ちょっと殺して欲しい命があるんだけど

長編12
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ちょっと殺して欲しい命があるんだけど

 私、工藤林檎は今、裸足で椅子の上に立っている。目の前には大きな縄が吊るされていて、後はそこに首を入れるだけの状態__。つまり、死が目の前にある。

 今までの人生、別にこれといった不幸はない。それでもこれといった幸福もなく今まで生きてきた。味気ない人生だったと縄の前でしみじみ思う。

 大人になるにつれて新しい事に触れる機会に抵抗を感じ、幼少期に抱いた純粋な感情を忘れている気がしていた。そして、そうやって大人になっていく自分が虚しく、馬鹿らしく思えてくる。

 人間ってわがままな生き物だなって身に染みて感じる。いつからこうなってしまったのか自分でもわからない。でも、それが大人なのかなって半ば諦めるかのように思う自分を否定する事はできない。それでも、自分はずっと何かを犠牲にして生きてきている気がする。その何かはわからないが……。

 大人というのも退屈なものだ__。昔好きだったゲームですら、もはや動画配信サイトの実況で充分かなって思ってしまい、自分でやる気も失せてしまう。忙しい訳でもないけど、なんとなく気力が湧かない。そんな時間を今の今まで地道に積み重ねてきてようやく確信に至る。

 本当につまらない人生だな。

 ◯

 遡る事、二時間前の仕事終わり__。

 疲れ果てた身体で人混みに紛れ、駅へ向かう。途中の交差点、広い横断歩道で赤い信号機が青に変わり、人々は一斉に歩み始める。私もそのひとりなのでその群れに紛れる。

 つまり、私はこの繁華街でひとりの女性として人混みに流されている。今まで生きてきて、何者かになりたい、注目を浴びたい、などとは思って生きていなかった。それでも何か私が生きた証みたいなものは少し欲しかった。けど、そんな手段もわからない。背を丸めながら駅へ向かう。

 こつん、と急に、丸まった背中に衝撃が走った。何かが当たった感触がする。地面に落ちたそれを拾い上げると小石だった。なんの変哲もないただの小石。どこから落ちてきたのだろうと思い上を見ると、見覚えのないマンションが建っていた。今の仕事に就いてもう何年目だろうか、私自身、俯いて歩く癖がついていた為、一切気付かなかった。

「いつの間に……?」

 つい、ぼんやりと小声を漏らしてしまう。

 ちょうど、月の明かりが覆い被さって外壁に艶が出て、とても綺麗に見える。建物の灯りも入り混じっていて、お洒落な雰囲気が窺える。私が住むアパートとは比べ物にならない。

 それはさておき、この小石はどこから降ってきたのだろう。見上げた先には人工的に私に向けて投げた痕跡が見当たらない。そうすると、自然現象で落ちてきた可能性がある。よく目を凝らす。

 瓦礫の一部が落ちてきているのなら腑におちる。しかし、見た所、新築マンションのようなので、その可能性は低いだろう。私は再び小石に目を向ける。やはり、これはどこか河原などでよく見る普通の小石。なぜこんな物が……。

 夜のしんとした風がゆらゆらと髪をなびかせる。人の出入りが多いこのマンションの前で私は掌の小石を見つめ、立ち往生している。側から見れば不審者に思われかねないので、私はすぐ近くの裏通りに向かった。

 人気もなく、細い通路なので隙間風が躊躇なくごぉーと流れている。まるで雨上がりのように夜風は強く冷えていて身体を小刻みに震わせた。うぅ……、と声を上げながら再び、ざらざらとした触感の小石に目を落とす。やはり特別変わった様子もない。というより、なぜ私はこの小石に執着しているのだろうと、今更ながら思った。別にまたまた小石が当たった、と解釈すればそれで済む事なのに、そうわかっていても、どこか引っかかる。やはり不自然な現象に変わりはないから。

 それになぜだろう……。この路地に入ってから私がこの小石を見る度に何者かの視線を感じる。それは背筋に悪寒が走るような薄気味悪い視線。じっと見られているような感覚。

 私はその気配がする方へ顔を動かさず、視線を向けた。隙間風に髪が煽られている為、上手く確認が出来ない。それでも髪が絶妙なタイミングでふわりと耳の後ろになびいた時、視線は一瞬、妙な光景を捉えた。

