「もし、この世に幽霊がいるとしたら警察など必要ないと思わんかね?」
切り出したのは『ホラー研究部』、略して『ホラ研』部員の男性、三影だった。
大学の庭園の池で鯉を眺めながらそう言う。見た目は中性的、細い体躯で胴長な背丈。目元まで伸びた茶髪と羽織っているダークブラウンの背広が生暖かい風に靡いている。
「いや、流石に警察は必要でしょ……しかも幽霊だって存在しないと立証された訳でもないですし」
反論したのは大学の後輩にあたる結城。そして結城はこう付け加える。
「それに、三影さんだって僕と同じホラ研でしょ? いいんですか、幽霊などいない、なんて断言してしまって」
すると三影は池の淵の岩に座っていた腰を数ミリ浮かせて結城を見て、とんでもない、と言い鼻を鳴らした。
「私と同じ? では聞くが君はなぜこの部を志願したんだい?」
「はい。僕はとにかく怖い話、いえ、もっと正確な表現をすると都市伝説の類が大好きなのです。怖いよりの都市伝説です」
まるで採用面接のような会話、いや、実際結城は大学一回生で自分が所属したいサークルを選んでいる最中なのだ。
そこに『ホラー研究部』という一風変わった名称のサークルが目に入ったので、一度見学したい、と言った所、この男、三影に庭園へ呼び出された。なので厳密に言えば、結城はまだホラ研の部員ではない。
「困るのだよね。そういう印象が一番……まぁ、まぁ……そうなるのも仕方ない事だとは思うけどね。彼女がむやみにサークル応募など作成……いや、まぁいい。君は私達の活動をもっぱら怪談話をしあう仲良しサークルだと思っているだろう?」
「はい。え? サークルってそんなものではないのですか?」
結城は丸い目をして訊いた。しかし、三影は「はぁ」と肩を落とす。
「いいかい? 君は……えっと……」
三影は目を瞬かせて自身の指先をこめかみの位置にあてがい、言葉を詰まらせた。
「あっ、僕一回生の結城と申します」
「結城君ね、そうじゃないんだよ。確かに我々はホラ研ではあるよ。しかしがっかりするかもしれないけど、このサークルの活動は割と地味でね。この世にある都市伝説を現実可能かどうか、明らかする。そんな作業ばかりだよ。怪談好きは趣味の範囲で楽しむのが一番だし、趣味は深掘りしてしまうと趣味の枠を超えてただの労働になってしいかねない。悪い事は言わん。このサークルはやめておきたまえ」
独特な話口調の三影はそう言って結城の肩をポンと叩く。しかし、結城の身は少し震え上がっていた。
「なんですか、その活動……」
「え?」と三影はそのまま去ろうとしていた足を止め、結城を見る。結城は三影の意に反した反応を示していたのか、目が輝いていた。
「普通に楽しそうじゃないですか!」
部室内は普段使用されていない空き教室を活動拠点にしている。入り口を抜けると、殺風景な光景が広がる。教壇はそのままだが、生徒が座る椅子の数が極端に少ない。真ん中辺りにぽつんと席があり、それを囲うように椅子が配置されているのみだった。
三者面談の光景を思い出す。変わった所と言えば教室の入ってすぐ左、隅に掛けられたアンティーク風の壁時計のみ。
結城の入部を許可したのは三影と同じ大学三回生の鮎川という女性——。
三影とは親子ほど背丈が違う小柄な体躯にカーブを描いたようなゆるゆるとした黒い長髪。それとなくいい香りがするのは香水の匂いではなく、薔薇の香りがする柔軟剤の匂いだと思う。見た目にギャップがあり性格は三影より男性的で活発に見える。
三影の忠告めいた発言を無視して結城を心良く歓迎してくれた。というのも、ただ只管部員を増やしたい訳ではなく、結城の都市伝説に関しての知識の豊富さを認めたらしい。
「結城君はどの都市伝説が好きなの?」
部室内で鮎川は結城に問う。
「そうですね。特にこれ、っていうものもないのですが『きさらぎ駅』とかは割と好きな方ですね」
ほうほう、と頷く鮎川、しかし三影は鼻を鳴らす。
「都市伝説好きにしては、えらく王道な発言だね。では、尋ねるが、結局その登場人物である『はすみ』という人物は実在するのかね?」
なんだか棘のある質問に結城は肩をすくめた。
「こらこら、せっかく入部してくれたのに意地悪な質問しないの」
三影はどこか結城の入部を拒んでいる。一方で鮎川は結城の入部を歓迎してくれている。
「あの、部員はお二人だけですか? 見る限り、他に人がいる気配がないのですが」
そう言うと、ピタッと空気が止まった。
三影は言葉使いこそひねくれているが、ネチネチとした暗いタイプという訳ではない。良い人、と断言はできないが、決して悪い人には感じない。そして鮎川も比較的明るい性格なので、この部室は割と和やかな雰囲気だった。しかし、今の結城の発言は少しマズかったのかもしれない。
静寂を切ったのは鮎川だった。癖っ毛のある髪先を指でくるくるとさせながら吐息ほどの声明で言う。
「他の部員は訳あって休学中」
「あっそうなんですか……」
気まずい雰囲気が漂う。二人は目を伏せている。
「あっそうだ。まだ好きな都市伝説もあって——」
結城は無理に話題を違う方へ持っていく。
「うむ。訊いてやろう」
三影も恐らくこの切り返しを良く思ってくれたのか、顔を上げ、積極的に興味を示してくれた。
「猿夢です。きさらぎ駅とはまた違ったテイストの話ですが、これは実際絵にしたらグロテスクですよね」
「さる……?」
「え?」
