この事件はブラジル陸軍の要塞をUFOが襲ったという、史上類を見ない衝撃的事件である。

このUFO襲撃事件が起きたのは1957年11月4日ブラジルのサンパウロ近郊にあるブラジル陸軍所有のイタイプ要塞である。

その日の午前2時、この要塞の警備にあたっていた2人の哨兵が、水平線上に輝く光を発見した。しかし、星か何かであろうと判断し、気にも止めていなかった。
しかし、それはただの光ではなかった。光体みるみるうちに速度を上げながら要塞に接近すると、気が付けば要塞の上空約300mの高度に滞空しはじめたのである。
この光体は安定した滞空姿勢を保ってはおらず、フラフラと揺れながらゆっくりと高度を下げはじめ、オレンジ色の光が辺りを包み始めた。

そしてついに光体は砲塔の50mばかり上空で下降を停止した。
直径30mもある巨大な円形の飛行物体を目の前にした兵士たちは、あまりの恐怖に反撃する事を忘れ、その場に立ち尽くしながら、ただただ震えるばかりだった。その時、UFOが発する機械音に混じって、「クーン」という音が発せられたのと同時に、二人の体は一気に熱を帯び、いきなり体が燃えはじめたのである。
これに驚き、ついに恐怖から解き放たれた2人は浴びせられる熱波から悲鳴を上げながら逃げ回ったあげく、ついに一人がその場で意識を失い転倒、もう一人はようやく対空砲塔の陰に隠れた。
この二人の悲鳴をを聞いた他の警備隊員達が何事かと騒ぎはじめた時、要塞内の灯りが一斉に消え、エレベーター、通信装置、砲塔など一切の機械類が動かなくなってしまった。緊急用の電源に切り替えても同じだったとされる。

さらに、要塞内に異常な熱風が入り込みはじめ、停電で動かないはずの起床用時計が3時間も早く鳴り出したとされる。
数分後、不気味な機械音が止まると同時に、突然電気設備が元に戻った。平静を取り戻した警備員達がようやく地上に出ると、彼らもまた、要塞上空に佇むオレンジ色に輝くUFOを見たが、そのままUFOは上昇していき、空の彼方へ消えてしまったとされる。

謎の飛行物体が飛び去ったあと、辺りに残されていたのは、失神して倒れている哨兵と、物陰で錯乱している哨兵であり、この二人は重度の火傷を負っていたのである。

この事態を受け、陸軍司令部は急きょ空軍に要塞上空の緊急哨戒飛行を依頼、ブラジル空軍による未確認飛行物体の捜索が行われたが、結局、オレンジ色のUFOは何一つ痕跡を残さず立ち去った後であった。

その後、ブラジル政府は大使館を通じて知識豊富なアメリカ空軍に秘密調査の助力を依頼していた。
依頼を受けたアメリカ空軍は、この手の知識に長けた専門家達、つまり『UFOの専門家』達が要塞を訪れ、調査チームが組織されている。
後に公開された機密情報によれば、調査チームのレポートには『ポルト・アレグレ空港で要塞襲撃直前に謎の飛行物体を目撃している』という記されていた。

実は、この要塞襲撃の2時間前にはリオグランデ・ドスル州のポルト・アレグレ空港を飛び立った一機の民間機がサンタカタリナ州アララングア上空を飛行中、機長が左前方に1個の赤い光点を発見し、それが近づいてくるという報告を管制室に飛ばしていたのである。
しかも、好奇心にかられた機長がその怪物体接近していた。突然機内にこげ臭い臭いが充満しはじめ、自動方向探知機と無線機が焼き切れ、右翼のエンジンからも煙が吹き出したというのである。
この時、乗務員達は必死で消火にあたり墜落だけは防いだものの、飛行機はそのまま空港へと引き返したとされている。
そして、イタイプ要塞が襲撃されたのはこの数十分後であった。

この事件監視、実際に米軍内に存在するUFO調査期間『プロジェクト・サイン』の担当者は「地球人が頻繁に戦争を起こし、原子爆弾まで作り、宇宙開発にまで乗り出したこと(その年の10月にソ連が人類初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げることに成功している)に、宇宙人が脅威を感じての警告ではないか?」とコメントを述べている。

しかし、ついに2008年にはアメリカのブラジル大使館によってこの事件の公式報告文書が書かれた。
これに伴い、これまで存在することを許されなかったUFOに関する多くの機密文書が存在している事を示唆するといった声が上がりはじめている。