 瞬間、私はほっと胸を撫で下ろしながら今度は視線だけではなく、顔をそちらに向けた。どうやら、感じていた視線は人ではなかった。何かしらの店が構えられていた。その店の前に等身大の人形らしき物が飾ってある。洋服店などでよく見る物、つまりマネキンが置かれている。黒いハットに黒いジャケットを羽織っている。ジャケットは膝まで伸びていて、膝から下は恐らく何も履いてないのだろうと思った。マネキンの眼はぎょろりとこちらに向けられているように見える。

 しかし、所詮は作り物。私はそのマネキン、ひいてその店を近くで見る為、足を運んだ。暗がりなのでよく見えなかったが、どうやらマネキンはポーズをとっている。両肘を同じ角度に曲げ、掌を上にしている。何かを支えているようだ。

 もっと近づいてみると、その支えている物がわかった。多分、この店の屋号が記された看板を持っている。その文字は赤い字、漢字三文字でこう記されていた。

 祈願屋__。

 時間的にもう閉まっている頃だが、店の前にcloseの立て札もない。恐らく洋服店であろうが、それにしては妙な違和感がする。なんだろうと少し首を傾げた。すると、すぐにその違和感に気づく。

 外壁にガラス製の物が一切なかった。辺りは街灯もなく暗がりだったので、わかりにくかった。普通、洋服店というのは外から店内の商品が見えるようにガラス製の物を使用するイメージがあったが、この店にはそれらしき物が一切ない。それどころか、店内を覆い隠すかのような木製の造り。割烹料理店のような外装だった。入口には白い暖簾が垂れており、洋服店という考えは怪しく思う。

 となると、妙な好奇心を抱く。店の名前『祈願屋』とはどういう意味を表しているのだろうか。自然と足が店へ動いていく。じりじりと角砂糖を求める蟻のように歩み寄ってしまう。暖簾から少し灯りがともっているので、この中に誰かいる事は間違いないはず。

 暖簾をくぐり「すみませーん」と声をかけた。しかし店内から返事はない。

 やはり、洋服などの類いはない。それどころか、とてもではないが、洋服店のようには見えない。辺りには複数の棚が設置されていて幾つかの書物が引き詰められていた。何の本なのか、埃がかぶっていて、カビ臭い。

「あのぉ〜」

 私は再び声をかける。店の奥に真っ暗な通路が伸びていたので、誰かいるとすればこの先だと思ったから。しかし、やはりというべきか、返事は返ってこない。

 深い常闇のように続く通路は不気味な雰囲気があり、これ以上足を踏み込むべきではないと心が呟く。まぁ、特別用事などないか、と今更ながら思い私は通路から踵を返す。

 しかしその瞬間、私は唖然とした。その感情は驚きから一気に恐怖へと変わる。

 入口が消えている__。

「え……」と息が漏れ、身体の力が抜ける。閉じ込められた? 、とそんな不安が過ぎる。次第に立っていた足の感覚がなくなってゆく、まるで夢の中、桃源郷を彷徨っているかのようにふわふわとした感じ、現実感を持てない。

「あら、アナタその石、どこで見つけたのかしらぁ〜?」

 急に背後から冷えるような声が聞こえる。先程まで誰もいなかった筈の暗い通路から、こつこつと足音と共に声が木霊する。声帯は女性、さらに、語尾が弾んでいて、どこか恍惚とした雰囲気を感じる。私は何も出来ず、ただその場に立ち止まり、その者を、暗い通路に目をやった。

「みぃ〜え〜て〜るよ〜」

 妙な伸ばし方の声を披露しながら暗闇からちらっと右足が見えた。

 生足?

