その日俺は夕刻から、都内某ホテルが主催する婚活パーティーに参加した。
普段着なれないスーツ姿で、気合いを入れて出掛けた。
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定刻より少し遅れて会場に入ると、既にパーティーは始まっていた。
20歳から40歳までの男女50名が、ホテル地下にある宴会場に一同に会している。
ホール内のあちこちには丸テーブルが配置され、その上に様々な料理や飲み物が置かれており、男性も女性も思い思いの場所に立ち、お互いに談笑しあっていた。
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前月40歳になってさすがに焦りを感じだした俺は、それまでも何度となく婚活フェスに参加してきた。
だが現実はそんなに甘くはなく連敗記録を更新中だった。
既に相手を選べるような年齢ではないことを悟っていたから、その日も片っ端に女性に声をかけていく。
だが元々コミュ障気味な俺が今更頑張って気の利いた会話をしようとしても無理な話で、やはり1回たりとも盛り上がることはなく時間だけが虚しく過ぎていき、とうとう閉会となった。
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ホテルを出た時は既に日が暮れていて、辺りは薄暗くなっていた。
俺はすぐに帰る気にはならず、何とはなしに近くにある広い公園に立ち寄る。
人気のない公園のブランコに座り、しばらくゆらゆらと前後してみたが、ちっとも心が晴れないので止めた。
それから遊具たちを横目にグランドを抜け、その先にある林に進んでいく。
曲がりくねった薄暗い遊歩道を、街灯を頼りに一人とぼとぼ歩いていると、情けないことに突然下っ腹が痛みだした。
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─普段食べ慣れない料理で、お腹が驚いたのかな?
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焦りながら辺りを見回すと、100メートルほど前方に、街灯に照らされポツンと公衆トイレがある。
俺はダッシュすると、慌てて男性用に駆け込んだ。
そこはお世辞にも清潔とは言えないような、薄汚れた所だった。
タイル張りの床は変色しており、天井の蛍光灯は切れかけていて、断続的に点いたり消えたりを繰り返している。
そこをめがけて一匹の蛾が愚かな衝突を繰り返していた。
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個室は右手に3つあった。
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ただ奥の1つは閉まっており、【故障中】という貼紙がしてある。
あとの2つの扉は開いていた。
俺は真ん中の個室に入った。
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何とか用を足すことができ、洋式便座に座ったままホッとして顔を上げると、扉に落書きがあることに気づく。
天井の蛍光灯が点灯と消灯を一定間隔で繰り返す状況で読みづらかったのだが、何とか頑張って読んでみた。
それは角張った癖のある字で、黒のボールペンで書かれていた。
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わたしは今年40になる女です。
去年の末、10年お付き合いをした彼氏に振られました。
それで今年に入ってから婚活を始めたのですか、なかなか良縁に恵まれません。両親も既に亡くなっており、唯一の身内である兄も去年バイク事故で亡くなりました。
もしかしたらこのまま1人で歳をとり、孤独なまま死んでいくのでは?とか考えると、ゾッとします。
最近は、そんな惨めな最期を迎えるくらいなら、いっそのこと、、、などという恐ろしいことまで思ったりします。
もし貴男様が独身で、こんな寂しい女に少しでも興味がおありならお電話ください。
090ー○○○○ー✕✕✕✕
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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数年前なら、こんな落書き一笑にふしただろうが、その日の俺は少々精神的におかしかったのだろう。
スーツの内ポケットから携帯を出すと、扉に書かれた電話番号をタッチしだした。
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果たして、、、
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コール音が鳴り出した。
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何故だろう心臓が次第に心拍数を上げていく。
携帯を持つ手のひらに、じんわりと汗を感じる。
1分ほど経ったくらいに突然コール音が途切れ、
ぶつりと電話が繋がった。
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緊張した面持ちで声を出す。
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「もしもし」
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…………
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返事が返ってこない。
再び声を出す。
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「もしもし」
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…………
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やはり返事はない。
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─なんだ、やっぱり悪戯だったのか。
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そう思って携帯を切ろうとした時だ。
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─、、、はい
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女のか細い声が聞こえた。
俺は慌てて携帯を耳にあてると、吃りながらも必死に喋りだした。
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「あ、、あの、、ト、、トイレの扉を見て電話してるんですけど、も、、もしよろしかったら、い、一度お会いできませんか?」
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しばらくすると、また女の声がする。
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─ありがとうございます。こんな私で良ければ
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これはチャンスだ。神様が与えてくれたチャンスだ!
俺は頑張って続ける。
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「では明日の夕刻に、ここの公園でお会いしませんか?」
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すると、
女の返事は意外なものだった。
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─その必要はありません
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俺は尋ねる。
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「どうしてですか?」
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…………
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急に女は無口になった。
そして沈黙がしばらく続いてからのことだ。
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何だろう、頭頂部辺りにさわさわと何かが触れている!
何だろう?と見上げた瞬間、ゾッとした。
それは長い黒髪。
黒髪は上方から垂れてきており、訳が分からずその先を目でたどったとたん、
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一気に全身に冷たい戦慄が走る。
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shake
う、うわあああああ!、、、
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それは天井にある通風口。
黒髪はそこから垂れてきていた
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そしてその隙間から、
白い顔の女が嬉しそうに目を細めて、じっとこちらを覗いていた。
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fin
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Presented by Nekojiro
作者ねこじろう
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