中編4
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死の祝詞

これは私の父から聞いた話です。

父がまだ二十代の前半、母と結婚する前なので当然私が生まれる以前の話です。

今から30年以上前の話です。

私の地元は北関東の平野部にある人口3万人程の小さな街です。

街の中心こそ栄えていますが、私達の住む地域は街から離れており、皆さんが思う所謂田舎の風景が広がるのどかな場所です。

ある夏の日、町内会の草刈りが行われました。

毎年の恒例行事で、その地域の男達が集まり町内の公園や通学路等の草を刈るというものです。

父は近所の同年代の友人と二人、草刈機を担いで町外れの雑木林の草刈りをしていました。正直、この辺りは人家も少なく人通りもほとんど無いため草刈りの必要は無いのですが、父と友人は草刈りをサボるためにわざと人目のつかない雑木林の草刈りを名乗り出たのでした。

一応草刈機のエンジンはかけたまま、ダラダラと雑木林を歩き回り、適当なところでエンジンを止め友人と談笑していたそうです。

雑木林の周りには数件の民家があるのみです。

時刻は昼前、太陽が照りつけ道路には陽炎が立つほどの猛暑だったそうです。

すると、友人が突然辺りをキョロキョロとし始めました。

どうしたと尋ねると

「何か聞こえるぞ」

父も耳を澄ますと、何やらうめき声のような音が聞こえました。父と友人は恐る恐るですが音の方に近づいて行きました。音は、雑木林を抜けた先の池(沼?)の方からしたそうです。

そして、近づくにつれ音の正体がわかりました。

それは"祝詞"でした。

神社などで神主さんがお祓いなんかをしてくださるときに唱えるあれです。

我が家では当時庭に物置を建設中で、地鎮祭を終えたばかりだったので父は耳馴染みがあったのです。

しかし、それはすぐに違和感に変わりました。

それは友人も同じだったようです。

祝詞と聞いて思い出すとき、素人でもなんとなくどんな事を言っているのかわかりますよね。

「かしこみ、かしこみ」

とか

「はらいたまえー」

とか。

意味は分からずとも耳にしたことはあると思います。

ただその祝詞は、リズムや抑揚の付け方で祝詞であると言うことはわかるのですが、明らかに聞いたことのない言語で唱えられているのです。

もちろん、正式な祝詞だとしても意味はわかりませんし、きちんと聞き取れるわけではありませんが、この祝詞はもっと根本的に、恐らく日本語ですら無い。存在しない言葉だと言うことがすぐにわかったそうです。

古い言葉だとしても日本語ならばなんとなくニュアンスでわかりますよね。それがいくら聞いても聞き取れない。はっきりと声は聞こえるのに、全く聞き取れない…

父と友人は顔を見合わせ、声の主に気づかれぬよう静かにその場を去ったそうです。

その事は町の人達にすぐに伝えたのですが、草刈機の音だとか、飛行機の音だとか、とにかく誰もまともには取り合ってくれなかったそうです。

事件はそれから1週間も経たずに起こり始めました。

最初の事件は、例の雑木林から1番近い家で起こりました。

ある日、その家の長男A(当時40代前半)の行方が分からなくなり、警察や消防団による捜索が行われました。

父も消防団に所属していたので、捜索に加わりました。

Aの母によると、行方不明になる前日の夜突然息子が

「UFOが見えた」

と騒ぎたし、落ち着いたと思ったら

「UFOじゃなかった」

と言い、翌朝には既に姿が無かったそうです。

そして…

Aは例の池のほとりで発見されました。

正座した状態のままうつ伏せで倒れていたそうです。

割腹自殺だったそうです。

どうすれば自分の腹をこんなに深く大きく割けるのかと言うほどの傷だったらしく、身体はほとんど真っ二つだったそうです。他殺なのでは?と言う話も出たのですが、結局自殺として片付けられてしまいました。

更にそれから数週間後、Aの家から程近い家に住む、この家の長男B(30代後半)が庭で頭からガソリンをかぶり火をつけ、焼死すると言う事件が起こりました。

彼もまた事件の前日

「今から友達がたくさんくる」

「やっぱり来ないことになった」

と言うようなことを言っていたそうです。

炎に包まれたまま

「こわい!こわいよ!こわいよ!」

と叫んでいたそうです。

三番目、四番目の事件はそれから1ヶ月後に続け様に発生しました。

これも例の雑木林付近の家の家長C(70歳ぐらい)がBと同じように焼身自殺。

更にその隣の家の孫のD君(当時8歳)が池に浮いているのを発見されました。

この二人は死の直前の言動はわかっていないそうです。

これが事件の顛末ですが、この事件は今ではタブーとされており、父もあまりこの話を詳しく聞かれるのを嫌がっていました。

結局最後の一件以外は自殺、最後の一件については不幸な事故ということになったそうです。それだけ。それで終わり…

父と友人はあの祝詞を聞いているので、これらの事件とあの祝詞に何か関係があるのではと考えたそうですが、二度とあの祝詞を聞くことは無く、当然それらの因果関係を調べる方法も無いので、これについては忘れようと言うことになったそうです。

三十数年前のあの夏、あの池の周りで何が起こっていたのか。

父が聞いたあの祝詞はなんだったのか。

祝詞を唱えていたのは誰だったのか。

全ては謎で、この先解明される事は無いと思いますが、なぜあの池の周辺に建つ家の中で、父の家…つまり私が今住んでいるこの家でのみ何も起こらなかったのか。私は、あの不可解な祝詞が事件を起こしたのではなく、あの祝詞を聞いた父は"何か"から守られていたのでは無いかと考えています。

ただその何かとは…

そして誰が何のために祝詞を…

皆さまの考察をお聞かせください。

ただの偶然…なのでしょうか。

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