先程とは違った気まずさが生まれた。三影と鮎川、二人は目を見合わせ、首を傾げた。まるで初耳みたいな表情……。
「もしかして……」
恐る恐る結城は二人に囁いた。
「うん。知らない」と鮎川。
三影を見ると、三影も同様の反応だった。
「あ……あのね。結城君。アナタにとっては残念な話かもしれないけど、実はあたし達——」
聞くとこの二人、本当にメジャーな都市伝説や怖い話しか知らないらしく、いや、『猿夢』も結構メジャーだと思うのだが……、とにかく断片的の知識しかないらしい。
「あの、ホラ研って普段どんな活動されているのですか?」
「さっきも言ったろ。都市伝説が実現可能か——」
「あの説明ではよくわかりません。具体的にどんな活動を?」
三影の発言を切り、食い入るように結城は訪ねた。
「ああ、そうね。実はね。この部を立ち上げたのはあたし達じゃなくて一つ上の学年の『白井』って人が立ち上げたの。彼が一番ホラー好きかもしれないね。今は休学中だけど……」
「え……? ってことはもしかしてお二人は?」
「うん。どっちかって言うとホラー好きじゃなくてホラーを解明するのが好き……かな」
「解明ですか」
「ほら、実際こういう類の話って、言ったらなんだけど……その……創作が多いじゃん? でも、稀にそれって本当にあった出来事なんじゃないのかって話もあるし、あたしと三影はそれを幽霊の仕業じゃなくて人間の仕業だと仮定して実証する活動をしてるの」
やばい、言ってる事がわからない、といった様子で結城は瞬きした。
「まぁ、話すより見せる方が早いか……」と鮎川は立ち上がり、部屋の隅にある本棚から資料らしき物を取り出した。
「今、あたし達が調べてるのはこれ——」
資料は無印製品のノートが使用されている。表紙に『こっくりさん』とある。
「こっくりさん……ですか」
「ええ。前に白井部長から提案された件なんだけど、まだ解決前なんだ。ほら、結城君の周りにもやってる人いたでしょ?」
「まぁ、小中でやってた人は……いたかな……?」
「こっくりさんのルールは覚えてる?」
「ええっと……確か、紙に五十音を書いて、硬貨に二人以上で指を置く」
「そうそう。まぁ次のページにあるんだけど」
鮎川はそう言って次のページを捲る。すると、懐かしのあの光景が広がった。しかし、ここまで本格的な物を目にするのは初めてだ。
白い紙の真ん中の上に赤い鳥居のマークがあり、その左に『はい』右に『いいえ』そして下に五十音、その下に『123467890』と並んでいる。
「結城君はさ、こっくりさんってどんな霊だと思う?」
「どんな……? そうですね。あまり考えた事ないですね。なんせ実態がわからないですので」
「動物霊だそうだ」と三影が口を挟んだ。そして鮎川に次のページを捲るように促した。
次のページには身体がイヌ、そして尻尾がタヌキのような姿、眼はキツネのように見えたが半分開かれており、赤く禍々しい雰囲気が描かれていた。
「これ誰が書いたのですか?」
「あたし」
「絵、上手いですね」
「どうも」
「でも、なんでこんな姿なんですか?」
「絵の上のタイトルを見て」
タイトルには『狐狗狸さん』と書かれていた。
「こっくりさんは本来、動物霊を呼び出す降霊術って言われて字の通り、狐、狗、狸、だからそれをイメージして書いただけ。まぁ、眼はちょっとした遊び心だけどね。多分この漢字も後付けなんだと思う。しかもこれ、日本発祥じゃないらしい」
「え? そうなんですか」
「昔、西洋で流行したテーブルターニング——。傾きやすいテーブルに複数人で手を置き、問いかける、一種の占いだね。それを模して日本人が使っていたらしい。そしてみんながその問いの答えに、こくり、と頷いている様子から『こっくりさん』って名付けられたんだ」
「へぇ、詳しいですね」
「まぁ、これでもホラ研だからね」
胸を張る鮎川。
「で? これでなにを証明するんですか?」
「そうだね。ここらからが本題だね。まずこの儀式のルールをおさらいしようか」
そう言って鮎川は次のページを捲る。
※手順※
用意する物、硬貨、紙、ペン。人。
『こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください』と話しかける。
硬貨が『はい』の位置に動き始めると後は聞きたい事などを質問をする。その答えを硬貨が動いて回答してくれる。ひとつ質問が終了したら『鳥居の位置までお戻りください』とお願いして、硬貨を鳥居の位置に戻させる。
こっくりさんを終了させるには『こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻り下さい』とお願いして、硬貨が『はい』に移動した後、鳥居まで戻ってきます。戻ったら『ありがとうございました』と礼を言って終了。
[ ※注意点※
・途中で硬貨から指を離してはいけない。
・こっくりさんの事に関して質問してはならない。
・原則、こっくりさんへの質問は七回までとする]
と書いてあった。
「これも鮎川さんが? 最後のルールは聞いた事ないですね」
「これは部長が書いたもの。だからルールも彼が定めたものの筈。七つの質問、なんだか学校の七不思議や七つの大罪みたいでそれはそれで楽しいんじゃないかな。でもこれ、全部人工的に可能な内容なんだよね」
「はい。わかります。二人以上でやる場合は誰か一人が指を動かせれば怪異にみせられる、ですよね」
鮎川はニッコリと微笑んだ。
