日本から直行便で約6時間半。南太平洋に位置するパプアニューギニアは、地上最後の楽園と呼ばれ、手つかずの自然とマリンスポーツ、そして500以上の民族が織りなす個性豊かな民族文化が売りの世界第二の大島である。また、19世紀の植民地主義時代にはオランダ・ドイツ・イギリスの支配下に置かれ、太平洋戦争では過酷な戦場のひとつとして数えられた。そんなパプアニューギニアであるが、1953年〜59年の間にUFOが頻繁に出現し騒動になったという。ここではその中でも特に知られた、1959年のいわゆるパプア事件(ジル神父事件)にスポットを当ててみたいと思う。
事件の舞台はボイアナイ村。パプアニューギニア島東端、パプア地区のグッドイナフ湾に面した小さい村である。1959年6月21日、パプア人牧師であるスティーブン・ジル・モイがコーヒー皿をひっくり返したような形の飛行物体を目撃した。ちなみにこの人物はジル神父とは別人である。その五日後、26日に同じ場所でオーストラリア人宣教師のウィリアム・ブース・ジルがUFOを目撃したが、なんとそのUFOショーは4時間もの間続いたということである。目撃者は総勢38名にも上り、ジル神父はその間メモやスケッチを残していることから、UFO存在の信憑性をより確実なものにしたことは間違いないとされている。
ジル神父が残したメモについて詳細に見ていくと、午後6:45に北西方向に明るい白光が見えたことから始まり、青い光に囲まれた4名の乗務員を確認。一旦UFOはその場を去るものの、8:28に今度は海上に再び登場。UFOの数は増え、合計4機。更に母船だろうか、より大きいUFOまで現れた。9:30には雲の彼方に消えたが、9:46再々出現。10:50まで滞空を続けたとのことだ。メモは11:07土砂降りで終了している。同時に記録されたスケッチには38名中25名の署名が入れられた。
翌日27日にもUFOは目撃される。午後6時頃、パプア人看護師がジル神父の元へUFO出現の報告をしたのが始まりである。UFOは前日は高度2000フィート(約610m)にとどまっていたが、今回は300~500フィート(約90~150m)まで降下。計3機のUFOがいたという。そしてまた乗務員と思われる人影が確認されたので、ジル神父が挨拶代わりに手を振ると、なんと乗務員のひとりが手を振り返してきたとのことである。その場にいたもうひとりの見物人が両手で手を振ると、今度は4人全員が手を振り返してきた。こうした交歓を数分間繰り返した後、UFOは消え去ったという。後刻ベッドで休んでいたジル神父はものすごい爆発音を聞き、すぐさま外に出て確認したが何も見当たらなかったとのことである。ボイアナイ村の騒動はこれで収束したが、その後も6月〜8月にかけてグッドイナフ湾各地から60ものUFO目撃情報が寄せられたとのことである。
アメリカ空軍はこの事件に関して、光体は木星・土星・火星であり、勘違いであるとの見解を示している。当時の西の空を再現してみると、確かに7時には金星と火星が確認できるが、9時には共に沈んでしまう。木星も天頂付近にあるのでつじつまが合わない。乗務員に関しての言及もなかった。また、ジル神父が普段かけているメガネをこの時は使用していなかったとの説もあるが、ジル神父はメガネをちゃんとかけていたのが確認されている。
こういった事態がおこると、政府の発表はそれなりの理由をつけて「あれはUFOではない」となるのがもはやお決まりとなってしまっている。UFOと認めてしまった後の影響は計り知れないものではあるだろうが、こちらとしては到底納得できるものではない。これが政府の常套手段なのである。
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