長編10
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最終列車(前編)

「アナタはこのまま生き続けたいですか?」

 唐突にそんな質問を目の前の女性に投げかけられた。

列車の動作に伴ってゆったりと身を揺らしながら私はその問いに対して真剣に向き合う。

しかし、そんな事を今まで深く考えた事もなかったので言葉を詰まらせてしまった。いや、正確には深く考えようとしていなかっただけなのかもしれない。

いざ考えてしまうと途方もない感覚が押し寄せて来る。「自分の人生はなんなのか?」「何に価値を見出しているのか?」そんな疑問が脳内を彷徨い続ける。結局は自分の人生ってどこか他人と比較して、「あの人がこうだから私もこうあるべき。」などと自分に焦点を過剰に当て、どこか完璧な私を目標としている。

結局は「隣の芝生は青く見える。」って事なのだろうか?客観視すれば私の人生もそれなりの青かもしれない。だが、答えなんか見つからない。

では、その「青」はどう判断したらいいのか。そう目の前の女性に尋ねてみた。

「青く見えた隣の人に私を見てもらうのはいかがですか?答えは出ないかもしれないけど、答えになり得るヒントを貰えるかもしれません」

「......」

どこか悶々とした私はその答えにただコクリと頷いた。

 

 〜数時間前〜

私はようやく業務を終える事ができ、ふと時計を確認した。

「はぁ....」と浅いため息をついた。

今日もまた終電で帰る羽目になった。車内は定時で退社する時間程の混雑はしていなかった為、私はそそくさと窓側の席を確保した。

一定のリズムで車輪がレールの上を通過する音を鳴らし、電車は左右に揺れる。

ー次は〜○○〜○○ですー

聴き慣れたアナウンスが耳を通過する。このアナウンスが私の今日を締めくくり、どこか「お疲れ様。」と囁いてくれてるようにも思えた。

私はリラックスしようと、シャツの第一ボタンを外し、イアフォンを耳に装着した。そして、窓の外に視線をやる。店の街灯や、まだ明かりが付いている雑居ビル、街の煌びやかな光景が私を少し恍惚とさせる。こんな時間だというのに都内はまだ賑いを保っていた。私はそんな光景をただぼーっと眺めていた。

終電帰り。最近そんな日が連日続いていた。でも、それに関しては特別辛いとは思わなかった。私が勤務する会社は、定期的にそんな時期がある。もうそれが当たり前、逆に家に持ち帰ったり、休日を奪われる方がよっぽど辛い。仕事内容もそこまで不満はない。人間関係もそこまで悪くはない。

今の会社に勤務して今年で3年目になる。最初は不安な思いで田舎から上京して都会の騒がしさにもなかなか慣れなかった。仕事が終わり、家に帰りベットに横になる。

辺りは静かな筈だが、まだ耳に騒がしさの余韻が残り、なかなか寝付けない日も少なくなかった。しかし、それも1年も経たない内に慣れていた。

決まった時間に家に帰り、決まった時間に食事を摂り、決まった時間に風呂に入り、決まった時間に就寝する。基本的にそんな日常を繰り返している。まぁ、たまに仕事が立て込んでこんな時間になることもあるが、それはそれで悪くないと私は思っていた。

でも、なんでだろう。入社して3年に差し掛かる今、自分の中でどこか虚無感が生まれていた。以前までなにかで埋まっていた筈の心に何を嵌めたらいいのかわからない空虚が出来ていた。仕事も順調でプライベートもそこそこ安定していた。何も問題ないはず、何も悩む事などないはず、しかし、そう思えば思う程、どこか心に靄がかかる。「何をそんなに思い悩んでいるの?」と尋ねられたら、恐らく正確な答えは出ないだろう。私はこの正体の見えない感情をどう表現したらいいのかわからない。

 

突如、スマートフォンから流していた音楽が止まった。

あぁ、トンネルに入ったのか。窓が真っ暗になり、私を写し出す。朝してきたメイクは完全に落ち、どこかやつれた表情をしている私が見える。それはまるで病人のような青ざめた表情で自分自身を睨んでるようにも見えた。

連日の終電帰りで無理もないが、私はそんな自分の姿を見たくないと咄嗟に眼を伏せた。最寄りの駅まではもう少し、会社の近くだと家賃が今の何倍にも膨れ上がる為、私は会社から少し離れた場所でアパートを借りている。

後もう少し。そう思うとなんだか少し名残惜しい気持ちにもなる。トンネルを抜けるとまた街灯の明かりがポツポツと見え始める。疲れているのか、この何気ない景色、しかしその何気なさが、私の恍惚感を加速させていた。私は、この時間がずっと続けばいいのに。とそんな事をぼんやりと考えていた。

