1989年11月から翌年5月にかけてベルギーで起きたUFOフラップ(集中目撃)。2,3人があちらこちらで見たという話ではない。あるときは同時に100人が目撃しているし、この期間の目撃者を合計すると何と1万人以上にものぼるのだ。そのなかには憲兵隊員や警官、軍関係者や学者など信頼のおける人々も含まれ、見間違いや悪ふざけと疑う余地はほとんどない。
特に多く目撃されたのがライトをつけた三角形のUFO。ほかにも、円盤型、球形、菱形、ブーメラン型などのレーダーが謎の飛行物体を捉えるに至り、ついには戦闘機が緊急出撃する事態にまで発展した。
多くの国々が隣り合うヨーロッパでのこと、UFOの出現はベルギーだけにとどまるものではなかった。ドイツ、オランダ、ポーランドからフランス、イギリスなどでも目撃騒動が巻き起こったのだ。特にフランスでは1990年10月に数カ所で目撃事件が起きたあと、11月5日の夕方7時ごろから各地で本格的なUFOフラップが発生。翌日から「ユーフォロジー国際データバンク」が収集した目撃証言は、約400件にものぼった。そのうちの161件がスケッチつきでUFO雑誌に掲載されており、信用度が高いと考えられる。
この11月5日のUFOフラップについて、フランスの宇宙センター内の機関、大気圏再突入現象評価局(SEPRA)は、ソ連(当時)のプロトン・ロケットの残骸だと公式発表。2日前に通信衛星の打ち上げに使用された液体燃料ロケットの第3段部分が落ちてきただけと説明した。だが、「ユーフォロジー国際データバンク」などのUFO研究家たちによる調査により、目撃された場所や角度、時間などが食い違う証言が続出。この日はベルギーやオランダ、ドイツでも目撃事件が起きており、UFOフラップであった可能性は否定できない。
フランスがUFO飛来を否定する公式見解を出したのとは対照的に、ベルギー空軍はなんとUFO撃墜に失敗したと認める報告書を出した。UFOフラップを政府が公式に認めた初のケースだ。それは1990年3月30日の深夜から翌日未明にかけての驚くべき追跡劇だった。
空軍にUFO目撃の第一報が入ったのは23時。地上のレーダーで識別不能の物体が次々に確認され、日付が変わるころ2機の戦闘機が緊急出動した。戦闘機のレーダーがUFOを捉えるに至り、ミサイルでの撃墜を試みるが、UFOは不可能なほどの急降下と急上昇、急加速を行い、姿を消してしまう。ミサイルの自動追尾のロックオンに必要なわずか6秒も標的を補足していられず、逃がす結果となったのだ。その急加速で乗員にかかる重力は推定40G。人体が破裂するほどのものだった。
その後、戦闘機のレーダーはUFOの姿を再び捉え、2度はミサイルをロックオンしたが、妨害電波を受けたり、急加速されたりして発射はできず、見失ってしまった。必死の追跡もむなしく、戦闘機2機は1時すぎに帰還。未明までさらに2度も緊急発進したが、同じように逃げられて終わったのである。
この事件に関する空軍の報告書は、民間のUFO研究団体SOBEPS(ベルギー空間現象研究協会)の働きがけが実を結び、共同で作成された。UFOを捉えたレーダーの映像も公開され、世界に衝撃を与えた。レーダーで捉えられた光体はロケットや人工衛星の残骸、気象観測用の気球、電磁的な気象現象をレーダーが記録したとする説などあったが、いずれも否定されている。
では、地上で生まれた秘密兵器の可能性はあるのか。米軍のステルス機の性能をはるかに超えていたことはベルギー空軍が認めているが、その先をいく最新営戦闘機となれば話は別だ。米軍がUFOから得たデータを利用して秘密裏に開発した戦闘機とする説は根強くある。
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