カラスの巣〈『話』シリーズ 外伝〉

長編9
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カラスの巣〈『話』シリーズ 外伝〉

ー配達員ー

鳥羽紘司が高校入学と同時に新聞配達を始めたのは、ひとえに小遣い稼ぎのためだ。早起きは昔から苦にならなかったし、放課後は毎日陸上部の練習があって忙しいため、選択肢は少なかった。

しかし、新聞配達というと未だに勤労学生のイメージが強いらしく、時々「偉いねぇ」と見ず知らずの人に褒められるようになった。それは大抵高齢者で、中には早朝からお菓子を準備して紘司を待ってくれている家もあり、そんなつもりはない彼にとっては気まずい反面、どこかこそばゆくもあった。

「お前もカラスの仲間入りか」

そう目を細めて言ったのは、紘司の祖父だった。「カラス?」と紘司は眉を寄せる。

「なんだよ、カラスって」

「昔は新聞配達員のことをそう呼んだんだ。鳥は朝が早いもんだし、ホレ、新聞にも絵が載っとろう」

まだインクの匂いの残る新聞を改めて見ると、確かに誌名の下には黒い鳥の絵が描かれていた。

「昔はここらで新聞といえば、その新報だったんだよ」

祖父が新報と呼ぶのは、紘司が住む県の地方新聞だ。祖父は「昔は」と言ったが、今でも近所の家のほとんどはこの新報を購読しており、地域密着型のその内容は県内において根強い人気を誇っている。

「このカラス、足が三本ある」

「それは八咫烏といって、神話に出てくる鳥だ。導きの神とされている。新聞が人々を明日に導けるよう、創始者がその絵を載せたんだそうだ」

「じいちゃん、詳しいな」

「俺も昔は、お前と同じカラスだったからな」

祖父はニヤリと笑い、内緒話をするように顔を寄せてきた。

「でもな、カラスにはもう一つ意味があるんだ」

「なんだよ」

「カラスは黒いだろ? 夜明け前に動いてネタを掴むのさ。今みたいに便利じゃない時代は、そうやって新報はどこよりも早くて正確な情報を仕入れとると噂されとった」

話がよく見えず、紘司はまた眉を寄せた。そんな孫に苦笑しながら、祖父は「本当かどうかは知らんがな」と前置きをして話し始めた。

新報の始まりは幕末までは遡る。当時は街角に掲示される瓦版のようなもので、記事の内容も曖昧、あるいはデタラメなものばかりだった。

細々と廃刊と復刊を繰り返していたのだが、ある時を境に急に情報の精度が上がった。その理由を尋ねても、創始者は「役に立つカラスを手に入れた」と笑うばかりだったという。

新報は徐々に読者を増やしていき、いまでは県都の一等地に大きな自社ビルを構えるまでになった。

ところがそのビルを建設する際、不思議な注文があったという。

それは、

「屋上に小部屋を一つ作ること」

「社長室からその小部屋に直接行けるようにすること」

というものだった。

当時の社長の要望通りに作った屋上の小部屋は、社長室へ降りる床の階段と天井の大きな窓以外に出入り口のない、どこか鳥かごを思わせる作りだったという。

人々は、新聞の正確さと会社の発展は、なにか通常ならざるものの手を借りたからに違いないと噂しあった。

「つまり、カラスってのは隠語なのさ。なにを隠しているのかはわからんが、妖怪か忍者みたいなのが、あの新聞を作るのを手助けしてるんだよ」

「ふーん」

紘司は話半分以下で祖父に相槌を打った。完全に都市伝説の類だ。それに、昔ならばいざ知らず、文字通り情報が飛び交う今の世では、そのカラスとやらも不要ではないだろうか。

「おいお前、その顔は信じてないな」

「そりゃあね」

「じゃあ、もう一つ教えてやる。お前たち配達員の中にも、カラスは紛れ込んでるって話だ」

祖父は、どうだと言わんばかりに胸を張った。

「町中を走り回る配達は、ネタを探すのにちょうどいいからな。やけに仕事が早くて人目を避けるような奴が、カラスだそうだ。カラスってのは、人に見られるのを嫌うんだってよ。俺がやってた頃にも、一人それらしい奴がいたよ。まぁ、そいつがカラスだったかどうかは、わからず終いだけどな」

祖父の話を聞きながら、今度は紘司にも思い当たる人物がいた。同じ販売店で配達員をしている、黒田翔太という男だ。同じ仕事をしていながら、紘司は彼に会ったことがなかった。

