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魚が人間に変身したり、池や川の主という伝承は、各地に残っている。特に岩魚(イワナ)は、僧形として顕現するなど、様々に言い伝えられて来た。岩魚が僧に身を変えたイメージを、岩魚坊主とも呼ぶ。
長野で、湯泉地の近くに寺があった。村人が捕まえて来た大きな岩魚を見せに行くと、住職は、この岩魚は山の主だから、無駄な殺生は止めて、逃がすように教えさとした。しかし、住職のいさめる言葉に背き、村人は岩魚を料理して食べてしまった。住職が経文を誦すと、今まで湧いていた湯は濁った水になり、たくさん生えていた藤も枯れて、挙句は、魚が一匹もいなくなってしまった。住職が、岩魚の化身だったのだろう。
岩魚坊主の伝承は、岐阜にもある。旅の僧が訪ねて来て、経を上げてもらった。しかし突然の訪問だったので、もてなしの食材に事欠き、麦団子を汁に入れて、僧に食べさせた。この精進料理を賞めた僧は、無駄な殺生を強く戒めた。後日、隣人が、1尺以上もある立派なの岩魚を得て、腹を割くと、その中に麦団子を見付けて驚く。岩魚が僧に化けていたと、人々は後悔した。
似たような話が同じ岐阜の、霧茂谷に伝わっている。獲った岩魚を持ち帰ると、妻が泣いて岩魚を逃がすように頼んだ。岩魚を放すと、妻は姿を消してしまう。その夕暮れ、本当の妻が里から帰って来た。岩魚の精が、妻に化けていたのだ。
このように、岩魚は人間に変身することが多かったようだ。飛騨高山に、渦を巻く淵があり、そこには大きな岩魚が淵の主として棲んでいた。村の美しい娘の元に、頻繁に優男が通って来る。しかし、娘の母親は、男を怪しんでいた。そこで、男に麦の焼きモチを食べさせて、こっそり糸を通した木綿針を男の着物に差しておく。帰った男の後を追い、糸をたどってみれば、淵に大きな岩魚が浮いて、苦しんでいた。モチが腹の中でふくらんだのだ。正体を見破られた岩魚は、母親に許しを乞うたという。
食べさせた料理から岩魚と判明する物語は、珍しくなかった。笹モチを作って端午の節句を祝っていると、旅の僧が姿を見せた。僧は、家々を訪れ、モチを村人から托鉢して回った。翌日、釣りに出かけた村人が大きな岩魚を捕え、やはり腹中のモチを発見する。この事件があって以来、笹モチを作らなくなったという。
実は、岩魚は笹葉より生ずるという伝承があった。「碩鼠漫筆」にも、飛騨では、岩魚が元々は小竹の実であり、枝に付いている時は篠魚と呼ばれると、書いてある。
この説話に、岩魚の崇りが付け加えられることもあった。奧多摩の聖滝で、毒を流し、一度に多くの魚を獲る計画が持ち上がる。ある少年が現われて警告したものの、握り飯を与えて追い返した。漁は敢行された。夥しい岩魚の中に、一匹の大岩魚がある。腹を裂くと、飯粒が一杯出て来た。この後、漁に参加した人々は、腹痛に苦しむことになる。岩魚の報復だったのだろう。
更に、変身譚にバリエーションが見られる。仙台で、山伏の娘が、山に山菜を取りに行った。昼食に岩魚を釣って食べると、喉が焼けるように渇いて来る。苦しさの余り、腹ばいになって水を飲んでいる内、身体に異変が起きる。娘は龍に変身してしまったのだ。龍は、山を崩し谷を埋めて田沢湖を作り、自身が主になり、湖を支配したという。秋田にも、類話が存在する。奥瀬山に入った猟師が、雪溶け水に泳ぐ岩魚を食べた。喉が渇いた猟師が、持っていたワッパで水を飲んでも足りず、結局、その身が蛇と化す。大蛇は、十和田湖に飛び込み、主となった。