ーまもなく○○〜○○ですー

この駅を過ぎれば次の駅で降りなければならない。私は重い腰を少し浮かせて下車をする準備を整えた。

その瞬間、

「ガタッ」と大きな音と共に車内の照明が落ちた。

私は何事かとまた椅子に座り込み真っ暗な車内を見渡した。当然、真っ暗なので何も見えないが、私はパニックになり、そんな動作をしていた。何か事故でもあったのかな?音もかなり大きかったが.....。

暫くして「パシッ」という音と共に再び照明がついた。

だか、私はその音と同時に、視界に広がるその空間に咄嗟に「え?」と声を漏らした。

そこは私が想像していた景色とは異なる世界だった。

先程まで共に乗車していた人間は全て消え、車内の内装はどこか錆びれている。吊革の種類も異なり、青色だった筈のシートも赤色に変わっている。それに窓の外からは、眩しい陽の光が眼に差し込む。深夜だった筈の空は青々しい色彩を放っていた。それに、先程まで煌びやかだった街中の光景が、いつの間にか果てしなく、永遠に広がる綺麗な湖に姿を変貌させていた。それはまるで、私1人だけ別世界に飛ばされたような感覚だった。

しかし、何故だろうか、こんな不可解な現象を目の当たりにしているのに、何故か恐怖が感じられない。どこかこの光景が懐かしいような、そんな不思議な感情が芽生えていた。

それでも私はまだ状況が飲み込めないまま、その湖を呆然と見渡していた。

 

「こんには。」

突如、背後からそんな声がした。

私は咄嗟に眩んだ眼を擦り、後ろを振り向いた。

そこには紫の着物を纏った若い女性が朗らかな表情で佇んでいた。

一体どこから現れたのか、先程まで乗客は私しか居なかった筈なのに.....。

私は「あ....え....?」と困惑した表情で眼を泳がせていた。

「あらら、驚かせてしまったかしら?」

女性はくすくすと、少し悪戯じみた表情で私にそう尋ねた。

見た目は私と同じ....いや、もっと下かもしれないが、その佇まいや雰囲気は、私なんかより遥かに大人の魅力に満ち溢れていた。同性の私でさえ、この美貌の虜になってしまう。しかし、その美し過ぎる容姿がどこか不気味にも感じる。なんだか人間らしさが感じられない。人間の美しさの範囲を超越してしまっている様に思えた。

「いえ、大丈夫です.....」

私は辿々しくそう答えた。

「あぁ....それにしても、また、迷い人が来てしまったようだね」

女性は眼を落とし、背中まで伸びた綺麗な黒髪をくるくると指で遊ばせながらそう呟いた。

「また?」と私はその呟きに反応を示した。

「ええ、ここは『最終列車』と呼ばれ、その名の通り、人生の最期に訪れる場所でございます」

「人生の...最期....?」

「ええ」と女性は私にニッコリと笑みを浮かばせた。

「え?それってつまり私は....?」

「そういう事になりますね」

女性は表情を一切崩さずに淡々とそう答えた。

私は女性のその仕草から微塵の実感も感じらず、ただ放心したような表情を浮かばせていた。

すると、女性は徐に私の顔を覗き込んだ。

「アナタ、顔色があまり良くありませんね。もしかすると原因は過労かと。まだお若いのに....あぁ.....お気の毒に....」

小さくかぶりを振りながらそう口にする女性からは私を哀れむ感情など一切感じられなかった。

「そんな.....」

私は徐々にその事実が絶望の足音に変化していき、口内の空気と共に言葉を発した。

「あら、まだ落ち込むのは早いですわよ。あれをご覧になって」

女性は示指をぴんと立て、列車の扉の方角を指し示した。

私は指された方に眼をやると、扉の上に小さく丸いランプが青色に点灯していた。

「あれはアナタがこの世界に遭遇した入口となる扉、そしてあのランプ、あれがアナタの命の灯火。あれが点滅するとこの列車は止まり、アナタにとっての終着駅へ辿り着きます。アナタにはあの扉から下車して頂きます。そして、わたくしはアナタを彼岸へと送り届けねばなりません」

「彼岸....つまりあの世って事ですか....?」

「そうです。言うならアナタは今、此岸と彼岸、その瀬戸際を彷徨ってます。しかし、幸いな事にアナタのランプはまだ青色、つまりアナタの意思次第でその方角、進むべき道は変化する事ができます」

私はこの非現実的な光景や、この謎の女性が発している言葉が理解出来ず、只管に首を傾げていた。

「あぁ、自己紹介が遅れましたわ。わたくしは人々が人生の最期を飾る瞬間に立ち会い、その行末を見届け、正しい道へ導く案内人。名を『メイ』と申します。でも、わたくしは人々の人生を左右する事は出来ません。これからアナタは自分の人生を振り返り、自分自身の進むべき道を判断して頂く必要があります」