黒田は紘司の倍以上の広さの地域を担当しており、いつも紘司よりも先に出勤し、先に仕事を終わらせて退勤していた。紘司は出勤札でしか彼を知らないのだ。

そんな黒田の特徴は、今祖父が語った内容と一致している。言われてみれば、名前もなんだカラスを連想させなくもない。

ーーまさかな。

紘司は頭を振り、今聞いたことは年寄りの与太話だと打ち消した。

次の日、いつものように早朝に出勤した紘司は、ふと壁にかかった出勤札に目をやった。「黒田翔太」の札は、いつもと同じように勤務中になっている。

昨日の祖父との会話を思い出し、紘司は何気無い風を装って仕分けをしている店長に声をかけた。

「黒田って人、いつもメッチャ早いですよね。オレ、会ったことないっス」

「あぁ、黒田さんねぇ」

店長は仕分けの手を休めないまま、どこか呑気そうな間延びした声で返事をした。

「あの人はうちのベテランで、すっごく仕事はできるんだけどねぇ。対人恐怖症っていうのかなぁ、人に見られるのが嫌みたいだよ。だから僕も、なるべく顔を合わせないように気を遣ってるんだぁ」

「マジっすか、店長まで?」

「そうなんだよ〜。こないだも、大学生が待ち伏せして覗いてくるなんて文句言ってたし」

「うわぁ…」

紘司は内心「ヤバい奴じゃん」と眉を寄せる。

そして、店長の次の一言に耳を疑った。

「だから、鳥羽くんもあんまり詮索しないようにねぇ。辞めさせられちゃうよ」

「え?」

辞めさせられる? 俺が? それだけで? 誰に?

紘司の動揺に気づいたのか、ようやく店長は顔を上げて「ゴメンゴメン」と苦笑した。

「辞めさせられるってのは、さすがに言い過ぎかなぁ。ただ、他人のことをとやかく詮索しないほうがいいよってこと。好奇心が猫を殺すっていうでしょ〜」

そう言って店長は笑ったが、その目は冷たく紘司を見据えていた。

「さぁ、今日も元気に配達頼むよ〜」

「は、はい!」

追い立てられるように店を出た紘司は、ふと視界の隅に家々の屋根を渡る黒い影のようなものを見た。

反射的に目で追おうとして、先ほどの店長の言葉が思い出され、無理矢理首を前に向ける。

ーーただのカラスだよ。

背中に刺さるような視線を確かに感じながらも紘司は自分にそう言い聞かせ、朝靄立ち込める薄青い町へ走り出した。

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ー供物ー

似鳥亜美は、今年念願だった地元の新聞社に内定が決まり希望に燃えていたのだが、早くもピンチを迎えていた。

まだ入社もしていないというのに、ある日突然社長に呼び出されてしまったのだ。

なにかをしでかした覚えはない。なにしろまだ研修すら始まっていないのだ。なぜ自分一人が呼び出されるのか、皆目見当もつかなかった。

「緊張してる?」

前を歩く青年がそう問いかけてきた。彼は社長付きの秘書で、亜美を社長室まで案内してくれるらしい。

「は、はい」

「大丈夫だよ。社長はそんなに怖い人じゃないから」

青年はそう言って爽やかに笑った。

もしかして、と亜美は考える。

もしかしてこうして呼ばれたのは、自分が社長の秘書に抜擢されたということなのだろうか。記者を目指して新聞社に入社したのでその仕事から離れてしまうのは嫌だけど、でもこんな爽やかイケメンの隣で仕事ができるなら、それはそれでいいかもしれない。

そんな風に浮かれていた亜美は、青年がポツリと呟いた「社長はね…」という一言を、完全に聞き漏らしてしまった。

重厚な扉の向こうは、ドラマなどで見るそのままの社長室だった。

しかし、部屋の隅に奇妙なものが見えた。天井へ続く階段だ。天井には、潜水艦のハッチのような丸い扉が付いていた。なんのためのものなのか、亜美は内心首をひねる。

「やぁ、こんにちは」

社長は、笑って亜美をソファに促した。

座るとすぐに、先ほどの青年がコーヒーを運んでくれる。インスタントではない芳醇な香りに亜美はついウットリしたが、まだ内定をもらっただけの自分にこの好待遇はおかしい。というか、不気味だ。

