長編8
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秋蛇様

 今年も晩夏を迎える。私は毎年この瞬間がどこか切ない気持ちになる。線香花火がジリジリと音を鳴らし、最後にポトっと落ちるその火玉音は誰の耳にも届かない。そんな感じの切なさ。虚しさ。と言っても過言ではない。

 

私は夜夏が放つ独特の匂いが好きだ。どこか懐かしいような、どこか親しみがあるような、そんな感情が湧き上がる。私が住むこの場所はかなり田舎で、周りは畑で視界が覆い隠されるほどである。夜の畑道で眼を閉じ、耳を澄ませば、容姿は嫌いだが心地よい虫の音色が囁かれる。

最近知った事だがこの音色の主はクビキリギスと言う虫だそうだ。4月、5月辺りに盛んに鳴き、年中生息しているそうだが、私は夏の虫と感じている。昼間はセミの騒音に心身共に暑さを覚えるが、夜になればその騒音は消え、クビキリギスの合唱が始まる。私はそれを聴きながら物思いに耽ったりして夜夏を謳歌していた。

しかし、そんな時期も、もうすぐ終わる。先程私の住むこの場所は田舎と言ったが、もはや村と言っても良いぐらい殺風景で何も無い。映像としては綺麗に映るかもしれないが、実際はとにかく虫が多い。特に蚊には毎年苦戦を強いられる。少しでも肌を露出させれば、それがどれだけ狭い隙間であろうとお構いなしに複数で血液を搾取しに来る。この村ではそれが恒例となっている。それだけ聞けば普通の村のように思うかもしれないが、ここからがこの村の特異部分である。

初秋を迎える頃、ある場所には決して訪れてはならない。それがこの村では代々言い伝えられている、ある種「掟」のようなもの。仲夏では祭典にも使われている歴史ある神社だが、晩夏に近づくにつれ、誰も足を踏み入れる事はしなくなる。真偽は明らかではないが、『秋蛇様』という下半身は大蛇そのものであるが、上半身は人間の容姿であると言う。想像するだけで身震いを起こす程に歪な生き物だが、この村では神と崇められる存在でもある。

昔、民家の娘が初秋を迎える頃、あの神社に闘病する母親の体調を案じ、礼拝を行ったそうだ。

すると、次の日からその礼拝が相まってか、みるみる母親の体調が回復した。まるで何事もなかったかのような回復ぶりに専属の医師も驚きを隠せなかった。娘は喜び、「お礼参りをしてくる。」と再びあの神社へ向かった。

 

しかし、その娘はその日以降、姿を見せる事はなかった。まるで神隠しにあったかのように綺麗にその存在が消えてしまったのだ。娘の母親は病気自体は回復したが、その事実が気を狂わせ、精神的に衰弱してしまい、数日後に自ら命を絶ってしまった。

それからこの村では毎年初秋を迎える度、何故か若い娘が1人消えてしまう。その消えた者は必ずあの神社に訪れている。そして、誰が流したのか「あの神社で大きな蛇人間に丸のみされているのを目撃した。」とそんな話が囁かれるようになった。

顔は人間であるが、人を食らうその瞬間だけは人間とは掛離れたバケモノの形相だったと、誰が目撃したか定かではない逸話が広げられた。消えた娘の礼拝は必ず叶う。しかし、その代償は決して小さくない。毎年惨憺たる結末が後を絶たないが、村の住人は初秋に現れるそのバケモノの歪な容姿から『秋蛇様』と名付けた。そして、初秋にあの神社に決して近づく事を赦されなくなった。

だが、その掟は毎年破られている。必ず叶う礼拝を利用して自らの薄汚い欲を若い娘に背負わせて、まるで生贄のようにあの神社に向かわせる者も居れば、若さ故の好奇心であの神社に向かう者も存在する。しかし、前者は必ずその愚行が明らかになる。突然羽振りが良くなるが、その経緯が謎に満ちていたからだ。それを怪しんだ周囲はその者に様々な手段で尋問を行い、事実を吐かせ、その者は静かに始末される。理由は様々だが、毎年必ず誰かがこの村から消える。

去年は私の友人がその対象となった。私にも何故あの神社に向かったのか何も告げる事なく、突然の出来事だった....。

私と彼女はかなり親しい間柄だった為、そのショックは大きかった。仲夏の祭典では毎年2人で足を運び、毎年色々な出店で戯れていた。そんな楽しい思い出を私の記憶に置いて彼女は姿を消してしまった。断言は出来ないが、恐らくあの神社が原因だと、村の人々は口を揃える。私もそう思うが、不思議なのは、肝心の「願い」が分からない事だった。何を叶えたかったのか、もしかすれば礼拝ではなく、何かあの神社に行かなければならない理由があったのか。それすら一向に分からない。

私は自分の友人がそうなった事もあってか、この村に苛立ちを感じていた。もうこんな風潮には嫌気が差していた。

「ねぇ、何で毎年こうなるのにあの神社そのままにするの?取り壊したりしないの?」

お門違いだとわかっているけど、私は母に強い口調でそう尋ねた。

「そうだね....でも、あの神社には古くからの歴史がね....。」

冷静に考えれば母も幾度と同じ事を思い、そう自分で納得せざるを得ない状況に陥ってしまったのだと今になって犇々と感じる。

しかし、あの時の私は「もういい!」と不貞腐れ、部屋に籠り泣いていた。

そんな日々を送っていた私はある時、ある事を思いついた。

秋蛇様そのものを消えるよう礼拝すれば、どうなるのか。この不可解な風潮が無くなるかもしれない。私はそう閃いた。上手くいけば、今までの犠牲者も戻ってくるかもしれない。最初の犠牲からかなりの年月経っている為、その期待は薄いが、もうこんな風潮を終わらせたい。それが今、私の最大の願いである。