 そう考えている直後、その者は私のすぐ近くいた。まるでバッタのような動き、尋常じゃないスピードで息が掛かる距離まで詰められた。

「はっ……」

 私が何か言おうとすると、すぐに口を手で塞がれた。氷を当てられたかのように冷たい手だった。

「あ〜ここでは変に言葉を発しない方がいいよ〜」

 耳元で女性は言う。私はまだ直視出来ていない為、どんな人物なのかわからない。

「まぁまぁ、落ち着いて、アナタも事を荒げたくないでしょう? ね?」

 塞がれたまま、私は目を円くさせ、大きく二回頷いた。

「そうそう。いい子さんですねぇ〜。じゃあこのお口につけた手を離すね?」

 また大きく頷いた。

「いい? 離した後も絶対声を出さないでね?」

 頷きながら横目を使って女性の顔を窺おうとするがちょうど、やけに長く白い髪に覆われていて見えない。

 そっと女性は口から手を離す。そして半歩下がり私の前に立った。

「ぎゃ!」と一瞬、喉が鳴った。しかし、すぐに首を掴まれる。

「声出さないって言ったじゃん。約束と違うじゃん」

 先程の飄々とした口調から冷めた口調に切り替わる。

「次、この手を離して言葉を発したら今度は確実に殺すよ?」

 はい……、と飛びそうな意識を踏ん張って、涙目になりながら堪える。またそっと手を離す。今度は私も女性の目をしっかりと見たまま口を閉じる。

 五秒ほど間をあけさせ、目の前の者は口を開ける。

「はい。じゃあ喋っていいよ。落ち着いてきたようだし」

「アナタ……妖怪?」

 私は表面しか落ち着いていない。まだ現実感が湧かないから。目の前の者は白く長い髪で着物を着ている。しかし、目が多い。私と同じ箇所に二つ、両の頰に二つ、額に一つ、合計五つの目が顔にある。さらに全ての眼球は真っ黒、まるで犬の目のように見える。

「妖怪という名前ではないけど、まぁ一旦それでいいよ」

「ああ……で……なに……?」

 驚きのあまり口数が出てこない。漠然と余分に存在する眼球を回るように見やる。

「なに、とはこっちのセリフなんだけど、アナタからここへ入ってきたくせに。まぁいいや、それ、出してよ」

「それ?」

「うん。アナタ石持ってるでしょ? なんで持ってるのか知らないけど、それ、この店の物だから」

「石? ああ、これの事か……」

 私はそう言って先程眺めていた小石を取り出す。掌に置いた途端、さっと消える。素早く取られたようだ。

「祈願石って言うんだけど、アナタ知ってた?」

 首を横に振る。

「じゃあこの店の事も知らないの?」

 首を縦に振る。

「ふ〜ん。そうなんだ。まぁ、名前の通りなんだけどね」

「祈願?」

「そうそう。人間は特定の場所、神社、寺院、教会、墓石の前で定期的にやってるでしょ? あれ? なんていうんだっけ?」

「参拝?」

「そうそれ。他に代参、遥拝、参詣なんて言葉があるけど、拝んでいる行為自体は変わらないね」

 目の前の妖怪はくすくすと微笑し始める。

「あれ、意味ないんだけどねぇ」

「意味? まぁそうかもしれないけど、願いだけとは限らないよ?」

「アナタもよく行くの?」

「年に一回だけ……ね」

 いつの間に恐怖心は消え去り、日常会話のようなやりとりになっている。実際には怖いという感覚は少し残っているが、それよりも、意味のない、という言葉に私は少しむっとした。

「願いじゃなくて墓参りだけど」

「なんで手を合わせる?」

「わからない。実際深い意味なんて考えた事ないかも。でも、それをする行為に意味があると信じているの」

「そ。でも残念ながら意味ないよ」

 また頭中に怒りが湧いた。

「なんで?」

「場所が違うから。てっきり祈願石を持ってるからその辺は把握してる人かと思ったけど。そっか残念……」

 妖怪は掌の祈願石という物をぽんと宙に浮かせ、また掌に収める。それを繰り返しながら斜め下に視線を配っている。

「うん。話がよく見えてこないんだけど、ここはそんなに特別な店なの?」

「言ったじゃん。祈願屋だって。願った事が叶う店、屋号通りだよ」

 当然のように口走るが、私は未だぴんとこない。だが、それがもし本当なら……と鼻の上に皺を寄せた。

「その祈願石? なんで私の所にやってきたの?」

「あれ? 拾ったんじゃないの?」

「うん。そんな事一言も言ってないでしょ?」

「ああ、そう……だったら話が変わるね。アナタ、叶えたい願いがあるんじゃないの? 祈願石はそういう人の元に訪れる魔法の石だから。うん。じゃあこれアナタの物になるね」