「他にも異論があるよ。オートマティスム——筋肉性自動作用。名前の通り、無意識のうちに動作を行ってしまう。あたしはね、結城君、これを本格的に実証したいの。でも、今の所、実証出来ない。あたしと三影は絶対に硬貨を動かさないから」
「なるほど」
「この実証にはあたしと、三影、どちらも知らない情報をこっくりさんに答えさせなければならない。しかも、その情報が正しいかどうかも」
結城は一拍置いて、顔を上げ、掌の上に軽く拳を落とした。
「あっ、だから僕を第三者に使おうと思ったのですね」
「まぁ、平たく言えばそうね。でも、勘違いしないでよ。それを理由に結城君をこの部に招いた訳ではないからね」
「つまり——」と三影が開口を切った。「つまりだね。例えば……そう。君は都市伝説の知識が豊富だ。まぁ我々に比べたらの話だが——」
そう言って三影は鮎川を見る。なんだか結城にはわからないアイコンタクトを取っている。
「これが面白いと感じたんだろう?」とぎこちなく言う三影。
鮎川は唇を揺らし、目を細める。その姿は、出会って間もない人間だが、妙に彼女らしい反応に見えた。
「そうそう、ここからが面白いの。ホラ研らしい実証とでも言うか、ねぇ、結城君」
とろりとした双眸で結城を眺める。
「はい」
「あたし達の知らない都市伝説。例えば、さっき言った『猿夢』だっけ? あたし達はその内容を一切知らない。でも結城君は知っている。だからあたしと三影は、とりあえず、こっくりさんを開始する。そこで『猿夢』の内容について質問する。もちろん、あたし達は内容を知らない。そこで質問内容をあらかじめ結城君から聞いておく」
「あっ、なるほど」と鮎川の意図を読み取る。
「そう。結城君はこの都市伝説の内容に真実と嘘を交えてあたし達に質問内容をランダムに決めてもらう。全て的中すれば確率的にこっくりさんの存在を少しは認めるかな」
少しか、まぁ偶然という事もあるから、そこは否定出来ない。しかし、本格的にホラ研の活動が見えてきた。
おさらいだが、今、結城を含め、三人の人間がいる。こっくりさんを呼び、その者を含めると四人……? 存在する事になる。都市伝説ではこっくりさんとは神に近い存在。いや、なんなら神だと謳われてる。故に全知全能と仮定する。すると、今から始まる『猿夢』に関する都市伝説を知っている者は結城とこっくりさんのみ。そして結城は今から行う実験に参加しない。鮎川と三影、どちらも知識がない。でも指を動かす事は出来る。こっくりさんは真偽を導く役割、結城はその真偽を定める役割だという上手い構図が出来上がった。
「じゃあ早速始めるか」とここにきて妙に乗り気な三影。
「なに? アナタそんなに興味あったっけ?」
「ん? なに言ってるんだい? そもそも、この実証の提案を受けたのは私だぞ」
「ああ、そうだっけね。まぁいいか、始めるからページ戻すね」
こうして行われたこっくりさん。二人が向かい合って机を挟む。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」と鮎川が唱えた。
しかし……しかし、動かない……。当然と言えば当然だが、鮎川と三影、二人で硬貨に置いた人差し指が微動だにしない。
また、気まずい空気が流れる。
鮎川は念の為、もう一度同じ言葉を唱える。
しかし、駄目……。
そりゃそうだ、と結城は心の中で思う。本来こういった行為とは、小中の頃に誰かが遊びやる程度、それこそ、誰かが誰かを怖がらせる為に人力で指を動かす程度の所詮小さな肝試しレベルのもの。こんな真剣な表情でこっくさんを降霊しようと企む人間などそうはいない。
だからこの結果は当然と言えば当然だ。
「だめ……か」と鮎川が声を溢す。
「まぁ、これで明らかになったのではないか。こっくりさんなど存在しないと」
三影も少し期待していたのか肩を落としながら溜息まがいにそう言う。
緻密に計画を打っていた分、結城も多少の虚しさを感じた。
二人は硬貨から指を離す。一瞬、あっ、と思ったけど、そうか……そもそも降霊していないのだから、お戻り下さい、と言う必要すらないのだ。
「な? 言っただろ? 地道に手間がかかる事をやって、結果も地味。こんなものさ、ホラーというものは」
三影の言葉に結城は小さく頷いた。しかし、ちょっとした疑問を抱いていた。
「あの、ちょっといいですか?」
二人同時に結城に視線を配る。
「いえ、ちょっと気になったんですけど、席、足りてないんじゃないですか?」
鮎川と三影が顔を見合わせた。どうやら結城の言葉を理解してくれたようだ。
そう、一つの机に対して用意されていた席は二脚なのだ。
「なるほど、そう言われると、こっくりさんの席がないね」と鮎川。
「いや、それが正しいって訳じゃないですよ。単純にそう思っただけで」
「でも、的を得てる気がする」
そう言って鮎川は少し離れた位置からもう一脚を用意してきて、机に並べた。
再び鮎川は手順を踏んだ。
しかし……動かない……。
「やっぱただの都市伝説って事だね」と三影は再び硬貨から手を離す。
「あの、もうひとつよろしいでしょうか?」
結城は小さく手を挙げる。半ば諦めかけた雰囲気に耐えかねてという思いもあって口にした。
「呪いのこっくりさん、というのはいかがでしょうか?」
「呪い?」三影が反芻する。
