中編6
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落ちる

蛍光灯はチカチカと明暗を繰り返しながら、ジージーという単調な音を周囲に撒き散らしている

そこに、一匹の白い蛾がパタパタと忙しなく飛び回っていた

この種の生き物は光に向かう性質があるというのだが、その様は度を越していた

白い粉を撒き散らしながら羽をばたつかせて、狂っているのかのように何度も何度も蛍光灯にぶつかっては、離れるのを繰り返している

まるで通り魔みたいに、、、

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まだ夕方には早い頃のこと

幼稚園の派手な送迎車が団地入口から遠ざかっていくのを、私と4歳のミナは手を振って見送った

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その後、

団地一階奥の薄暗い踊り場で、私たちは手を繋いで、エレベーターの到着を待っていた

制服姿のミナは先程から蛍光灯の蛾を珍しそうに眺めている

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私たちの左に、紺のリクルートスーツを着た30歳くらいの細身の男が立っている

男は異様に痩せていた

首、手首、足首、全てが棒のようで、触れるとポキリと折れてしまいそうだ

スキンヘッドの頭に人形のように整った白い顔を上に向け、何が面白いのか、ただ飽きずにじっと蛾を見ている

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しばらくして蛾はとうとう力尽きたのか、男の足元に落ちると、今度は片羽でくるくる回りだした

すると男は膝間付き、その片羽を器用に指先でつまむ

そして、うねうねと胴をくねらせる蛾を自らの目前に持ってくると、そのままパクリと口に入れた

蛾は、口から飛び出た白い羽だけを懸命にパタパタと動かしている

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「ヒッ!」

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私が思わず小さな悲鳴を上げると、彼は満足げに一回頷き、ゆっくり立ち上がった

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ゴトンという鈍い衝突音に続いて、大げさに金属の扉が開いていく

私はミナの手を引っ張り、逃げるように四角い金属の箱に収まると、4階のボタンを押す

男は6階を押した

三拍ほどの間の後、扉はゆっくりと閉まりだす

男は口から白い羽を出したまま、私たちが4階で降りていくまで、ずっと微笑んでいた

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─一体何なの?

頭おかしいんじゃない?

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私は寒気を感じながら部屋に帰ると、真っ直ぐ居間まで歩き、サッシ戸を開けてベランダに出ると、さっさと洗濯物を取り込み始めた

ミナは幼稚園の制服を脱ぎ、準備していたピンクのトレーナーに着替えている

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それからテーブルに向かい合わせで座り、昨日スーパーの特売で買ったショートケーキを二人、食べていた

ミナは口回りにクリームをいっぱい付けて、夢中になってスプーンを口に運んでいる

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私はその様がちょっと可愛いかったから、携帯で撮影しようと思った

透明のサッシ戸の向こう側に広がる青い空を背景に、4歳のミナがショートケーキに奮闘しているところを連続で数枚収めた

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すぐに画像を確認する

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画面には、テーブルの上のショートケーキを不器用に食べるミナの姿が写っている

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鼻歌を歌いながら指先でスライドしながら見ているときだ

二枚目から三枚目に移るとき、ふと指先を止め、再び一枚目の画像に戻した

そして今度はゆっくりと一枚目から画像をスライドさせていった

すると二枚目と三枚目の画像に、おかしなものが写りこんでいることに気付いた

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─何だろう?

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それは二枚目の画像、、、

ミナの背後にあるサッシ戸から見えているベランダのさらに向こうに広がる青い空

その真ん中上の方に、黒い影のようなものがある

正確に言うと、そこだけが黒くぼやけているような感じだ

そして三枚目は、ベランダの手すりの辺りに写りこんでいた

これも同様に黒くぼやけている

その部分だけ拡大してみると、二枚目は人の頭みたいな輪郭をしており、三枚目は足のように見える

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─え、もしかして、心霊写真とかいうやつ?

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ちょっとぞくりと背中の辺りに寒気を感じたが、そろそろ買い物に行く時間なので、テーブルを片付け始めた

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ミナを部屋に残して一階まで降り、団地入口から外に出た時だ

入口前にちょっとした人だかりが出来ており、小さな悲鳴や話し声がしている

手前の方に自治会長のMさんが立っていたので尋ねた

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「何かあったんですか?」

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Mさんは少し興奮した様子で言った

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「男の人が倒れているみたいなんだけど、どうやら死んでるみたいよ

それが、どうもうちの部屋の隣の人みたいなの

あの人ここに引っ越してきてからずっと部屋に閉じ籠っていたんだけど、最近ようやく見掛けだしたか、と思っていたら」

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見ると、駐輪場の横辺りのアスファルトに、スーツ姿の男性がうつ伏せで倒れている