亜美の心中に気がついたのか、社長はにこやかに向かいのソファに座った。

「急に呼び立てて悪かったね。緊張するなというほうが難しいかもしれないが、それでも飲んで少しリラックスして」

そう言って自分もカップを手にする。亜美もそれに倣い、一口コーヒーを口にした。口に含むとふわりと広がる香りに少し心が穏やかになる。

「僕は、こうやって新入社員と話をするのが好きなんだよ。今日はあいにく君しか都合が合わなかったけど。まぁ、社長の道楽とでも思ってくれ」

「はぁ」

「時に、似鳥くん。失礼なことを聞くようだが、君にはご両親がいないのだね?」

予想外の質問に、亜美は思わず言葉に詰まった。

亜美の両親は、彼女が小学生の頃に事故で亡くなっている。両親は揃って一人っ子で、おまけに祖父母は当時から持病があったりすでに亡くなっていたりで亜美の養育は難しかった。そのため彼女は、高校を卒業するまで養護施設で育った。

隠すことでもないので、数回あった採用面接のどこかでその話はしたはずだ。それを今更なんだというのだろう。

困惑が顔に出ていたのだろう。社長は苦笑した。

「いやいや、すまない。試験の際の君の小論文は、眼を見張るものがあったよ。失礼な言い方になってしまうが、ご両親を亡くしたにも関わらず、それに負けずに豊かな感性を養って成長できたというのは素晴らしいと思ってね。我が社は君のような人材を求めていたんだよ」

「あ、ありがとうございます」

亜美は頭を下げた。ありがたいが、なんだか持ち上げられすぎな気がする。なんとなく気まずくて、亜美はもう一口コーヒーを口に含んだ。

「君の提出書類を見たが、保証人となってくれているのは親戚の方かい?」

「いえ、育った養護施設の施設長です」

「身内は、もう誰もいないのかい?」

「はい。一昨年最後に残っていた母方の祖母が亡くなったので」

言いながら、亜美は急に猛烈な眠気を感じ始めた。そんな場合じゃないと自分を叱咤するが、まるでソファに沈み込んでしまうような感覚を覚える。

「そうか。大変だったね」

「いえ…」

「繰り返すが、私は君のような人材を探していたんだよ。うちに来てくれて本当に嬉しい。感謝しているよ」

社長は深々と頭を下げた。

しかし、亜美にはそのことを奇妙と思うことはもうできなかった。頭がボゥっとしてなにも考えられない。座っているのも困難で、ユラリと体が傾いだ。

社長の大きなため息と、先ほど入って来たのとはまた別の扉が開く音が、遠くで聞こえた。

・・・・・

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「なぁ、オヤジ。こんなこといつまで続ける気だ?」

先ほど亜美を社長室まで案内した青年が、苛立ちを隠そうともせずそう言った。

「わからんよ…」

ソファに腰掛け項垂れたままの社長が、押し殺すような声を漏らす。

彼の前に先ほどまで座っていた亜美の姿は、もうない。

「もう十分だろう。会社はこれだけでかくなったし、今の時代なら、地方紙に見合う程度の情報はいくらでも仕入れられる。こんなこと、どこからかバレたら会社がお終いどころの話じゃないぞ。」

青年は気味悪そうにしきりに天井を見上げながら言った。

「ーーお前は、先祖がどこから見つけてきたかわからないコレを、俺が飼いならしてるとでも思うのか?」

「え?」

青年の背中を、ヒヤリと氷が伝うような感覚が走った。

「こいつらは、今も昔も変わらぬ仕事をしているだけだ。そして、変わらぬ報酬を求めてくる。今時、失踪しても探す者のいないような人間を都合よく見つけるのが、どれだけ難しいか…。とにかく、契約だか習慣だか知らんが、俺はそれを打ち切る方法を知らないんだよ。俺だけじゃない、俺の親父も爺さんも知らなかった」

「…じゃあ、どうすれば」

「わからん。お前たちには、本当に申し訳ないんだが」

社長は内臓まで吐き出すような深い深いため息をつき、やがて絞り出すように言った。

「次は五年後だ。その時の供物は俺自身だ」

「……」

「その後は、お前が社長だ。お前がどうするか決めろ。この五年間をどう過ごすか、もだ。悪いが、俺にはそれしか言えない」

項垂れる社長を残し、青年は扉を荒々しく閉めて出ていった。

静まり返った部屋にいると、頭上から何か音が聞こえる気がする。

クチャ、グチャ、ゴリ

肉食の獣が獲物を咀嚼するような音が聞こえる気がして、社長は耳を塞ぎ、それでも部屋から出て行くことはなかった。

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