「ええ、こっくりさんは特定の誰かに呪いを掛ける為に使用される事があると聞いた事があります。手順は先程同様、呪いたい者の名前、特徴、呪いの内容などを言って『はい』に動いたら成功です。でも、それを行うにはその者に強い怨念が必要だそうです。逆に『いいえ』に指が進んだら行った本人に呪いが掛かるみたいです」
「つまり?」とやや声を低めて鮎川。
結城はその問いに無表情で答える。
「つまりですね。こう考えてみてはいかがでしょうか。白井部長という方は自ら、ひとりでこっくりさんを行った。もしくは呪いのターゲットにされた」
「……もしかしてあたし達がそれをしたとでも?」
「さぁ」
ここで、結城の雰囲気が急変したのを感じる。それは鮎川と三影、両方を訝しんでいるような鋭い眼光を持っているように思う。
「君は私達を敵対視しているのかね?」
「そういう訳ではありません。ただ、可能性を述べているだけです」
「ほぉ」と鮎川は顎先に指をあてがった。
「面白いわね。結城君、でもあたし達がそれをやった根拠がないわよね。まさか目撃したとでも?」
「いえ、目撃はしてません。しかし、証明はできるかもしれません——」
結城は指先を盤面に伸ばし、二人を見合わす。
「確かめればいいのです」
鮎川と三影に真剣な表情を突きつける。
結城はこっくりさんを使用して真実を洗い出すつもりでいるそうだ。鮎川は、ふっ、と嘲笑い、掌を結城に伸ばした。
「いいわ。なら証明してみて。でもあたし達は決して硬貨から指を動かさない。それを忘れないでね」
「わかりました」
そう言って鮎川はこっくりさん専用である椅子に結城を座らせた。念の為、こっくりさんの席も用意して、三人で机を囲んでいる状態、そして鮎川は目を伏せて、静かに状況の整理を兼ねて話始める。
「まず、そうね。結城君に真実を話しておくね。三ヶ月前、このサークルの部員は四人だった。あたしだけが、そう思ってる訳じゃなくて三影もそう思っている。だからこれは真実ね」
結城は首を振った。
「いえ、僕はそのもう一人の部員や白井さんを見た事がありません。なのでお二人が嘘を付いていると仮定すれば、その真実は覆ります」
「ほぉ」と三影は面白おかしく笑った。そして言葉を返す。
「では、我々が君が言う通り、嘘の証言をしたとしよう。そうすると我々にどんなメリットがあると言うのだね?」
「そうですね。例えば、僕にその人物を知られたくない。知られればマズいと考えている。どうでしょうか?」
「確かにそう言われれば結城君の言い分は正しいね」と鮎川。
「でも私と鮎川は先程も失敗したばかり。なのにまたこの降霊術をするのはどうかな」
「条件が違います——」
結城の視線はこっくさんの色紙に落ちている。それに、なんだかとても威圧的に視える。
「今この状況とさっきの状況を比較すると、僕の話した内容が加わっています。もし、お二人が僕に他の部員を隠したい意思があるとすれば、そこには必ず『後ろめたい意志』が存在する筈です」
「ふぅん。結城君はそれを『怨念』と似たような感情と仮定してるの?」
鮎川の問いに結城はこくりと頷いてみせた。
三人の和やかだった雰囲気はがらっと変わり、張り詰めるような空気が漂い始めた。
鮎川は三影に視線を配って、互いに相槌を打った。
もう、それ以上の事は結城に尋ねる事をせず、二人は硬貨にゆっくりと手を伸ばした。
今、三人の意思が硬貨に乗せられた。
「結城君、ひとつ忠告しておくね。もし、こっくりさんの降霊が成功したら絶対に指を離しては駄目よ」
「ええ、もちろんです」
こうして始まった。何かを隠している三人の意思による。本格的なこっくりさんが——。
◇◇
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください。もしおいでになられましたら『はい』へお進みください」鮎川が唱える。
すると、鳥居のマークから徐々に左に硬貨が進んでいく。次第に『はい』へ止まる。
鮎川と三影は絶対に硬貨を動かせないと誓っている。なので、ここは、結城が動かしたと考えるのが自然である。しかし、それを証明する事は出来ない。本人に直接聞く手はあるが、それは野暮でというもの。そして、あるいは本当に……という考えもある。
「初めて降霊成功……と言った所かしらね?」
「はい。では一度鳥居の方へ戻って頂きましょう。その後、質問をしましょう」
結城は淡々と手順を踏もうとする。
「じゃあ、あたしからしてもいい?」
「ええ、でもさっき話した『猿夢』の話はしないで下さいよ。それは僕が知っている事実なのですから」
「わかってる。ここで質問する内容は三人が共有してない質問をすればいいって事でしょ?」
「はい」
「じゃあ——」鮎川はそう確認した後、唇を動かす。
一回目の質問——。
「こっくりさんこっくりさん、この学校の一年生である結城君は白井部長とあたしと三影意外の部員の事を知っていますか?」
ストレートな質問に三影は目を見開いた。鮎川は結城には視線を向けていないが、その瞳はどこか挑発的である。
一方で結城は何も答えない。何故ならこの質問は結城ではなくこっくりさんに向けての問いであるから。
硬貨がゆっくりと鳥居から『はい』へ進んでいる。
「では次、僕が質問しますね」
どうぞ、と鮎川と三影が頷いた。
二回目の質問——。
「こっくりさんこっくりさん、この学校の三回生である鮎川さんと三影さんが口にする四回生の人物『白井』は架空の存在ですか?」
三影が鮎川の表情を確認する。鮎川の唇から薄ら笑みが零れる。それに、硬貨が移動する。