男の顔は何故だか上を向き横顔を見せており、手足も変な方向によじれていた

頭部にはぱっくり亀裂が入っていて、そこから赤黒い血にまみれた白子のような脳ミソがドロリと溢れだしている

その辺りに一つ、大きな血だまりが出来ていた

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私は改めて男の顔を見た

そして、あっと声を出した

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─さっきエレベーターで一緒だった男だ

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男の両目はしっかり開いており、口から飛び出た白い羽が弱々しくパタパタと動いている

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救急車のけたたましいサイレンの音が近づいてきていた、、、

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買い物を終えて団地入口に戻ってきたとき、男の身体はなくなっており、同じ位置に人型がチョークで書かれている

スーツ姿の刑事とおぼしき男性が、団地の住人らしき女性と何か会話しており、少し離れて制服姿の若い警官が一人、腕を後ろ手に組んで立っていた

私は通り際、その警官に尋ねてみる

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「あの、さっき倒れていた男の人、どうしたんですか?」

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警官はほとんど表情を崩さず、答える

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「はい

こちらの6階にお住まいの方のようだったのですが、ベランダから飛び降りられたようです

後は只今、捜査しております」

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自宅に戻り鍵を開け、「ただいまあ!」と言いながら靴を脱ぐ

居間に行ってもミナの姿がないので辺りを見回すと、サッシ戸が開いていて、ベランダに人影がある

見ると、ミナが椅子の上に立ち、手摺から乗り出して下を見ている

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「ちょっと、ミナ、あんた、何してんの」

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私は慌ててベランダに行くと、ミナを抱き上げ、部屋の中に入った

テーブルに向かい合わせに座り、俯いているミナに聞いた

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「あんなところで何してたの?落ちたら死んじゃうよ」

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ミナはしばらく顔をしかめて俯いていたが、やがて、口を開きだした

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「だって、ベランダに蛾がいっぱい飛んでいたの」

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「蛾?」

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「うん

赤いのとか、白いのとか、黄色いのとか色々パタパタ飛んでいて楽しいなあってベランダを覗いていたらね、ひょいとおじちゃんが手摺の向こうから顔を出してきて、ミナびっくりしちゃった」

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冷たい何かが背中をくすぐる

一気に心臓が激しく打ち鳴り出す

私はできるだけ冷静に聞いた

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「おじちゃんって、知った人?」

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「うん

さっき、エレベーターのところにいた人」

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心臓の鼓動を喉裏にはっきり感じる

私はミナにさらに尋ねた

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「そ、その人、何してたの?」

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「なーんにも

でもね、おもしろいんだよ

眉毛から上がちょんぎれたみたいに無いの

そしてね手摺に両手を乗せてね、ミナを見てニタニタ笑ってるの」

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「それから?」

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「またねって手を振ってから、どっか飛んでっちゃった」

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その日の夜、、、

仕事から帰宅した主人と三人、テーブルで晩御飯を食べていたときのこと

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私の前に座る主人がいきなり「あ!」と声を出した

「どうしたの?」と尋ねると、主人は立ち上がりサッシ戸のところまで行くと、カーテンの隙間からじっとベランダを見ている

私も立ち上がり、主人の背後からもう一度「どうしたのよ?」と聞くと、振り返って真顔で私の目を見ると、

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「いや、さっき、カーテンの隙間から男の人がこっちを覗いているのが見えたんだ」と呟く

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私はかなり動揺していたのだが、無理に平静を装いながら聞く

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「男の人って、どんな人?」

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「一瞬だったからはっきり分からなかったけど、服なんか何も着てなくて、えらく痩せた白い身体をしてたな

卵みたいな顔してて、サッシ戸の向こうからじっとこっち見てた」

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私はぎこちなく笑いながら、

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「そ、そんなこと、あるわけないじゃない、あんた最近おかしいんじゃない?

だいたい、ここ、4階なのよ」と言うと、

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主人もちょっと上を見るようにして考えた後、「そうだよな、どうかしてるよな

俺も最近、残業が多いからな

とうとう頭までおかしくなったかな」と笑いながら、食卓に戻った

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「もお、しっかりしてよお」

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そう言って、震える手でカーテンを閉じようとしたとき、私は思わず「あ!」と声を出した

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透明なサッシ戸の下辺りに、白い粉で縁取られた人の手形が二つあった

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Fin

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Presented by Nekojiro

Concrete
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