『こんな日が来るなんて、わたし信じられないわ』
妻が言った。
それはそうだ。
不妊治療を始めて7年。諦めかけたこともあった。
虐待死のニュースを見るたびに
(なぜ私たち夫婦に子どもが授からないの?)
と嘆いたこともあった。
そんな私たちのもとへ、待望の赤ちゃんが誕生したのだ。赤ちゃんは妻を母親に、私を父親にしてくれた。
これ以上の幸せがあるだろうか?
いつまでだって見つめていたい。だが名残惜しいが仕事へ行く時間だ。
『……そろそろ仕事へ行って来るよ。お父さんが居ない間に、あんまり可愛いことするなよ。できるだけ早く帰ってくるから』
可愛い娘のほっぺに触る。
妻は笑って
『そんなこと言ってないで、いってらっしゃい。あなたが居ない間は私がこの可愛い天使を独り占めよ』
と言った。
娘を抱いた妻が玄関まで見送ってくれる。
『今日は5年ぶりに会う友だちがうちに来てくれるのよ』
妻は嬉しそうだ。
『そっか。じゃあゆっくり楽しんで。たっぷり可愛い天使を見せてあげて』
――――――――――
午後1時。
5年ぶりにN美が遊びに来てくれた。
N美は不妊治療の末、5年前に出産した先輩ママだ。
『ほんとに可愛い赤ちゃんね。目元がご主人そっくりだわ』
N美がそう言って娘を抱っこしてくれた。
『ありがとう。N美が5年前に出産したとき、自分のことのように嬉しかった。……でも悔しい気持ちも正直あったの。でも今はN美の気持ちが分かる。私も母親の気持ちがやっとわかったの』
そう言うと、N美は微笑んだ。
『そうね。わたしは出産をして、幸せを噛みしめたわ』
そしてN美とわたしは昔話に花を咲かせ、あっという間に時間がたった。
『あら、もうこんな時間? そろそろご主人も帰ってくるわね。わたしも娘に花を買っていかなくちゃ』
N美が立ち上がる。
『あぁ、そう言えば今日だったわね。早く行ってあげて。凄く喜ぶわ』
また会う約束をしてN美は帰って行った。
――――――――
『ただいま』
自宅へ帰ると家の中は真っ暗だった。
おかしいな。友だちと出かけたのだろうか? それとも疲れて眠っているのだろうか?
リビングへ行くと、暗闇の中に妻がいた。
『なんだ、居るんじゃないか。どうしたの、電気もつけないで』
スイッチを入れると妻が振り返った。
『今ね、幸せを噛みしめてるの』
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話