移動先は『はい』
三人は硬貨から指を離そうとしない。いや、離せない。
「今度は私の番かね?」
「こっくりさんのルールに、順番通り、という文言はないから、質問したい時にするでいいんじゃない」
「では、私はスルーで」
三影は目を伏せて首を振った。
「じゃあ、あたしが質問するね。いい? 結城君」
「どうぞ」
今の状況を整理すると、ホラ研には部長である白井という人物は存在しない。かつてもう一人部員が存在していた。その人物を鮎川と三影は口にしない。
つまり、どこかに嘘の証言が入れ混ざっている状態。しかも、その嘘は鮎川と三影が行為でついてる事になる。
三回目の質問——。
「こっくりさんこっくりさん。結城君は実はホラ研に興味がない?」
硬貨が『はい』に進む。会話はない。
四回目の質問——。
「こっくりさんこっくりさん。鮎川さんと三影さんはもう一人の部員を僕に知られるとマズイ?」
硬貨が『はい』へ進む。
「四回質問したね。しかし、三影の質問がまだ一つもされてない。どういうつもりなの? まさか客観的に物事を俯瞰するつもりなのかしら?」
鮎川の問いに三影は何も答えない。さぁ、とシラを切る。
「少なくても、結城君の目的はあたし達の粗を探す事であるように感じるね」
「こっくりさんの示す現象に嘘はありません」
「それはどうかな——」と三影がよこやりを入れる。
「少なくてもこの硬貨は我々が指で抑えつけているに過ぎない。なので、結城君が自分の都合の良い方へ動かしているのかもしれない」
「そうですね……かも、しれませんね」
結城は無機質な表情でそう答え、少し不気味に微笑む。
「先程、私達の部に興味がないとこっくりさんは示した。それは私も薄々感じていた事。結城君は何故、この時期にサークルを決め兼ねているのか、もう入学して三ヶ月が経つ。サークルなど普通は入学してすぐに決めるものだと思うがね」
「それを言うならホラー研究部の勧誘ポスターを今の時期に貼り出すのも変です」
互いに互いの知らないカードを隠しつつ、それを譲る気は毛頭ないようだ。
「まぁまぁ、それもこっくりさんに訊いたらいいんじゃないの」と鮎川はほんのりと余裕の表情を浮かばせる。
ここで、結城は「はぁ」と肩を落とす。
「少し白状します。そのもうひとりのホラ研メンバーは僕の友人です。でも三ヶ月前から行方をくらましてます。だから僕はここに来てアナタ達から情報を聞き取ろうとしています」
「そう」
鮎川は表情を変える事をせず声を落とす。
「アナタ達もなにか白状する事があるのなら、今のうちにお願いします。もう後に引けませんよ」
しかし、鮎川は小さく顔を振る。
「結城君の発言に嘘があるかもしれない。例えば結城君の言う通りもうひとりの部員が結城君と友人だとしたら、どうして結城君は三ヶ月もあたし達を無視して過ごして来たのか、それが不思議に思う」
「その友人がこのサークルに所属していた事を知らなかったから……で通りませんか?」
「そう。ではこっくりさんへの質問を再開しましょう」鮎川が促した。
五回目の質問——。
ここで初めて三影がこっくりさんへ質問を投げた。
「こっくりさんこっくりさん。もうひとりの部員は女性である?」
硬貨は『はい』へ進む。
唐突な行動に鮎川は三影を見やる。予測してなかった、と言わんばかりの表情になる。
そして鮎川は結城を見る。
「ねぇ結城君、もしかしたらもうひとりの部員は結城君の恋人って事なのかしら?」
「それもこっくりさんに訊いたらどうです?」
殺伐とした雰囲気が漂う。しかし、鮎川はその雰囲気に慌てる事もなく、淡々と言う。
「もし、もうひとりの部員が結城君の恋人だとしたら、いっそう、ホラ研に入部している事を知らないのが不審に思うんだけど」
三影が口を挟んだ。
「三ヶ月前の話、まだ新入生が入って来て間もない頃だ。仮にここへ入部したとしても失踪までが早すぎる。よってサークルの話など恋人であれ、深く話さなかった、とも取れる」
鮎川は眉間に皺を寄せて、項垂れる。恐らく、状況が変わりつつあると感じたから。
今まで、どこか鮎川と三影による、二対一だった構図が枝分かれしたようになる。それでも、三影は可能性を話しているだけで、結城側についた訳でもない。
六回目の質問——。
結城が行う。現状、不可解な関係値である二人の事を問いただす為の一種の手段として質問を投げる。
「三影さんはもうひとりの部員の存在を知らない?」
硬貨が『はい』へ動く。
沈黙が流れる。
現状の整理をする。これはこっくりさんが導いた答えを真実とする。
まず、このホラ研の部員である二人が語る白井部長の存在は嘘。
部員はもうひとり存在する。その部員は女性である。
なのに、その部員を三影は知らない。
この事を踏まえると三影と鮎川は結城に嘘を交えて話している。しかし、同じ嘘でも今、立場が危ういのは鮎川の方。その流れの悪さを鮎川は自覚して言葉を伏せている。
「そもそも、もうひとりの部員の失踪は入部してからすぐの出来事になる。この活動自体、頻繁に行っている訳ではない。私と鮎川は学部が違うものでね。彼女がホラ研の活動以外で何をしているのかいちいち把握してないのだよ」
現状はお互い敵や味方がいない状態、三つ巴のような構図が出来てしまった。三影は訝しい瞳を鮎川に向ける。
しかし、鮎川もただ黙っているだけではないたいった様子で結城と三影、交互に視線を送る。不適な笑み溢す。