そして、私は身が震える思いではあるが、あの神社に向う決心をした。親の目を盗み、もっとも村に人気が薄くなる夕暮れ時。少し民家の外れにあるが故か、風潮が故か、あの神社に近づくにつれ、より一層人気は無くなる。辺りの畑道ではいつものようにクビキリギスの音色が囁かれる。しかし、今日に限っては心地よい気持ちにはなれない。

歩数を重ねる事に恐怖や不安で胸が一杯になる。それでも、私の意思は固かった。夕陽で紅く照らされた畑道を淡々と歩行して遂に、あの神社に到着した。

私は真っ直ぐ神社を見据えた。

祭典で見る景色とは雲泥の差がある。人気がなく、茜色に染まる神社の光景は、蛇ではなく、神社そのものが私を呑み込んでしまうような奇妙な感覚に苛まれた。

心が折れそうな気持ちではあるが、私は一礼をして鳥居を潜り、石段に脚を置いた。そして、一歩、一歩と拝殿を目指し、参道を進む。

恐怖で息が荒れる。まだ拝殿まで距離があるのに心臓の鼓動が激しく高鳴る。私はこの風潮を終わらせたい。しかし、今「この逸話はどうか偽りであって欲しい。」と矛盾した想いが脳に過り始めた。やはり、人間追い込まれると保身を考えてしまう。私は自分で決断したこの想いが崩壊しないよう再度気を引き締め、参道を進んだ。

そして、拝殿の前に到着した。

私は震える脚をなんとか抑え、拝殿の前で礼拝の姿勢を取った。

眼を閉じ、「どうか、秋蛇様を消して下さい。どうか、こんな風潮を終わらせて下さい。」

暫くの間、姿勢を崩さずにそう願い続けた。

しかし、辺りは鎮まったまま、何も起こる気配がない。

私は眼をゆっくり開けた。

何も起こらない。周囲を確認するが、何も変化がなかった。

やはり、こんな事はただの逸話でしかない。冷静に考えれば、誰が目撃したか定かでもない話。私は早く安堵したかったのか、そう自分に言い聞かせ、早々とこの神社を離れる為、拝殿から踵を返した。

「ああ、そう願うか.....。」

突如、拝殿の方角からそんな声が聞こえた。

私の背筋は一瞬で凍りついた。その声は明らかに人間の声帯では出せない。まるで何人かの声が同時に、一斉に放たれてるように騒がしく、鼓膜を貫通させて来るような歪さ、とても言葉では表現出来ない感覚だった。

私は恐る恐る、背後に身体を振り向かせた.....。

そこには、私が今まで聞かされて来た逸話その物が視界に再現されていた。どこから現れたのか、下半身は大蛇、それだけでも2メートルはある。そして、驚く事に、上半身は先程までの声の主とは思えない程、美しい容姿の女性だった。

私は驚きの余り声が出ない.....。逃げようにも脚が動かない.....。

「た....す....け....」

微かに声が出た。気づけば私は涙や鼻水が滝のように溢れ出ていた。身体がガタガタ震える。それでも必死にそう呟いた。

「ふん。立派なのは、願いだけか?」

下半身を蜷局に巻かせ、鼻を鳴らしながら、目の前の歪な存在....秋蛇様は私に問い掛けた。

私は愚かだった。今の私の願いはこの風潮を終わらせる為?それとも今現在の自分の保身?そう問い掛けられているような気がした。

「いいえ....。」

震える身体を何とか抑え、私は自分を鼓舞させ、そう答えた。

「私は....私の願いは....秋蛇様を.....貴方を消すこと!」

私はそう強く、精一杯の声量で秋蛇様に言葉を投げ掛けた。

「.....」

秋蛇様は暫く無言で私を見下ろしていた。

「わかった。私もそろそろ潮時って事だね....。」

その言葉を最期に、後は一瞬の出来事だった。私の視界は闇へ包まれた。恐らく秋蛇様に呑み込まれてしまったのだ。何も視えない。何も聴こえない。何も感じない。私の意思は完全に閉ざされてしまった。

 

暫くして私の視界は広がった。見慣れた光景、聴き慣れた音、懐かしい匂い。私は随分長くこの感覚を味わってないような気がした。

あれから『秋蛇様』という存在は完全に消えた。いや、消えたという言い方は正しいだろうか。今の私の容姿は上半身は私そのものだが、下半身は大蛇の姿になってしまった。私の感じる意思は以前の私の物ではない。今、私という者は存在する。しかし、私の心はどこか遠くへ行ってしまっている。この感覚も、もはや私の物ではないような気がする。しかし、どこか懐かしいような、どこか儚いような....そんな感覚だけは覚えてる。

今の私は、初秋に現れ、仲秋に消える。もうどれぐらい年月が経っただろうか。私の礼拝は叶った。でも....でもどこか.....。

 

 今年も晩夏を迎える。私は毎年この瞬間がどこか切ない気持ちになる。虚しさ。と言っても過言ではない。今年もまた、人を食わなくてはならないのだから......。

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