これは数ヶ月前に実際体験した、ちょっとびっくりした話というだけで、別段怖い話という訳でもなく、オチもありません。
もし私と同じ地域に住んでる人なら、一度は見かけたことがあるかもしれない不思議な、というか不気味なおばさんの話です。
数ヶ月前、都市から地方へ帰ってきた時のことでした。
時間は夕方としか記憶していませんが、人の多い時間帯だったかと思います。
家路に向かうバスがある駅のバス停に向かい、時刻などを確かめてふと前を見た瞬間、「ん?」と何か違和感のようなものを感じました。
目の前には、白髪混じりのボサボサの髪を後ろで一つに束ねたおばさんが、バスを待っているような様子で私に背を向けて立っていました。
そこまでは別に普通なのですが、違和感の正体はすぐに分かりました。
おばさんは、明らかに外なのにも関わらず、室内用スリッパを履いていたのです。
服装は、少し汚れたブラウスに、風になびくヒラヒラした白いロングスカートを履いており、背中には黒い大きめのリュックを背負っていました。
チラッと横顔を確認した時に、眼鏡をかけているのが分かりました。
そしてなにやらブツブツと、独り言を言っているのが聞こえます。
私は最初、「老人施設から抜け出してきた利用者の方かな?」と考えましたが、それにしても様子がおかしいというか、そもそも施設から抜け出すことがあっても、職員の方に長いこと見つからない状態になるというのも考えられないな、と思いました。
そんな風にグルグルと思考を巡らせていると、おばさんの独り言がどんどん大きくなっているのが分かり、その言葉がはっきりと聞こえるまでになりました。
おばさんは怒った様子で、まるで見えない誰かがそこにいるような口調でしきりと、「○○ちゃんが乗るんだから、あんた達は次のバスに乗ってね!」「斜向かいのとこの娘さん乱暴したの知ってるんだからね!」「あんた達が殺したんだろ!」「道路に突き飛ばしたろ!」などと語気を荒げて言っていました。
その様子に周りの人も「なんだ?」とおばさんの方を見ていました。
いつの間にか私の前に割り込んでいた学生二人も「俺らに言ってんのかな?」とか戦々恐々としていて、私も学生と目が合った瞬間、首を傾げてみせるしか出来ませんでした。
そのバス停のすぐ横に交番があるのですが、いつそこに行こうかと迷う程に、おばさんは異様な雰囲気を醸し出していきながら、エスカレートしていきました。
というか、何故交番のおまわりさん達は誰も気づかないのか不思議でした。
それでもまだ、バスがくれば…バスに乗り込めばきっと大丈夫という思いを抱いて、その場は我慢というか、おばさんを観察しているだけに留めました。
おばさんは先刻から何度もバスが来ているにも関わらず乗ろうとしていなかったので、きっと私のバスも乗ってはこないだろう、という一縷の希望に縋り付くしかありませんでした。
そうしていると暫くしてバスが到着し、降りていく人に向かっておばさんが独り言を繰り返し、降りていく人もびっくりした表情でおばさんを振り返る、という光景を目の当たりにしながら、漸くおばさんとここで別れられる…と思った矢先、おばさんは真っ先にバスに乗り込み、席に着いてしまいました。
おばさんの待っていたバスが自分と同じバスだったことに驚愕し、落胆しました。
あと20分もおばさんと一緒にいなきゃいけないのか…と思った時、おばさんは何を思ったのか、「いいよもう、あたしが降りればいいんだろ!」とまるで空気を読んだかのように降りて、最後にはバスに向かって手を降っていました。
バスに乗り込んできた時点でもずっと大声でえげつないことを言っていたので、さすがに交番に行こうと思いましたが、交番に駆け込んだ時にバスが出発してしまったら…などと考えているうちにおばさんは降りてしまいました。
不思議なことに運転手さんは余り動じた様子ではなく、交番の人も出てこなかったのを見ると、もしかしたら珍しいことではなかったのかもしれません。
バスの中でびっくりしていた老夫婦とまた目が合った私は、「なんだったのかしらねえ」と言われて苦笑いし返すことしか出来ませんでした。
つくづく情けないとは思いますが、人間びっくりするとこんなもんなのだな、というのを身をもって体験することとなりました。
後日談ですが、先日も通い先の道路沿いをブツブツ言いながら歩いている姿を、二度程目撃しました。
一度目は雨の日で、傘を差してあのスリッパのままで、けれど服装はあの時と同じではなかったと思います。
二度目は忘れてしまいましたが、違うスリッパを履いていたように思います。
ということは、どこかに帰る場所があるということなのでしょう。
同じ通い先の人も一度、駅のホームで同じような人を見たことがある、と言っていました。
振る舞いや言動、服装やら髪型やら、極めつけはスリッパまでが同じということで、恐らくその人に間違いはないでしょう。
けれど、ホームに出られるということは、切符を買うことは出来るということです。
ただの頭のおかしい人なのかどうか分かりませんが、ただそういう人は、私達が認識出来ない世界に行ってしまった人なのだな、と少し薄ら寒く、けれど少し儚くも感じました。
人間の心はいつでも、どんな世界にでも飛び立つことが出来るのが、恐ろしくもありまた幸せなことでもあるように思います。
ここまでお読み下さりありがとうございました。
怖い話投稿:ホラーテラー 真夏の太陽さん
作者怖話