「ええ……そうね。確かにそうなるね。じゃあそのもうひとりの部員の情報をあたしだけが持っている。そして、結城君はその人物を知っている。三影は知らない——」
こくりと鮎川は首を傾げる。
「覚えてる? こっくりさんに質問できる回数は七回、つまり質問はあと一回しかできない状態。さて、アナタ達は何を暴きたい?」
この三人の現状はこうなる。
結城の目的はもうひとりの部員の安否。
鮎川は自分の情報の提示を拒んでる。
三影は自分が知らない鮎川の行動を訝しんでいる。
あと一つの質問で全ての答えが得られる事を軸に慎重に考えなければならない。
「そもそも、存在しない部員が作ったルールですよね? 忠実に守る意味があるのでしょうか? 鮎川さんもさっき、ルールも彼が定めた筈、と言ってました。それもでたらめなんじゃないのですか?」
「うん。確かに白井部長という人物は存在しない。でもね、これを作ったのはあたしと三影、どちらでもないの」
「では、誰が? もしかして、もうひとりの部員が?」
ここで「んんっ」とわざとらしく喉を鳴らし、三影の怪しみを含んだ瞳が結城に向く。
「少しいいかね? 結城君は本当に、そのひとり、が友人、あるいは恋人なのかい?」
「どういう事ですか?」
「いや、先程から鮎川もそうだが、君の口からその女性の名前が一切出てこない。どうも私からしたら気味が悪くてね。性別まで判明している。普通ならもう名前ぐらい出ていてもおかしくはない筈だが、一向に出てこない」
「それもそうね。もしかしたら存在しないかも? いや、そもそもあたしと結城君がグルで三影に嘘の証言をしてるのかもしれないよ」
鮎川はそう言って真相をさらに闇へ押し込んだ。
「あっ、結城君。ひとつだけ、と言うより前程の話なんだけどね。この『こっくりさん』のルールは絶対という事は忘れないでね。三影も」
「そう言う君が隠している情報も出来れば白状してもらいたいのだがね。こっくりさん抜きで」
「それは違う。それだとこの降霊術の意味がないわ」
意見が同意されない空気を結城は先へ促した。
「では、もうひとつの質問、結局最後は誰が行いますか?」
二人とも名乗り出ない。
それを眺める結城も頭の内で悩んでいる。
最後の質問——。
「慎重にしなければならんな」と三影が呟く。
あとひとつの質問で全員の利害を一致させる事は困難に思う。三人は首を捻る。
「そもそも鮎川さんが僕の知る部員を隠す意図がわかりません。なにか法に触れた事象でもあるのでしょうか?」
しかし、鮎川は小さな吐息を漏らす。
「だから質問は——」
「拉致があかないのです。潔白なら極力事実を教えて欲しいのです」
「仮にあたしがここでなにか発言したとしても、それが事実になるのかしら?」
「はい。しっかりとした根拠さえあれば。でなければ、最後の質問内容は自然と鮎川さんの粗探しになってしまいますよ?」
鮎川は唇の下を軽く噛んだ。彼女もその質問はできるだけ避けたい様子だ。
「わかった」と鮎川は重い口を開いた。
「簡単な話。あたしは彼女に口止めされているにすぎないの」
「口止め?」三影が訊く。結城も鮎川に視線を移す。
「ええ、単純に彼女に行方を隠して欲しい、と頼まれただけで、その意図は聞かないで欲しいと言われた」
「信じていいのですね?」
「ええ」
表情から嘘を言っているようには見えない。見えないだけだが、その一言で結城は、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、三影はさらにこの内容に首を突っ込む。
「一応ホラ研の一員だというのに私に何の相談もないのは如何なものだと思うのだがね」
「それはごめんなさい。でも、『そうなってしまったから』としか言えない」
また沈黙が部室内へ広がる。意を決して結城は言葉を投げる。
「それだと、もしかして鮎川さんも彼女の行方を知らないって事ですか?」
「ええ……」
「ではこう質問するのはどうでしょうか? 『その部員の現在の居場所は?』とこっくりさんに訊く。一番皆が納得する答えが出てくるのでは?」
「そうね。あたしも気になる所ではあるけど、あたしとしては彼女の、隠して欲しい、と言う意見も汲みたいかな」
「ほう、二人の会話を聞いているとよほどその女性に関心があるようだね。一体何者なのだろうねその者は。君はその女性に素性も隠すように言われているのかね?」
三影が鮎川と問う。
「そうなるかもね」
鮎川は曖昧に答える。
なかなかに打開策が浮かばない。しかし、次で全てを明らかにしなければならない。
沈黙が場を支配する中、結城はそっと手を挙げた。
「あの、こういうのはどうでしょう——」
二人が結城に視線を送る。
「こっくりさんにその名前を訊く。一番納得できると思いませんか?」
三影は、うん、と頷きながら鮎川に訊く。
「私としてはそれで納得なのだが、君はその行為を不満はないのかね?」
「問題ないわ」
どこか余裕のある笑みを浮かばせる鮎川。ここで三影は怪訝に思う。
それならば、別に隠さなくても口頭で言えば良い事。なぜこっくりさんという媒体を通さなければならないのか? そんな疑問があがった。そしてある考えに至った。
「もしかして君達、思い浮かんでいる人物が違うのではないのかい?」
そう。そういう事なら納得がいく。つまり、今隠れてる人物は二人いる事になる。結城は恋人、鮎川は結城程の価値を感じているのか、それとも口止めが強いのか頑なに人物の公言をしない。
