――行きたくない……。
その思いは、家に近づくにつれ、段々強くなってきた。
冷や汗が背中を伝う。
「もうすぐよ。その角を曲がったら」
曲がった瞬間、
A子はビクンとした。
――あれだ……。あの家だ。
家が整然と立ち並ぶ中、どれかと言われなくても分かった。
車を降り、家の前に立つ。
――いやだ……。入りたくない……。
あの小3の時の恐怖が蘇った。
――これは……。ヤバイ。
「さっ、どうぞ」
B子が玄関のドアを開けた瞬間、
ドッと中から風が、というか、
圧力が弾けた。
「フツーのひと」には感じられない感覚だ。
居間、仏間、台所、トイレ、風呂、そして2階と見て回る。
ざわざわと悪寒が走る。
ガンガンと頭痛がする。
2階に3部屋あるうちのひとつに入った瞬間、
――ここだ……。
窓際のソファに誰かがうずくまっているのが見えた。
深く頭を垂れて腰掛けている。
【それ】がそろそろと頭を上げる。
――見てはいけない……!
足が動かない。
目も逸らせない。
冷や汗がこめかみを伝う。
ガンガンガンガン……キーキーキーキー……ガーガー……キャーキャー……ぐわんぐわん……
耳元でうるさく雑音が鳴っている。
【それ】の顔がだんだん上がってくる。
【それ】の顔が見え……。
――顔を見てはダメだ……!
必死で念じる。
呪縛が解けた。
すぐに目を逸らす。
「A子さん、大丈夫?!」
「下へおりましょう……」
「顔が真っ青よ……! 大丈夫……?!」
「ええ……。 とにかく外へ出ましょう……」
「おうちまでお送りするわね」
「ええ、助かるわ、ありがとう……」
外へ出、車に乗り込もうとして、ゾクッ……とした。
首筋に視線を感じる。痛いほどの。
恐る恐る家を振り返り、視線を巡らすと、
2階の、先ほどの部屋と思しき窓から、人影がじぃっとこちらを見下ろしている。
黒い影だけで、顔は見えない。
身体を貫くように、また悪寒が走る。
A子はやっとの思いで視線を断ち切ると、車に乗り込んだ。
車に乗り込むと、ぐったりとシートに沈み、
目を瞑る。
心の中でまじないを唱え、拾ってきた小さなモノを祓う。
家から遠ざかるにつれ、
だいぶ気分が良くなってきた。
「A子さん、具合はどう……?」
「ええ、もうだいぶ良くなったわ……」
「……、やっぱり、あの家……、何かいるのね……?」
「……ええ……。それもかなりのが……。わたしがどうにかできる次元のモノじゃないわ。
すぐに引っ越さなきゃダメ」
「そうなの……。わかったわ、主人と話してみる」
「うん、すぐに、早くね」
「わかった……。さあ、A子さんのおうちに着いたわ。今日はごめんね、ありがとう……!」
「送ってくれてありがとう」
A子は、そのまま家へ入らず、
真っ直ぐサキの家へ向かった。
A子が玄関の前に立つと、ドアが開き、サキが立っていた。
「なんかひどいのに会って来たねぇ」
「うん……」
「あれはダメだよ。どうにもできない。関わっちゃダメだよ」
「うん……。わかってる……」
「さ、とりあえず上がって」
A子は、家に上がると、居間のソファにぐったりと身体を横たえた。
「ほら、これ飲んで」
A子は身を起こした。
「なに? お湯?」
「飲んでご覧」
「……しょっぱッ……!」
「うん、お湯に塩を溶かしたものさ。体の中からも清めないとね」
「そうなんだ……」
「ほら、これ持って行きなさい」
サキはエプロンのポケットから何かを取り出して、
A子へ手渡した。
「……いし……?」
「うん、そう。 お守りだよ。 なるべく身につけて、眠る時は握って眠りなさい」
「うん、わかった。ありがとう」
「あの家へはもう行ってはダメだよ」
「うん……。でも、B子さんはどうなるの?」
「どうにもできないよ、あそこにいるうちは」
「そっか……」
「絶対行っちゃダメだからね」
「うん」
「さ、早く帰ってゆっくりしなさい」
「うん。ありがとう」
A子は、サキの家を出ると、
家へ帰り、風呂へ入り、食事もしないまま布団へ入った。
「いし……。石を握って眠らないとね……」
フト気づくとA子はあのドアの前に立っていた。
――開けてはいけない……!
