八岐大蛇

八岐大蛇(ヤマタノオロチ)とは8つの谷、8つの峰にまたがるほど大きな蛇である。
8つの頭と8本の尾を持ち、目はホオヅキの様に赤く、背中には苔や木が生え、腹は血でただれている。好きなものは酒。
八岐大蛇は「洪水の化身」などと、解釈されることがある。
具体的には「腹は血でただれている」様相について、砂鉄(鉱毒)で川が濁った様子を表すとする説がある。
たたら吹き(鉄を得る手法)には大量の木炭を必要とする。
そのため、上流の木が伐採しつくされた結果洪水が起きたことを表すともされ、実際に島根県斐伊川流域はたたら吹きによる土砂排出によって天井川となり、度々洪水を起こしている。
洪水後には蛇の鱗を思わせる砂洲(鱗状砂洲)がいくつも現れるため,これが大蛇として神格化された、などといわれる。
洪水と言えば人にとって災害であるが本来、八岐大蛇は山神または水神であることから、八岐大蛇を祀る民間信仰もある。
須佐神社には、八岐大蛇の骨とされる物が納められている。
後に紹介する逸話から、オロチは水を支配する竜神を、クシナダヒメは稲田を表すとみなして、毎年娘をさらうのは河川の氾濫の象徴であり、オロチの退治は治水を表している。
また、オロチが毎年娘をさらったことは、毎年一人の処女が生贄にされたことを表し、治水の成功によりその風習をやめたことを表す、などとされる。
八岐大蛇で有名な逸話は古事記にある須佐之男命(スサノオノミコト)に退治される話である。
須佐之男命は、高天原を追放され、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(奥出雲町鳥上)にやってきた。
上流へ向かうと、美しい娘を囲み、泣いている老夫婦がいた。
その夫婦は大山津見神(オオヤマツミ)の子の足名椎命(アシナヅチノミコト)と手名椎命(テナヅチノミコト)で、美しい娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)である。
夫婦の娘は元々8人いたが、年に一度、高志から八岐大蛇がやって来て娘を食べてしまう。
今年も八岐大蛇の来る時期が近付いたため,最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと老夫婦は泣いていた。
須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に、八岐大蛇退治を請け負う。
まず、須佐之男命は櫛名田比売を身を守るために櫛に変えて、自分の髪に挿した。
そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くよう命じた。
待っていると八岐大蛇がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込み酒を飲み出した。
八岐大蛇が酔って寝ると、須佐之男命はすかさず十拳剣で切り刻んだ。
剣が尾にさしかかった時,何かが刃先に当たり、見ると尾の中から大刀が出てきた。
須佐之男命この大刀を天照御大神に献上した。
これが「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」である。
八岐大蛇を無事退治し、須佐之男命は、出雲に櫛名田比売と住むための宮殿を造った。
宮殿を作る最中、雲が立ち 上がった様子を見て、須佐之男命は歌を詠んだ。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」
これは、日本で初めて詠まれた和歌として神話に残されている。
八岐大蛇は須佐之男命に退治されたとされるが、八岐大蛇が滅んだわけではないとしている神話・エピソードは数多い。
たとえば、平安時代に有名となる酒呑童子を、「須佐之男命に退治され逃げてきた八岐大蛇と驢馬の子供である」とする説などである。
『平家物語』では第八十代天皇である安徳天皇を八岐大蛇の生まれ変わりだと説いている。
また、壇ノ浦で平氏が御年八歳の安徳天皇と 共に海に身を投げた際、天皇の証である三種の神器も海に沈んでしまうのだが、このうちの天叢雲剣について「八岐大蛇が剣を取り返しに来たのだ」とも 説いている。

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