「まぁ、そうだとしたら面白いかもね。それにしても三影だけね。この謎に頭を抱えているのは」
「私は多分消えた二人の事を知らない状態なのでね。その分興味がある——。して、どうする? その質問でいくか? 今までこっくりさんの質問は『はい』と『いいえ』どちらかしか盤面に移動しなかった事からするとここで正式に名前が実証される事に少しワクワクするのだが」
「呑気な人ねアナタは」
鮎川は三影に軽蔑したような視線を送る。しかし、三影は表情を変えない。
「君もそう思わないかい?」
視線を結城に移し、三影は鼻を伸ばした。
「まぁ、確かに少し興味はありますね。今までは、こっくりさんではなく、僕達が指を動かしていた可能性の方が高いですからね。もし、僕達三人の知らない情報が提示されたら、それはそれで面白いと思います」
「え? 知らない情報?」と鮎川は驚いた表情になる。
「はい。その可能性もありますよ。僕と鮎川さんが嘘の証言をして三影さんを騙している。三影さん視点だとそうも捉えられてしまいますよ。それとも鮎川さんはそれを否定するのですか?」
うう、と肩を落とし、唇を咎める鮎川。
「さて、じゃあ始めますか、真実を知る時間を」と結城は二人に視線を配る。
しかし、ここで結城は「こっくりさん、こっくりさん、どうぞお戻り下さい」と唱えた。
「え!?」
鮎川と三影は、想定外の結城の言葉に仰天しながら、互いに目を見合わせた。
「ちょっと結城君、どういう事なの?」
鮎川が痺れを切らしたかのように席を立ち、結城に指をさす。
「あ」
結城はその行動に反応を示し小さく呟いた。
鮎川の結城をさす人差し指は先程まで硬貨の上に乗っていた。
つまり——。鮎川はルールを破った事になる。
その意味を込められた結城の呟きを鮎川はすぐに理解した。しかし、途端にかぶりを振り、言葉を浴びせた。
「もう、こんな遊びは大概よ! どうしてここで辞めてしまうの?」
「はぁ」と結城はため息混じりに肩を落とした。
「もう、必要ないから、と僕が判断したからです」
結城と三影は未だに硬貨へ指を乗せている。
次第に硬貨は『はい』へ進んだ。
「なるほど、君はもう察しがついたと言いたいんだね」
三影の言葉に結城は軽く頷いた。
鮎川はまだ検討もつかない様子。
「なんのつもり? 三影、アナタもよ」
艶のある黒い髪が結城と三影を交互に見合わせるせいで派手に乱れる。
「まぁ、結城君の話を聞こうじゃないか、君も一旦座りたまえ、正直私も彼の言動を深く理解してる訳ではないのだから」
鮎川は渋々と椅子に座り直す。
「さて、結城君、君の見解を教えてくれ、この状況は何を指しているのかね?」
結城は姿勢を正し、眉をひそめた。
「先に申し上げておきますが、この見解は三影さん、貴方の秘め事にも関わる問題ですが、よろしいでしょうか?」
三影は一拍置いて、首を縦に落とした。
「わかりました」
結城は三影、鮎川、と交互に視線を何度か配る。数秒それを繰り返すと、三影に止まった。
「では遠慮なく、三影さんから申しましょう」
三影は結城から視線を逸らす。しかし、その手は結城に伸ばされている。
「三影さんは『第五回目』の時、今、浮いているもうひとりの部員が女性と疑念を持った。僕はどうしてそう思ったのだろうかと考えていたんです。つまり、こうは取れないかと、実はこの人は鮎川さんを庇おうとしているのかも、もちろん僕の想像ですよ? しかしそれが事実だとしたら? そこに矛盾が生じます——」
結城は眉間に皺を寄せながら言葉を続ける。
「庇うならいっそ、尚更ですよ? 鮎川さんは三影さんにその女性の事を話すべきでは?」
「だから、口止めされてるんだって」
肩を怒らせながら鮎川は言う。しかし、どこか語尾が弱く感じた。
「まぁ、私に話せない内容があるのかもしれないじゃないか」
「そうですね。それではとりあえず、僕の推測を話しますね」
結城の言葉で場はしんとさせた。
ごほんと一度咳払いをして結城は机のこっくりさんの術式に指をさす。
「鮎川さん。もうひとりの部員、既にこの世にいませんね」
「……」
鮎川は目をくるりと机に目を落とす。
「どうしてそう?」
「まず、三影さんの仰る通り今に至ってその人物の名すら上がらない。これは僕か鮎川さん、どちらかが、その人物を隠したいという意思が入り混じっています。では何故、そんな事になったのか、それを考えてみましょう。ね? 鮎川さん」
どこか挑発気味に結城は鮎川を見る。
「よろしいですか? これは僕か鮎川さんどちらかが公言しなければ話が進みませんよ」
鮎川は固唾を呑んで結城の口調に目を伏せる。
「これは君の方がバツが悪い話なのかな?」
三影が問う。しかし、鮎川はかぶりを振る。
「いえ、いいわ。あたしもあんまり黙りを決め込むのは辞めにするわ。そうね……じゃあもうひとりの部員、口止めされてるけど、居場所を話すわ」
どうやらここで話が進みそうな予感が見えた。
「まず、彼女は——」
切り出した鮎川の口元に多少の震えが見えた。
「結城君の言う通り、もうひとりの部員はこの世にいない——」
一瞬、静寂が場を支配した。
「ええ、これが口止めされてた第一の理由。故人の口止めだから言っていいのか少し迷ったけど、ここまできたら言わずにはいられないよね。ところで結城君、その事実は予め予想していた?」
「ええ、何となくそんな気はしていました。なんせ頑なに鮎川さん口からそんな話が出ないから不審に思っていましたので」
