてしまった。
そんな俺の目と鼻の先で、車体を横向きにしたトラックが停止した。俺は腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
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と、急ブレーキの影響で、荷台に乗っていた巨大な白い袋がグラリと傾いたかと思うと、俺に向かって落ちてきた。
呆然としている俺の肩に衝撃が響く。肩先に袋がかすったのだ。俺はその衝撃で後ろ向きに倒れ、道路に頭と背中を叩きつけられた。一瞬呼吸が止まる。
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それでもなんとか体を起こすと、さっきの白い袋は破れ、中から大量の白い粉が溢れ、道路を染め上げていた。
トラックのドアには「株式会社××砂糖」と書かれていた。
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辺りは一時騒然となった。
野次馬の誰かが119通報をしていて、ほどなく救急車が到着した。
事故を起こした運転手は軽症だったようだ。俺も目立った怪我はなかったが、倒れて頭を打っているので、病室に搬送されることになってしまった。
その前に○○商事に電話して事情を話す。さすがに佐藤部長も心配してくれた。加えて、納期も勘違いだったことを詫びられた。やれやれ。
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しかし……
救急車の中で横になりながら、俺は朝からのことを考えていた。
自宅の最寄り駅で、ホームから突き落とされそうになった。犯人は佐藤と呼ばれた高校生。
会社で、取引先の担当者にコーヒーをぶっかけて機嫌を損ねる。犯人は部下の佐藤。
そしてさっき、交通事故に巻き込まれかける。きっかけは○○商事の佐藤部長の勘違い。それにトラックの荷台から落ちてきた砂糖に潰されかけるーー
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佐藤、佐藤、佐藤、砂糖……
最後のはこじつけっぽいが、いずれにしろ佐藤がらみで今日はひどい目に遭いすぎている。
朝の占いで言っていた今日の最悪の運勢は、「佐藤」という一定の方向から俺にもたらされるのか?
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まさか、な……。俺は自嘲した。
と、同時に救急車が急ブレーキ。俺の横に付いてくれていた救命士がバランスを崩し、俺のみぞおちに腕をめり込ませてくる。
ーーぐはぁ!
息が止まった。
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すみません、と慌てて謝ってくる救命士。ネームプレートには「佐藤」の文字。別の救命士が運転手に向けて声を張る。
「ちょっと佐藤さん!患者さんいるんですから安全運転してくれなきゃ困りますよ!」
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病院に着くと、俺は頭を打っているということで、念のためMRIを撮ることになった。
そちらは問題なかったのだが、問題はむしろ先ほどの救急車内での腹パンで、しっかり肋骨にヒビが入っていた。そんな馬鹿な。
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急遽短期で入院をすることが決まってしまった。
そしてその後も、診察で他の患者のレントゲン写真と俺のを間違えて、「これは……」とか深刻な顔をして俺を怯えさせた医師の名前、佐藤。
他の患者と間違えて、検査のためと言いながら俺から大量に血を抜いていった看護師、佐藤。
トイレで転んで、検尿カップの中身を俺に浴びせてきた患者のじいさん、佐藤(カップに名前が書いてあった)。
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様々な災難に見舞われ、俺はぐったりしてベッドに横たわっていた。
ああ、ちなみに俺の隣のベッドで、今、大音量で音楽を聞いている迷惑な若者の入院患者も佐藤だと。
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時計を見ると、21時前。
あと3時間ほどで今日が終わる。
日付が変われば俺の今日の最悪の運勢(by佐藤)は終わるのだろうか……。
そんなことをぼんやり考えていると、病室の入り口に見舞い客らしき人影が現れた。
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ああ……。
それは同じ会社に務めている、俺の彼女だった。
直接連絡はしていなかったが、救急車で運ばれることになった時に会社に電話を入れたので、誰かから俺のことを聞いて来てくれたのだろう。
ありがたい。
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ーー俺の浮気がばれて、昨日の夜から彼女が鬼のように怒っている状況でなかったなら。
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ーー彼女の名前が、佐藤亜利砂でなかったなら。
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あと3時間。
今日が終わるまで、俺は無事でいられるだろうか……。
作者綿貫一
実在の佐藤さんとは何の関係もありませんので、あしからず……。