「どういう事....?」

すると、メイと名乗る女性はまた徐に私の顔を覗き込み、私を真っすぐ見据え、何かを悟したような瞳でこう問い掛けた。

「アナタはこのまま生き続けたいですか?」

  

そして今に至る。

「あの....青く見えた隣とはどういう意味でしょうか....?」

私はまだ事態が飲み込めず眼を泳がせながらそう言った。

「時期にその意味がわかります」

メイは私から眼を背け踵を返した。「あれをご覧になって」と言い、先程の隣の扉を指で示した。しかし、そのランプは青色ではなく赤色だった。

「色が違いま.....」

私がそう言いながら再びメイに眼をやると、そこにはもう誰も居なかった。

「え.....」

私はそう小さく声を出し、辺りを見渡した。

しかし、ただ列車の走る音だけが虚しく響き渡るだけでそれ以外は静寂としていた。私はますます状況がわからなくなってしまい、放心する事しか出来なかった。

そもそも私は今どういう状況なのか....メイが言ってる事は何処かふわふわしていて確信的な事は一切謎のままだった。しかし、先程メイにじっと見られた時、私はなにかを見透かされたような感覚だった。まるで私の心の中を直接すり抜け様々な箇所を覗き見されてるようだった。

「生き続けたいか?」

その問いに対して、私は堂々と首を縦に振る事が出来なかった。私は特にこれと言った悩みなどない筈。でも、それでも、最近の私は何かにつけて「つまらない...」とすぐに思うようになっていた。それは仕事の事なのか、プライベートの事なのか、それとも人生そのものにそんな感情が湧き上がってしまったのか、私自身わからなかった。いつからか、無意識の内に考えないようにしていた事、ずっと、自分と向き合うのを恐れ、心にしまい込んでいた感情。その開かずの想いを先程引き出してしまった。そして、私の中でこんな結論が出た。

本当は周りがつまらないのではなく、私が....私自身がつまらない人間に成り果ててしまっていたのではないかと.....。

そう思い込むと虚しい気持ちで一杯になった。この窓から見える光景、永遠に続く湖のように、私の心には何もない。なんの目的も、なんの夢も、なんの希望も.....深く穴の空いた私の心.....一体なにを埋めたらいいのか、その空虚の心になにか埋められる物が存在するのだろうか....。

そんな悶々とした感情が脳内をグルグル駆け巡る。メイが言っていた事が本当ならば、本当に私にとっての終着駅と言うのが存在するのであれば、私は、私なんかいっそのこと......

そう思い始めた瞬間、「キィー」と音と共に列車が少しずつ減速を始めた。

ああ、どうやらメイが言っていた事は本当のようだ。私は覚悟を決めた。もう自分の空虚をなにかで埋める必要はない。もう生きる意義など考える必要はない。私はゆっくりと立ち上がり下車の準備を整え、私の扉と言われていた場所へと移動した。

私は扉から外の景色を眺めていた。すると、遠くの方に、なにやら駅らしきものが見え始めた。

そして、列車は何のアナウンスもなく、その駅に停車した。私がいつも利用する駅とは大きく異なり、誰の姿もない。湖の上に存在するこの駅の造りは一体どうなっているか、不思議に思う事は多いが、駅だけ見れば本当に何の変哲もない、ただの小さな無人駅だった。

駅名の看板らしき物と青いベンチが何脚か設置されている。それ以外は何もない。それに、駅名の看板をよく見ると真っ白なだけで何の文字も記載されていなかった。

私は暫く、この寂寥感溢れる光景をただ呆然と眺めていた。そして、ふと我に返り気が付いた。

列車が停車しているのに、先程から扉が開く気配が一向にない。冷静に考えれば不可解でしかない。

「プシュー」

突然何処からか、聞き慣れた空気が漏れるような音が聞こえた。

それは電車の扉が開く音だった。しかし、私の目の前の扉ではない。どこか別の場所の扉の音。

私は再び車内に眼をやった。

すると、その開いてる扉はすぐに発見する事が出来た。先程メイが指で示していた、あの赤いランプが灯った扉だった。

それに、よく見るとその扉からは通常だったら外の....この無人駅の景色が見える筈だが、何故かその開いた扉の奥は黒く何も見えない景色が広がっていた。

もしかしたら、私はあの扉から外に出なくてはならないのか?あの何もない空間に脚を踏み入れなければならないのか?

私は不安のせいか呼吸が乱れ始めた。この場所から一向に動けない。あの暗闇の向こうには何があるのか。私はどうなってしまうのか。そんな不穏な感情が私を支配する。

すると、「カツ、カツ」となにやらあの扉の向こう、暗闇の向こうから音がする。

これは....ヒールの音?どうやらあの暗闇の向こうからヒールの音を鳴らした何者かが、こちらに向かって来ている....

続く

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