 そう言って妖怪はまたすっと私の元へ一瞬で近づき、掌を広げるように促した。五つの目を瞬きさせながら口元をにやりとさせる。

「じゃ、か〜えっすね!」

 ぽん、と再び祈願石が私の掌に戻ってきた。言葉遣いも機嫌がよくなったように感じる。

「じゃあ私はこれで何をすればいいの?」

「なに、って願い叶えるだけじゃん。簡単な事でしょ? ほら、私に向かって」

 正面に向かい合って私達は何かの時間に突入した。

「もしかして、アナタはこの石で何か出来るの?」

「うん。そっちが望めばなんなりと、あまり大きな願いは無理だけどね。それでも大抵の願いは通るよ。お気になさらず」

「じゃあ……」と私は固唾の呑んだ。

「中学時代の親友と再会したい」

「ここで再会する程の事かい? 直接会えばいいじゃない?」

 私はかぶりを振る。

「もう居ないんだ。中学時代に交通事故でこの世を去ったから」

「ふぅん。じゃあ再会じゃなくてその運転手の復讐でもいいじゃないの?」

「そんな事しても意味ないよ……現実は現実のまま、そこはちゃんと受け入れないと駄目だと思ってる」

「そう。じゃあ具体的には?」

 私は口を紡ぎ、漠然とした思考、また突発的な判断でゆっくりと口を開く。

「まぁ、簡単に言えば、私の命を殺して欲しい。そしたらまた会えるかなって……」

 斜め下、自身の足元を見ながら、それでいて少し馬鹿みたいに思ったりもして、でも私は本気だった。

「あの世って所が本当に存在すると思ってるの?」

「ほぼ、ないと思ってる」

「じゃあ何でそんな事望むの? 何に期待してるの?」

「わからない。でも、それが私の生き方だから」

 強く言った。でも、本当の意味では強くない。結局私は過去の幸福に縋って、現実から逃げて、自分でも情けなく思う。弱い人間だって、しみじみ思う。それでも、目の前の妖怪はじっと私の目を見てる。真剣だった。私の願いとはなんだろう。他人からすれば、どうでもいい事かもしれない。でも、私にとって、それは、そんな薄い枠を超越している。

「お願い。今の私を殺して」

 妖怪は半ば呆れた表情、でも見捨てるような感じでもない。確かに届いてはいる。変な人間だって思われているかもしれない。でも構わない。だってそれは、本当に私が望んだ未来、現実なのだから。

「ふぅん。わかった。じゃあ始めよっか。アナタが心の中で望んでいる願い。それに何の意味がなるのか知らないけど、死んでみたら? そしたら、見えるかもしれないよ。アナタの本当の望みを」

 ◯

 そして今に至る。

 首が自ずとこの先の結末を予測する。たぶん、とても苦しいだろう。それか、そんな苦しみを一切感じさせず終わるのか。今まさに、それが一瞬で決まる。怖いけど、怖がったままでは、いつまで経っても先へ進めない。

 あの妖怪は知ってるのだろうか。私の最期を。

 __あの世って所が本当に存在すると思ってるの?

 私は、ほぼないと告げた。でも、答えは返ってこなかった。ようするに、答えなど無いんじゃないのか。ぼーと縄を見つめながらそう思う。

 あの世がないなら、あの子は存在しない。

 あの世があるなら、あの子は存在する。

 どっちにしろ私は現人生最大の賭けに出ている。つまり、私の自死行為が成功すれば、あの子は存在しない。自死行為が失敗に終われば、あの子はあの世で存在する。

 祈願屋は私の人生を弄んでいるのか、それとも後押ししてくれているのか。決まる。今から目の前の縄がそれを判断してくれる。私が首を入れて椅子を蹴ればすぐにわかる事……。

 正直怖い……。今までの人生の中で最も恐ろしい行為である。でも、もしあの子と再会する事が出来るなら私は、私自身の命など、どうでもいい。

 うん。そうだね。どうでもいいよね。さぁ、私に明日が来るのか、それとも来ないのか、一世一代の大博打を始めよう。

 さっと私は椅子を蹴り、縄に飛びついた。

Concrete
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