「ふぅん。で? この事実を結城君はどう捉える?」
「これで鮎川さんと僕、思い浮かんでいる人物が異なる事が明らかです。では、鮎川さんは誰を思い浮かべて、僕は誰を思い浮かべているんでしょうかね」
「いや——」と三影はここでもかぶりを振る。
「結城君が実はもうひとりの部員の事なんて知らないとなれば話は別になる」
「なるほど、根拠はあるのでしょうか?」と結城。
「そもそもだね。君は最近この大学に編入してきた。事情はわからないが、君は関西の人間ではないのかね?」
「ほう」と結城は顎を引いた。
「まず、君の口調からは我々の事を『三回生』と呼んでいる。しかし、我々は君の事を『一年生』と呼んでいる。つまり、地方が違う。ここ、東京の大学では『○年生』と呼ぶ人が多い。例外として関西出身の人は学歴を『○回生』と呼ぶ。つまり、君はこの大学の事をよく知らない筈だ」
もっともな意見である。結城自身、そこは癖で発言しまっていた。
「はい。確かに仰る通りです。僕は関西育ちで以前の大学も関西でした。それにこの大学に入ったのはほんの数日前です。となると、如何でしょうか? もうひとりの部員は僕の恋人という事はいささか無理な話ではありませんか。しかも、その部員は三ヶ月前に失踪しているのですから」
「では君の発言は嘘になるのかね?」と三影が訊いた。
「はい。もうひとりの部員、仮にXと名付けましょう。僕は存在など知りません。鮎川さんは最初から察しがついている筈です——」
「では——」
と結城は開口を切った。今まで浮かび上がった証言、それらを繋ぎ合わせる。
Xは謎の死を遂げている。そして三影と鮎川は白井部長という架空の存在を形成した。
「三影さん、白井さんという架空の人物を謳った理由をお話し出来ますか?」
結城の問いかけに三影は一瞬、身動きを止める。ひやりと走るものを感じたのだろうか、口を結ぶ。
「まぁ、どうしてもと言う訳ではありません。僕としては、その原因が三影さんと鮎川さん、ふたりの意見と同意していれば、それで構いません」
「どういう意味?」と鮎川。
「はい。問題なのはもうひとりの部員、Xの存在なのです。鮎川さんはXは既にこの世にいないと断定してます。でもですよ? 三影さんは知らない。そこで問題となるのは本当にそのXは存在していた人物なのか、という話に着目されます。一体鮎川さんの話、どこまでが本当なのか、それも疑うべきポイントです」
鮎川は不審な瞳で結城を見る。
「真相がわかったのじゃないの? 焦らしてないで話したらどうなの」
「ええ。そもそもですよ——」
一拍置いて結城は言う。
「僕は鮎川さんに依頼されてこの大学に来たのです」
静寂が場を混乱へ招く。鮎川の視線が下降していくのがわかる。
「依頼……?」
鮎川は頬を強張らせながら聞き返す。
「ええ、僕はこの大学の『鮎川』という人物に依頼されてここへ来ました。実は鮎川さんとは面識があります。つまり——」
「アナタではないのです」
ほぼ、確信とも取れる鮎川の仕草に結城は間髪入れずに三影の方を見やる。
「三影さんはご存知でしたよね? 目の前の人物が実は鮎川さんではない事を」
結城の尖った視線を受けても三影は動じる様子はない。
「ああ、君の言う通りさ。認めるよ。そこの彼女は『鮎川』ではない」
「早めに認めてくれて感謝します。では、鮎川さん? は認めてくれますか?」
彼女は落としていた視線を高くさせ、さらっと結城を見た。
「木碕よ。あたしの名前は。つまり、もうひとりのホラ研部員。行方不明のXの存在そのものがあたしと三影の嘘」
「そうですね——」と結城は唇に人差し指を指をあてがって静止するように促す。
数秒の感覚を空け「聞こえますか?」と囁いた。ふたりはその問いに首を横に振る。
「そうなんですよ、この部室、沈黙になると何も聞こえてこないんですよ。外部から洩れる音などは微かに聞こえるのですが、この室内は本当に静かなんです。本来聞こえる筈のある音も全く聞こえてこない」
結城は定規のように真っ直ぐな指の角度で壁時計をさした。
「あの時計、ずっと止まってますよね? 秒針の音が全く聞こえて来ないのです」
刻まれた時間は一五時十五分。そして、結城は二人に見えるように自身の腕時計を翳した。
そこには、十六時二十五分とある。試しに結城はポケットからスマホを取り出してみた。それも腕時計と同じ時刻を指していた。
「気付かなかった。ただの故障じゃないのかい」と三影が声を洩らす。
「いえ——。僕はただの故障とは考えていません。故意的だと思います」
「なんの根拠があるのだい?」
「よく見て下さい。あの時計、変だと思わないですか?」
三影は首を傾げながら壁時計へ近づく。まじまじとその容姿を眺めるながら顎を指に置く。
「結城君、特段変わったことは……いや——」
三影が時計版を弄っている最中、緩んだ額縁が床に落ちる。しかし、その音とは異なる別の音が聞こえた。
軽い文字盤と額縁の音と共にゴロっとした鈍い音が床に転がる——。
それは三影の目の前、壁時計の奥から流れ落ちた物だった。
三影は咄嗟に後方へのけぞり「わっ!」と少年のような奇声を上げた。
驚くのも無理はない。壁時計の中は円く数センチ奥が空洞となっており、やや斜めに傾いている。そしてそこから……
人間の頭部が滑り落ちてきたのだから——。
◇後編へ続く◇
作者ゲル
流石に一話構成ではボリュームが多すぎました。後編へ続きます。