この事件は東京大学海洋研究所・海洋水産資源センターが運用する漁業調査船『開洋丸』が、二度にわたって謎の飛行物体と遭遇した事件である。

この事件はのちに日本の科学雑誌で公表され学会で騒ぎとなり、一般紙面でも取り上げられる事となった。

初めの遭遇は1984年12月18日、南アメリカ大陸の南端の大西洋上のフォークランド諸島周辺であった。

開洋丸が周辺を北進中、午前0時を過ぎ、夜間になり見通しが悪くなった周辺を監視していた航海士が、オリオン座付近から東へと移動する不審な光源を発見。光源は星にして2等星程であり、ふらふらと泳ぐように夜空を飛んでいたという。
この光はなぜか10分おきに出現し、計8回も同じ地点に出現したとされる。そのうち、4回は右へ、2回は下、2回は上へと速度をあげつつ消え去ったとされる。
この謎の光源の連続出現によって船は騒ぎになり、就寝中であった農学博士・永延幹男氏も操舵室でこの光源を目撃した。

すぐに博士はこの光源の出現した地点の計測に取り掛かり、午前0時には南緯53度45分8秒、西経64度37分0秒に出現、1時42分には南緯53度25分5秒、西経65度00分9秒に現れたと結論付けた。

その後、2度目の遭遇を果たしたのは2年後の1986年12月21日、ミッドウェー島の西側に位置するウェーク島付近で遭遇した。

自国は午後6時前後、操舵室にいいた2等航海士らが北の方角5kmに、巨大な楕円形の物体をレーダーが補足したのを確認した。双眼鏡で確認するも、目視での確認はできなかった。

だが、これだけではやはり今回も終わらなかった。
その後、夜10時30分頃、当直を交代した三等航海士と甲板員ら3人が、再びレーダーに巨大な楕円形の物体が写るのを確認。その全長は300mもあったとされる巨大物体。すぐさま再び双眼鏡で確認するが、その方向には何も確認できなかった。

その後、レーダーに映った巨大物体は、開洋丸の周りを警戒するように数度周回、そして、突然直角に角度を変えて船に突進しはじめた。
驚く船員たちは慌てて回避運動を開始。しかし、それも間に合わずあわや衝突かと思われた瞬間、物体は異様な鋭角で方向を転換し、はるか彼方へと去って行ったのである。
このときの速度は、後に計算で得られ、時速はマッハ4(4900km)強という通常考えられない速度であった。

さらにその後。11時10分頃には、UFOの衝突騒ぎも尾張、一人でレーダーを見ていた甲板員が、今度は船の背後に突然楕円形の巨大物体現れたのを見た。
慌てて他の船員に連絡し、デッキからUFOの姿を探したが、相変わらず姿は見えず、またもやUFOは船に衝突寸前でレーダーから消える。そして甲板員が「ぶつかる!」と叫んだ瞬間、UFOが真上を通り過ぎた刹那、衝撃も振動もなく、物体が風を切り裂くかなり高い轟音が鳴り響いたた。その直後、前方には巨大な赤と黄色の強い光が浮かぶを見たとも言われている。

これらの事実は、初めの目撃時に乗船していた永延博士が目撃者からの聞き取りを行ったのち、科学専門誌「サイエンス」1988年9月号)に奇行。表題を「調査船『開洋丸』が遭遇した未確認飛行物体の記録」として世間に発表される事となった。

こうして開洋丸のUFO目撃事件は世を騒がせる事となった。一番に、これらの目撃談がすべて科学者がまとめ、科学専門誌に掲載されたという事実が衝撃的であったといえる。当時からすればUFOなど眉つばであり、科学者が扱って良い題材ではなかったからである。

また、当時この海域で演習を行っていた米軍などの新型兵器の実験説もあるものの、たとえ新兵器であったとしても米軍の機密情報であるため、未だ正体は不明。

いまだこの開洋丸の話は船員達の間では語り草となっており、この海域ではいまだにUFOが目撃されると言われている。