町外れにある、とあるクリニックの診察室。
一つしかない奥の窓からは、緩やかだが気だるい日差しが差し込んでいた。
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デスク前の初老の医師が、目の前に座る女に尋ねる。
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「他にはどんな事が?」
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女の名は「S代」。
年齢は40前後だろうか。
色白の肌をしているのだが、ひどい寝不足からなのか、肌荒れがひどく、目の下にある青黒い隈がどこか病的だ。
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「何度も何度もご飯を欲しがるんです。
晩御飯の時とか3杯もおかわりして満腹のはずなのに、決まって数分後には『ご飯まだか?』って聞いてくるんです。
だから私いつも『今さっき食べたじゃない?』って言うのですけど、『いやまだ食べてない、さてはあんた、わしを飢え死にさせようとしているんだろう』って怖い目をしながら、私を睨むんです」
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そう言うと悲しげな顔で俯いた。
S代には5歳上の夫がいたそうだ。
だが3年前、不慮の交通事故で他界したらしい。
子供もおらず、以来彼女は80過ぎの義父と二人暮らしているという。
話はまだ続く。
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「昨日なんか深夜に私の寝室にまで入ってきて、
『この餓鬼めが、わしの晩飯まで食いおったな。
その腹切り裂いて、中にある飯を引っ張り出してやるわ』て叫びながらいきなり包丁を振り上げてきたから、私必死に抵抗して、ようやく逃れることが出来たんです。
後少しで殺されるところだったんですよ。
本当なんです先生、、、だから、お願いします、助けてください!」
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医師は白いアゴヒゲを弄りながら、ただS代の話に耳を傾けていたが、やがて口を開いた。
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「それは大変でしたね、ご心中お察しいたします。
私どももお力になりたいのは山々なんですが、残念ながら当クリニックの病棟も満室の状況でございまして。
大変心苦しいのですが、お義父様を受け入れる余裕がございません。ですから今日のところはお引き取り願いますでしょうか?」
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白い寝間着姿の彼女は医師の説明を聞き終えると、悲しげに俯いたまま立ち上がり、若い看護師に付き添われながら、すごすごと診察室を出ていった。
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ドアが閉まると同時に医師は大きく一つため息をついた。
先ほどからずっと後ろに立って聞いていた看護師が呟く。
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「現実を受け入れられないのでしょうね」
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「そうだな。
あの事件からもう彼是1年になろうかというのに、未だに受け入れきれずにいるんだろうな」
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「彼女にはここ1ヶ月近くほぼ毎日、同じようなカウンセリングを続けていますよね。
警察からの依頼とはいえ、まだ続けられるのですか?」
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看護師の質問に医師は大きく一つため息をつくと、
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「そうだな。
1年前、認知症の義父を刺し殺した事実を受け入れるまでは、根気よく続けるしかないだろうな」
と呟き、忌々しげに白髪の頭をかきむしった。
すると看護師がまた話し始めた。
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「ところで先生、これは昨晩のことなんですが、S代さんの担当看護師が病室を見回りに行った時、なにやら言い争うような声が聞こえてきたそうなんです。
それでまたいつもの寝言かな?と入口前に立ち聞き耳を立てた後、ゾッとしたそうです」
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「どうしたんだ?」
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「明らかに彼女の声とは異なる低い男の声が聞こえたそうなんです。
それで慌ててその看護師が病室に入り、窓際にある彼女のベッドに懐中電灯を向けると、一瞬なんですが、着物を着た白髪の老人の背中が見えたそうなんです。」
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「そんなバカな。幻を見たんじゃないのか?」
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医師がそう言うと、看護師は、
「ええ、2度目に見た時には、その姿はなかったそうなんですが、、、」とボソリと呟き、そのまま診察室を出ていった。
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その翌日の朝のこと。
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いつものように朝の検診のために担当看護師がS代の部屋に入り、ベッドの傍らで声かけしたのだが、布団を被ったまま返事がない。
不審に思い布団を捲った瞬間、思わず小さく悲鳴をあげ、後退りした。
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S代は仰向けのまま腹部を縦に切り裂かれていて、絶命していたそうだ。
その両目は大きく見開かれ、何かを訴えるかのように口をポッカリと開けていたという。
白い寝間着やシーツには大量の赤黒い血や贓物が散在していて、ひどい惨状だったらしい。
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これは後ほどの警察による解剖所見なのだが、S代の切り裂かれた腹部内からは何故か「胃」だけがまるまる取り去られており、ベッド横の床に、血にまみれた生々しい「胃」と果物ナイフが落ちていたということだ。
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警察の捜査結果からは、昨晩の深夜、外部からの侵入の形跡はなく、部屋内に設置された防犯カメラには、信じられないことだが、ベッド上のS代が両手で果物ナイフを握り、自らの腹部を切り裂き、体内から臓器を引っ張り出す一部始終が映っていたそうだ。
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう