Jが住んでいた場所は田舎だった。
深い森に囲まれ、夏は家の中まで響く蝉の鳴き声が聞こえていた。これはそんなJがまだ幼い頃に体験した話だ。時期は夏休み、彼は昼からやる事もなく、昼寝でもしようと敷かれたゴザに寝転んでいた。風通しをよくするため、窓は開けている。気持ち良い風と共に、忙しい蝉の鳴き声が部屋に鳴り響いていた。
あまりにも五月蝿くゲンナリしていると、蝉の鳴き声に混じり、何かが聞こえた。それが人の声だとJは不思議とすぐに気づいた。どうせ近所の子供が虫取りでもしているのだろうと思ってはいたが、妙に耳に入ってくる。Jは起き上がり窓の外を眺めた。
目の前には鬱蒼とした木々しか見えない。Jは耳をすました。やはり蝉の鳴き声に紛れ、子供の声が聞こえる。その声に誘われるよう、身体が自然と動き、外に出た。木々をかきわけ、森の中に入っていくと、声がハッキリと聞こえるようになってきた。
それは子供の泣き声だった。まるで「えっえっえっ...」と泣きじゃくる様な声だ。声の持ち主らしき者の気配を感じる。しかし辺りには人は居らず、木々しかない。急に恐ろしくなる。とにかく戻ろう。そう思い立ち、踵を返そうとした。すると木の上に何かが張り付いているのが見える。かなり高い所にいて、子供だった。
紺色の着物を着て、まるで虫の様に木に張り付いている。顔は見えず、黒々とした髪の毛が目に入るだけだ。一瞬、近所の子供が木に登り、降りる事が出来なくなったのではと心配した。Jは木に張り付く子供に「ねぇ?降りれないの?」と声をかけた。しかし子供は先程より激しく「うぇっ..うぇっ..うぇっ...」と咽び泣くだけだ。彼が登った所で助ける自信がない。「少し待ってて」と声をかけて、助けを呼びに走った。
森を駆け抜ける最中。ふと違和感を持った。「あの子、着物が古くすぎないか?それにあの巨木に手を回さず、張り付くだけとか無理だよな...?」そう考えると人間ではないのではと不安になった。しかし助けを呼ぶ最中も鳴き声は聞こえる。
急いで自宅に戻り、父親に説明をした。
血相をかきながら「まだ森の方からまだ鳴き声が聞こえる!助けなきゃ!」と話した。すると父親は「ああ...俺には聞こえないが、ほっときなさい。そのうち泣き止む。この家まで鳴き声が届くとかありえないだろ?」と冷静に答えた。
Jは、その返事に頭が呆然とした。その最中も、鳴き声は変わり「ぎやぁ..ぎゃぁ..」と大きくなっている。確かに家からあの場所はかなり離れている。子供1人の鳴き声が届くはずない。
父親は全ての窓を閉めた。それでも声は聞こえる。Jが怖くなり震えていると、母親が「そのうち聞こえなくなるから」と笑って話し、
続け様、「何も害のない、可哀想な子だから」とも話した。すると気づけば鳴き声は消えていた。両親もあの子供について詳しく分からないと説明しながら、昔からごく稀に現れる、害のない幽霊みたいなものと答えた。
Jは複雑な気持ちになった。あんなに大きな鳴き声だ。きっと何か求めるものがあるのではと。ただ両親に無視をしろと言われれば、そうするしかなかった。それからあの鳴き声に遭遇する事はなかった。
そして時は流れてJは結婚した。今では子供も2人出来た。ある年の夏、久しぶりに子供達を連れ、帰郷した。滞在中、子供達が血相をかきながら「森から子供の鳴き声がする!」と話した。Jはあの子供を思い出した、彼にはもう鳴き声は聞こえなかった。
子供達を家に入れ、窓を閉め、「そのうち鳴きは止むから」と答えたそうだ。あの子はまだ鳴いている、そう思うと、親となったJの胸は締め付けられ、悲しい気持ちになった。
作者夕暮怪雨