二頃事件とは、北海道北見市二頃に住む青年がUFOに攫われたという恐るべき事件である。

この事件でUFOに攫われた藤原由浩さん(当時28)の証言によれば、2名の宇宙人によって強引に空飛ぶ円

盤に連れ込まれた後、その後テレパシーで宇宙人と連絡がとれる様になり、数回にわたって空飛ぶ円盤に搭乗したとされる。

この時、藤原氏を攫ったという宇宙人は身長が1mほど。全身はガマ蛙のようにヌラヌラとした気味の悪い生物だったとされる。

真夜中に不気味な宇宙人が自分を連れ去りに来る…

このイメージは、私も含めた当時の子供達に非常な恐怖を植えつけたものです。

藤原青年は、母親と共に農業を営む純朴な青年で、特にSFや空飛ぶ円盤には興味がなかったと言われている。

事件が起きたのは昭和49(1974)年4月6日午前3時頃。
玄関を叩く音がするので、藤原氏は誰かと思いながらも服を着替えて表に出た。
すると、そこには身長1m程の小人が立っており、近くの畑の上に直径8m高さ1.5m程のオレンジ色に輝く円盤が浮かんでいたのである。この突然の異様な状況に藤原青年が恐ろしさに逃げ出そうとした所、突然足元から熱風が吹き上がり、あっという間に円盤に吸い上げらてしまったという。

それから間もなくすると、藤原氏は着陸した円盤から飛び降り、近所の民家に助けを求めて飛び込んだのである。
その日の夕方、藤原青年の耳が熱くなり、指先が震えだした。その指でスプーンに触ると、まるで熱で溶けたようにぐにゃりと曲がってしまう超能力が出現。その後、テレパシーで宇宙人と交信出来る様になったといわれる。

そしてついに4月8日午後6時半頃、藤原青年は宇宙人からのテレパシーにより、再び接触せよとの命令が下ったとされる。宇宙人が接触に指定した場所には藤原氏の他、友人2人と向かった。
しかし、藤原氏は途中から一人で山中に入り、再び空飛ぶ円盤に吸い上げられてしまったのであるが、今回は円盤の内部を観察する事に成功した。

この時、円盤は月を1周、地球を2周したとされ、午後8時頃に藤原氏は意識不明の昏睡状態で雪の上に投げ出された。

4月13日。藤原氏はまたもや宇宙人に呼び出され、三回目の搭乗に成功する。この時の飛行時間は前回よりも長く、 到着したのは木星の内部であったとう。この時藤原氏はフワフワしたゴムの様な服を着せられ、宇宙人とホースの様なもので結ばれて木星に降り立ちました。そして、宇宙人に頼んで、証拠として木星の岩石のかけらを貰い、それを実際に持ち帰っているのである。

このように、藤原氏は一度ならず三度までもUFOの搭乗に成功しており、さらに他のUFO目撃談やUFO搭乗話とは違い、UFOとの接触に関する様々な物証や状況証拠が残されている。

一つ目としては、藤原青年が最初にコンタクトした同時刻、近所に住む中学3年生の藤田美幸さんが月より数倍明るい光が窓外にあるので目が覚めたと証言した事である。このとき、少女は恐ろしくて外は見れなかったが、確かに激しい光が窓の外に見えたという。
また、2回目のコンタクトの時、単独で山に入った藤原氏の追いかけた友人達が、丘の上の断崖の所で藤原青年の足跡がぱったりと消えているのを発見している。
3回目のコンタクト後には、雪の上で倒れている藤原氏をNHK取材班他一行が発見。その時の藤原氏の発言が録音されているが、とても演技とは思えないとされる。また、この時捜索隊一行が藤原氏を発見する直前にはUFOと思わしき飛行物体ががジグザグに飛行していく様子が目撃され、テープにも収められている。

しかし、だからといってこの藤原氏の証言が全て真実であると立証されたわけではない。
肝心の『木製の石』であるが、 この石はX線で調査の結果地球上の岩石の組成と変わらない事が判明している他、その後の藤原氏の言動があまりに過激になりすぎた事も踏まえ、やはりこれも誇大妄想の一種であったのでは?という説も存在している。 事実、後に藤原さんは「サモンコール宇宙連合」なるものに在籍していると言いだしたり、「サモンコール星(2億5千万光年の彼方)まで6分でテレポートできる」「自分の役目は地震や噴火等の天変地異を遅らせたりする事で、地球の内部は空洞になっており、UFOでマグマのそばまで行って岩を詰めたりして火山の爆発を防ぐ」「自分は活動の為にUFOを3台持っており、普段は日高の山にバリアーをはって隠してある」など、かなり過激な発言を繰り返すようになったとされる。

だが、現在この藤原氏の消息はまったくわかっていない。
一説によれば、1995年前後に日高で準備していた円盤に乗り、仲間と共に宇宙に旅立ったという情報もあり、その時の最後の連絡先の住所は帯広市であったとされている。
それからすでに二十年余り、藤原氏が地球に戻ったという知らせは、未だ我々の元に届いていない。