中編5
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夜の文化教室

「いいですかあ、皆さん!

繰り返しますが、

悲しいから泣くのではないのですよ!

泣くから悲しいのです。

おかしいから笑うのではないのですよ!

笑うからおかしいのです!

だから辛い時、悲しい時こそ、笑いましょう!

そうすると不思議なことに、ムシャクシャした気分やプレッシャーは吹き飛んでしまいます。

じゃあ、いきますよお~!」

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教室の前に立つ大柄な女が、椅子に座る数十人の受講生に向かって、脳天に響く大声で続ける。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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「う~~~ふ!ふ!ふ!」

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「え~~~へ!へ!へ!」

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「お~~~ほ!ほ!ほ!」

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背筋を伸ばした受講生たちは皆、従順な小羊たちのように女の声色を真似て、一斉に声を出す。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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「う~~~ふ!ふ!ふ!」

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「え~~~へ!へ!へ!」

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「お~~~ほ!ほ!ほ!」

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午後7時。

F駅前にあるテナントビルの3階302号室。

入口扉には、「どんな困難も吹き飛ばす大人のための元気塾」と書かれた紙が貼られている。

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知らない人が見ると、怪しげな宗教団体の集いのように見えるかもしれない。

8帖ほどの教室は、それくらい異様な熱気に包まれていた。

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20代の若いOL風の女性から、腰の曲がった白髪頭のじいさんまで、性別も年齢も様々な者たちが、きちんと並べられた長机に座り、幼子のようなキラキラした瞳で講師を見ている。

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その中に、わたしS代とN美の姿もあった。

会社帰りに直行だから、二人とも制服姿だ。

私たちは同じ大学を卒業して、今はとある小さな商社の営業職をしているアラサーの独身女性だ。

N美はちょっと太めの好奇心旺盛な新しもの好きで、しかも人の言うことをすぐに信じ込んでしまうお人好しなところがある。

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この文化教室も、フリーペーパーで見つけて、すぐに通い出して、既に1年が経ったそうだ。

その間、ことあるごとに彼女は、この元気塾の素晴らしさを、私に訴え続けてきた。

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曰く、

元気塾こそが、混迷した日本社会を救う最強の組織なの

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曰く、

講師の福呼先生は多分、キリストの再来だと思う

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曰く、

元気塾のテキストは、私にとって、聖書みたいなものね、、、

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完全に洗脳されているのは、誰の目からも明らかだった。

私は猛烈な彼女の勧誘に根負けして、とうとうセミナーに参加する羽目になったのだ。

今日で3回目の受講になる。

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ホワイトボード前に立つ真っ赤なドレスを着た講師の「福呼(ふくこ)さん」は、恐らく体重100キロを超えた巨大な体躯を揺すらせながら、しゃべりだした。

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「生きていたら、いろいろと辛いこと、悲しいこと、あります。いや、あるのが当たり前なんです。そんなときに大事なのは、うじうじ悩むことではありません!大事なのは態度なんです。

これからもまた、あなた方には辛い試練が訪れるでしょう。そんなときは、、、

もう分かってますね、、、」

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福呼先生は、鮒のようなギョロギョロとした目で受講生たちをひとしきり見渡すと、また始めた。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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「う~~~ふ!ふ!ふ!」

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「え~~~へ!へ!へ!」

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「お~~~ほ!ほ!ほ!」

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たっぷり2時間の熱い講義の後、私とN美は、テナントビル地下にあるコンビニで、ちょっとした買い物をしていた。

バッグを右肩に買い物かごを左手に持って、私たちは、レジ前の列に並んでいる。

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「S代、私、とうとう目覚めたの」

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N美が興奮気味の様子で、隣の私に話しかける。

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「目覚めたって、何に?」

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私はN美の口元を見ながら、尋ねた。

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「決まってるじゃない。この世界の真理によ。

今日も福呼先生言ってたじゃない。

大事なことは行動なのよ、態度なのよ。

全ての真理を単なる知識だけに終わらせずに、日常生活の中ですぐに態度や行動に現すことなのよ」

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「確かにそうね、、、」

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そう言って私が愛想笑いを浮かべた、その時だった。

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突然黒い目出し帽を被った男が入口から駆け込んで来ると、レジ前に割って入り、右手に持ったサバイバルナイフを、カウンター越しから店員に突きつけたのだ。

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「静かにしろ、黙って金を出すんだ!」

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「きゃあ!」

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男に突き飛ばされた先頭にいた女子高生が、大声を出す。

その後ろの老人夫婦も恐怖のあまりか、ただじっと立ち尽くしていた。

私もN美も同じく、その場で固まっている。

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男に脅された若い女性店員は泣きそうな顔でレジを開くと、震える手で中のお金を集めだした。

その間、男は並んでいる私たちの方を睨みつけると「声を出すなよ」と言って、ナイフを高くかざす。

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ピンとした張り詰めた空気が辺りに立ち込めていた。

膝小僧が無意識にガタガタ震えだし、私は思わずN美の背中に手を充てると、「ねぇ、怖いよ、、、」と呟く。

N美は強ばった表情のまま、ただひたすら前を見ている。

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すると次の瞬間、信じられないような声が辺りに響きだした。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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驚いて辺りを見渡した。

それは、N美だった。

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「ちょっと、N美、止めなよ!」

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私は必死にN美の口を押さえようとするが、彼女はそれをかわし、まるで夢遊病者のような虚ろな瞳をしながら続ける。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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「う~~~ふ!ふ!ふ!」

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「え~~~へ!へ!へ!」

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「お~~~ほ!ほ!ほ!」

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目出し帽の男は小走りでN美の前に来ると、

「おい、お前!何言ってるんだ!?止めろ、止めるんだ!」と怒鳴り、ナイフをN美の鼻先にちらつかせる。

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だがN美はそんな脅しには全く動じず、ただひたすら呪文のような奇妙な笑いを続けていた。

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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「う~~~ふ!ふ!ふ!」

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「え~~~へ!へ!へ!」

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「お~~~ほ!ほ!ほ!」

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「お前、いい加減にしろよ、止めろって言ってるのが分からないのか!?」

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私も必死にN美に止めさせようとするのだが、彼女は器用に体を動かしながらかわし、笑うのを止めない。

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そして最悪の事態は起こった。

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激怒した男はN美の胸に、二度三度とナイフを突き立てた。

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「うわ!」

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「きゃあ!」

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店内に響き渡る悲鳴に包まれながら、N美はその場に崩れるように倒れた。

興奮した男は馬乗りになり、返り血を顔に浴びながら、さらに何度も何度もナイフを突き立て続けた。

私は勇気を振り絞り、必死に男の背中に掴みかかったが、簡単に撥ね飛ばされた。

もう既に辺りは血の海になっていて、N美は動きを止めていた。

ただその両目はしっかりと開いていて、口をパクパクとさせている。

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男はやがて立ち上がると、レジのところまで行き、呆然と立ち尽くす店員から金を奪いとると、猛ダッシュでその場から走り去った。

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「N美~~!N美~~! 」

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泣き叫ぶ私の声が聞こえているのか、いないのか、血溜まりの中で仰向けになったN美はただ天井を見詰めて、まるで壊れたからくり人形のように口をパクパクさせながら、あの奇妙な呪文のような笑いを繰り返していた。

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時折思い出したかのように、身体を痙攣させながら、、、

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「わ~~~は!は!は!」

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「い~~~ひ!ひ!ひ!」

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Presented by Nekojiro

Concrete
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