その意志とは裏腹に、A子はノブに手をかけてしまうのだった。
そして、ドアを開くとやはり、窓際のソファには誰かがうずくまっている。
あの時と同じように……。
そして、【それ】は、ゆっくりと顔を上げる……。
――顔を見てはいけない……!
そうは思うのだが、
やはりあの時と同じように、
体はまったく動かず、視線すら動かせないのだった。
そうしているうちにも、【それ】は徐々に顔を上げ……。
――顔が見えてしまう……!
「いやぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!」
叫んで目が覚めた。
A子は自分のベッドに寝ていたのだった。
「ゆめ……」
手にはしっかりと石を握りしめている。
それ以来、
A子は毎晩その夢を見るようになった。
――眠るのが怖い……。
反面、
あれは誰なのだろう、という思いは常にあった。
見てはいけない、でも見たい、と。
B子はというと、
サキの口添えもあり、早々と引っ越した。
引っ越してしばらくしてから来た電話でB子は、
「やっぱり家のせいだったのね……。
実は、主人との仲もうまくいってなかったんだけど……、引っ越してからはなぜか、なんでそんなに二人とも神経質になっていたんだろうねー、ってお互いに話して。
体の調子も良くなくて、気が晴れる日はなかったんだけど、いまは毎日が楽しいわ!
本当にありがとう!
サキさんにもよろしく伝えてね!」
と。
にも関わらず、A子の毎晩の悪夢は終わらないのだった。
サキはそんなA子の気持ちを見透かしたように、
A子の顔を見るたび、
「あの家へは行っていけないよ」と言い、
「なぜ?」と聞いても、
「行ってはいけないよ、絶対に」としか答えないのだった。
――あれは誰なのか……。
こんなにもひとに害を与え、
自分を苛むあれは誰なのか。
何者なのか。
ついに、A子は、
もう無人となったその家の前まで行ってみた。
来てしまった、と言うほうが正しいのかもしれない。
気づいたらその家の前にいた。
――どうせ入れるわけがないんだし。
と思った瞬間、
バタン!!
玄関のドアが開いた。
――入ってはいけない。
それでもやはり、
その気持ちとは無関係に体が勝手に家の中へ入っていくのだった。
何かに導かれるように、あのドアの前へ。
夢で何度も見たあのドア。
あれ以来毎晩見たあの見慣れたドア。
――開けてはいけない。
いつも通り、
その思いを差し置いて、
手はノブへかかり、
ドアを開けるのだった。
そして、やはり、窓際のソファには誰かが。
【それ】がゆっくりと顔を上げる。
――見てはいけない……。
――でも……。今日は見るんだ……! そのためにあたしは今日来たんだ……!
【それ】の顔が見え……そうに……。
いつもならここで目が覚めるが、
今日は夢ではない。
――しっかりと、気を確かに。 何を見ても動揺しないように。
自分に言い聞かせ、
【それ】を注視する。
【それ】の顔が上がりきった。
窓を背にしているので、
逆光になってよく見えない。
口許が見えた。
歯が見える。
口を開けているのだ。
いや、笑っているのだ。
ニヤニヤと。
視線を上へずらす。
――え……。
――これは……。
「いやぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!」
A子は崩れるようにその場に倒れた……。
――……、っという話。
――え? で? それで、【それ】は何だったの? 誰?
――A子さんはそれからどうなったの?
――A子さんはそれでちょっと気が変になってしまったらしいよ。
――で、【それ】は?
――【それ】はね……。
――当のA子さんがそういう状態だから……、きちんとした話は聞けなかったみたいだけど……、その後のA子さんの言動から察するに……、
――察するに……?
――【それ】は「A子さんそのひと」だったのではないか、と……。
――……。
――あーあ、聞いちゃったねこの話。ヤバイよー。
――エッ……?! ヤバイって何が……?!
――……夢みるよ……。
――……、ってなんの……?!
――だから、A子さんが毎晩見た、っていうあの夢。
――えええええええっ!! いやだよ、そんなの!
――だから最初に言ったじゃん、聞くとヤバイよ、って。 それでもいいって言ったじゃん。
――だって……。
――泣くなよ……。
――まあ、俺は少なくとも大丈夫だから。
――え、なんで?!
――石を握って眠ってるから。
――……、っていまも……?!
――ああ、もちろんさ。
――この話、聞いたのいつ?
――……三年前。
っと、いうわけでわたしも、
飼っていた犬の形見の石を握って眠っているのでした……。
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※冒頭から最後まですべて創作です。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話