聖徳太子の地球儀

聖徳太子の地球儀とは日本で発見された最も有名なオーパーツのひとつである。
超能力者であったという説もある聖徳太子が作ったと言われ、西暦606年に聖徳太子開基の兵庫県の斑鳩(いかるが)寺に伝わる。

いびつではあるが手のひら大の球形の地球儀であり、陸地は凸、海洋は凹の立体的な石製レリーフの丸い地球儀であり、「地中石」とも呼ばれている。
聖徳太子が存在した時代にはまだ地球が丸いという概念もないころである。

さらに驚くことに地図上には南北アメリカ大陸やアジア、アフリカ大陸が描かれており、1800年代に発見された南極大陸も含め正確に配置されているのだ。
そしてその地図の太平洋上にはいまだに謎が残る1万年以上前に太平洋に沈んだとされる「ムー大陸」らしき大陸も存在している。
ここから考えられるのは聖徳太子は地球が丸い球形であること、このムー大陸が存在していた頃に南北アメリカやユーラシア大陸などが位置していたということをなんらかの能力で知っていたということになる。

またこの地球儀にはまだその存在が知られていなかった南極大陸の位置に「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」と書かれていた。
文字を紙に書いたものを埋めこんであるので、地球儀ができた後に書き足されたものではないことがわかる。
聖徳太子が超常的な能力をもってこの地球儀を完成させたこととなり、超能力者であったという伝説がにわかに真実味を増した。

このように謎の多い不可思議な「聖徳太子の地球儀」であるが、実は聖徳太子によってではなく江戸時代に作られたものではないかという説が有力視されている。
18世紀頃にヨーロッパで作られた世界地図には当時未発見であった南極大陸の位置にマゼランにちなんだメガラニカという大陸名が表記されており、江戸時代の日本では
こヨーロッパから学んだ世界地図が製作され、この地図にも南極大陸はメガラニカと表記されているのだ。

以上のことから、この地球儀は江戸時代に日本で最初の百科事典を編纂した寺島良安という人物が作成したのではないかと言われている。
なぜかというと、その江戸時代の百科事典「和漢三才図会(1712年)」に書かれている「山海興地全図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致しているのだ。
最新の科学技術を用いてこの地球儀を分析した結果、この聖徳太子の地球儀は聖徳太子が存命していたころではなく江戸時代になって作られ斑鳩寺に奉られたという仮説が導かれ現在もこのように推測されている。

しかひとつ気になる点が残っている。この聖徳太子の地球儀には先ほど述べた「ムー大陸」らしき大陸が描かれてていることだ。
「山海興地全図」にムー大陸は描かれていない。
太平洋上に1万年以上まで存在していたというムー大陸の概念が初めて知られるようになったのは、1931年にジェームス・チャーチワードが著した「失われたムー大陸」という書物が発刊されてからである。
寺島良安がこの地球儀を作ったならば、なぜそこに200年後まで知られることのなかった「ムー大陸」を太平洋上に位置付けて表すことができたのかという疑問が残る。
この地球儀は江戸時代に作られたという仮説自体にまだ解明できない問題点が残り、すべての謎は解き明かされていない。

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