日本でも数多く目撃されているUFOだが、その多くは集団ヒステリーやパニックによる幻覚とされ、多くの映像は作為的に作られた偽物であるという見解が一般的だ。

しかし、実は近年に入り、こうしたUFOを最も多く目撃しているのが航空自衛隊のパイロット達であるという事実が発覚したのである。

これは元航空自衛隊のパイロットでもあり、現在は軍事アナリストとしても知られる佐藤守氏の著「実録 自衛隊パイロットたちが接近遭遇したUFO」によって明らかになった。
この本では、本来その存在の目撃談すら許されない虚空自衛隊の精鋭パイロット達を丁寧に取材し、かれらが目撃した幾多UFOの存在を記録したノンフィクションである。この本は日本のUFO業界のみならず、おおくの人々に衝撃を与えた。

なにより、この本を記した佐藤守したただのパイロットではなく、青森県三沢基地司令官 や宮城県松島基地司令官まで歴任したエリート中のエリートであり、このような人物がUFOの存在を主張した事は大きな波紋を呼んだ。

その本の中では、自衛隊の中ではUFOの存在はもはや暗黙の了解であり、それらを見て上官に報告してはならないとされているようである。

だが近年に入り、そのように歴史から消された自衛隊のUFO事件の中で、唯一そのUFOと交戦したという証言が飛び出したのである。

この事件を取材したのは米国通信社のR.リチャード・ドレイバー記者。彼は、とある自衛隊の墜落事故によって死亡した中村空佐と、その 同機に乗船し生還した自衛官 久保田四朗3等空佐の公務証言を聞き出す事に成功。その後、「UFO Report 1978」3月号にその証言が掲載される事となり、この事件の驚くべき真相が世界中を席巻したのである。

事件が起こったのは1974.6/9の夜に国籍不明機が領空に接近。スクランブル発進がかかり、茨城県の航空自衛隊百里基地所属の中村登志雄(42歳)2等空佐の操縦するF-4EJファントム戦闘機が離陸した。
所が、離陸後1機がトラブルで引き返した直後、GCI(管制室)から今回の発進が実は領空侵機が原因ではないという突然の説明を受ける。驚く中村空佐と久保多空佐の耳に届いてきたのは、地上で数十人に目撃され、ついにレーダーにも捕捉された発光する未確認飛行物体の確認を行えという驚くべき命令であった。
その後F-4EJは高度9000メートルを飛行中、ついに直径10メートル近くのオレンジ色の楕円形物体を目視で確認する。その後、闇雲に機体をUFOに突進させたがUFOは回避した。だがその直後、UFO回避運動をやめ、いきなりF-4EJに向かって突進してきたという。中村空佐は即座に回避運動をしながら、GCIに無線で報告。しかし無線報告を終えた途端、UFOが再度突進し機体と接触、この衝撃によりF-4EJは墜落した。この時、パイロットであった中村空佐は死亡。残る久保多空佐も負傷したが、なんとか生き残ったのである。
しかし、この事件は防衛省によって隠される事となったのだ
しかし、久保田空佐は 次のように公務証言をした。
  「UFO宇宙船を追跡して思ったことは 非常に高度に発達した知性と文明をもつ生物が 操縦していると確信しました」
この証言と共に、米国通信社による記事が発表されるやいなや、その反響は世界中に広がった。そのため、ついに防衛省と政府は事件を認めざるおえず、事件当日にスクランブル発進した事や、墜落事故によって中村空佐が死亡したこを発表した。

だが、UFOとの遭遇については否定。いまもなお、この事件はただの墜落事故とされており、今もなお、生き残った久保多空佐の無念は晴らされていない。